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あるちゅはいま日記

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シカもイノシシも...

もう7年前になる平成23年、3.11に襲った東日本大震災、東北沿岸各地を地震と共に津波が襲った。
その被害もさることながら深刻だったのが福島原発の炉心溶融による放射能汚染だった。
ちょうど今頃はやれ、爆破弁が作動した?とか、水蒸気爆発だ?とか、大丈夫大丈夫?とか、えらい先生方が声高でテレビ番組で語っていたころだ。
現実は群馬県も広範囲にセシウム134,137に汚染された。
嬬恋村あたりもまだら模様の汚染だった。
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平成29年12月26日嬬恋村にて捕獲の野生のニホンジカ肉の放射能測定値だ。
セシウム137 24.1ベクレル/kg
平成29年3月12日嬬恋村にて捕獲の野生のイノシシ肉の放射能測定値
セシウム137 67.0ベクレル/kg
放射能が検出されないツキノワグマの例もある。
しかし、セシウム137は自然界にはありえない人の作った放射性物質だ。
そしてセシウム137の半減期は30.1年、汚染されたセシウム137濃度は30年たっても半分にしかならない。
豊かな自然環境のほど、自然の循環サイクルで放射能汚染は除染されることは無い。
自然界の動物たちには後何年も、何代も汚染が続くことになる。
汚染の健康への影響度はよくわからない、だけど嫌な世の中が続くことになる。





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# by hanaha09 | 2018-03-14 18:47 | 田舎暮らし | Comments(0)

乳牛の一生

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浅間牧場で乳牛の勉強をしてきた。
明治に入ってドイツ軍で軍事訓練、軍事研究の後に帰国した北白川宮能久親王により軍馬の養成牧場として開設された。
幾多の変遷の後、戦後浅間家畜育成牧場として現在に至る。
広さはなんと東西4km、南北4km、面積は800ha。
夏季500頭、冬季330頭の牛の受託育成を行っているそうだ。
この浅間牧場にいるのは主としてホルスタイン種、ギャル牛ばかり、ということになる。
牛の繁殖はほぼ100%人工授精か借り腹の受精卵移植。
生後13~16か月で人口受精が始まる。
妊娠期間は10か月、子供が生まれるといよいよ乳しぼり。
出産後1~2か月後に再度の人工授精、分娩前の2か月間ほどを除いて年間300日間乳を搾り取られる。
その量は年間で1万リットル、一日あたりで計算するとおよそ33リットル。
これだけの乳を出すには食べる量も半端じゃない。
乳牛の4つのおなかの容量はドラム缶1本、ほぼ180リットルにもなるそうだ。
たいていは牛舎につながれ4~5年を過ごす。
その後の行く先では加工食品の原料になったり、肥料や革製品になったりする。
牛は自分の舌の届かないところをほかの牛になめてもらう。
なめてほしいところを相手の牛の口元に持ってゆくそうだ。
そうやって、なめてもらっている間、牛の目は半開き、気持ちよさそうにうとうとするそうだ。
この広々とした浅間山の麓でうっとりする生涯が過ごせないものだろうかねぇ...
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# by hanaha09 | 2018-03-13 19:51 | 田舎暮らし | Comments(0)

生き延びる

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3.11震災特集で世界の数々の山に挑戦したアルピニスト野口健さんのインタビュー記事が載っていた。
あの芸人冒険家イモトのマッターホルン登頂の際ヘリコプターで下山したことに苦言をも呈した登山家だ。
「登山とは自力で降りるまでが登山だ!」
登山での遭難はほとんどが下山途中、体力、気力、ルートそれぞれが限界の難しさになるのだそうだ。
野口健さんは云う。
「僕らが山に登るときには常に遭難するかもしれないのではなく遭難するものなのだと考える。そう考えると現実的な手が打てる。地震は来る、自然災害は起こるもの、これを当たり前とすることが大事だ。」
「被災した時には、自分が生き残る事が一番の大切なことになる。それには日常的に生き延びる力を磨くことが役に立つ。」
「子供たちには積極的にアウトドアに出してやろう。生き延びる力は小さいころからの自然体験の中での小さな失敗、怖かった体験、ひやひやした体験などの"プチピンチ”の経験で磨かれる。」
都会の小学校に通う4年生の双子が山にやってきたときには、なんでもやらせることにしてる。
鋸で木を切って、斧で薪を割って、マッチで火をおこし、飯盒で米を焚いて、野菜を包丁で切って、カレーを作って、木でつくったスプーンで食べる。
生き生きとしてる。
野口健さんは最後に、
「被災をした際の避難生活ではあくまでも日常の生活の延長線上であるととらえることだ。」
非常時だからこれで良いという避難生活なんてものはないのだ。





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# by hanaha09 | 2018-03-12 11:08 | 田舎暮らし | Comments(0)

フォッサマグナ

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フォッサマグナとは、中央地溝帯とも呼ばれル。
簡単に言えば古い地層でできた本州の中央をU字型の溝が南北に走り、その溝に新しい地層が溜まっている地域である。
約2,000年前プレートに押されて日本列島はぽきんと折れてしまった。
折れったところは海に沈み、いろんな堆積物が貯まった。
そして、数百万年前フィリピン海プレートが伊豆半島を伴って日本列島に接近した時に、真っ二つになっていた列島が圧縮され始めた。
この時、間にあった海が徐々に隆起して出来たのがこのフォッサマグナと呼ばれる新しい時代の堆積物で出来た柔らかい地質を持った場所だ。
よって、プレートの沈み込みで出来たマグマはこの柔らかい所をめがけて上昇、火山が出来た。
これが富士山をはじめとし、箱根、八ヶ岳、黒姫、妙高、新潟焼山とつながる火山群、そして東の端にある浅間山である。
見た目は今のような高山地域に変わったが、基本的にその下には深さ5~10kmの大峡谷地形が存在しており、地中には今も大量の水が潜んでいるのだそうだ。
“何かの拍子”にフォッサマグナの地殻内部で圧力が強まれば、閉じ込められた水が火山マグマと同じく地殻を破壊し、地震やスロースリップを引き起こし、場合によっては地表へ噴出する。
地震予知につながる海洋生物、ユウレイイカ、リュウグウノツカイ、サケガシラ、カグラザメなどが、日本海、太平洋、南・東シナ海沿岸に大量浮上している。
なかでもフォッサマグナに接した日本海側の佐渡や富山湾などで、深海にしかいないダイオウイカが次々に捕獲されている。
河口湖では水量の異常低下が見られ、湖の浮島に建てられた六角堂が地続きとなった。
フォッサマグナ上で発生している異変。
地殻内部に圧力をかけた“何かの拍子”が東日本大震災ではなかったか?
今宵は怖ーい夢を見そうだ。





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# by hanaha09 | 2018-03-11 18:06 | 田舎暮らし | Comments(0)

噴火と減災

上毛新聞より。
「12人が死傷した群馬県の本白根山の噴火を受け、草津白根山防災会議協議会の分科会が9日、気象庁で開かれ、同庁や地元草津町は本白根山に新たな噴火警戒レベルを設定することで合意した。新たなレベルは2(火口周辺規制)になる可能性が高いといい、適用されれば観光への影響が大きい志賀草津道路(国道292号)は、噴石への警戒範囲から外れる見通しだ。」
火山学者の弁...
「規制範囲は鏡池付近から半径700メートル~1キロ程度が妥当とした。」
草津町では...
「草津志賀高原ルートには噴石が飛んでいない。規制をかけるのはおかしい。」
1月23日には本白根山の噴火現象も場所も規模も誰も予測することが出来なかった。
その結果犠牲者と大勢の負傷者を出した。
噴火から50日間ほどで観測体制が完全となった、噴火のメカニズムが解明された、なんて聞いたこともない。
理解に苦しむコメントだ。
そして、こんな地図が一緒に公開されていた。
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鏡池を中心として1kmの円が描かれている。
暫定的な2km立ち入り規制から新しく立ち入り規制される範囲の方向性を暗示したようにも思える、が、1月23日の噴火口は鏡池だけではなかった。
鏡池から北方およそ460mほどのところにも噴火の火口跡が多数見られた。
国土地理院の地図を基にこの火口を中心とした半径1kmの円を書いてみた。
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あれあれ、草津志賀道路(国道292号線)が入っちゃった。
一番道路が火口跡に近づく所は760mほどの距離となる。
微妙な距離、関係を有するこの道路の通行規制に関しては群馬県に最終決定権があるそうだ。
火山の噴火という自然の驚異には人間の英知をもってもあらがうことは到底できない、ならば減災、少しでも被害を少なくし、生命・財産を守ることが求められるのではないのだろうか?




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# by hanaha09 | 2018-03-10 21:05 | 田舎暮らし | Comments(0)

指切りげんまん

霞が関のお役人も大変だ。
「そんな偽造書類は探してもなかった」なんてお偉い人に忖度しなければならない。
民間でも同じだ。
「談合なんてもってのほか、お目にかかっただけだ」なんて会社に忖度しなければならない。
昔の子供たちの掟はすごかった。
「指切りげんまん。嘘ついたら、針千本飲ーます。指切った」
と、約束を誓った。
「指切り」とは、江戸時代男性の気を引くのにたけていた遊女たち。

そんな女性たちが、愛しい男性に対しての愛の証明として、小指の第一関節を切り落として、送っていたことに由来する。

その「証」「誓い」としての指切りは、やがて庶民に広がり、「約束」という意味となった。

「げんまん」とは、漢字で書くと「拳万」、約束を破った者に対して、指を切り落とすだけでは足りず、文字とおり「拳」で1万回殴るという制裁のことだ。

おまけに針を千本も飲まされるとたまったものでは無い。

英語にも似たようなのがある。

「I’m not lying to you. Cross my heart and hope to die, stick a needle in my eye.」

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国会中継を見ながらなんとなく思いだした。








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# by hanaha09 | 2018-03-09 11:33 | 田舎暮らし | Comments(0)

本白根山噴火口跡

本白根山で突然の噴火が起こったのは1月23日に事。
国土地理院、産業技術総合研究所では今回の噴火をきっかけに、上空からレーザーで計測したデータを使った特殊な地形図を精査した。
付近一帯には、直径10メートルから100メートルほどの火口とみられる痕跡が数百メートルの範囲に列状に並んでいる場所が複数あったことが分かった。
今回の火口に並行して約1キロの範囲に4、5列も存在することも分かった。
しかも、今回見つかった火口の一部は、最新とされていた噴火(1千5百年から3千年前と言われていた)からより新しく、より近年に噴火した可能性があるという。
この発表された図に、いつも歩く登山道を上書きしてみた。
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青色の丸は1月23日に噴火を起こした火口だ。
ピンクと緑は今回新たに分かった火口跡。
緑の線は登山道。
身震いしましたねぇ。
まるで地雷原の上を歩いてたようだ。
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# by hanaha09 | 2018-03-08 17:09 | 田舎暮らし | Comments(0)

寅さんもやってきた鎌原村

「国民的映画」とも呼ばれるのがフーテンの寅さんが主役の「男はつらいよ」シリーズ。
1968年から1995年まで、足掛け27年にわたり全48作が製作公開された。
今でもレンタルDVD店では、高回転率を誇る人気コンテンツなのだそうだ。
その25作目、「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花」、寅さんはこの鎌原村にやってきた。
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ねずみ小僧寅吉になった寅次郎が大金持ちから盗んだ千両箱、いくばくかの小判を妹の倍賞千恵子に渡すが自分は名乗ることができねぇとお役人に捕まる夢を見てたのが旅先の鎌原村、鎌原神社前にある郷倉だった。
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目が覚めたのはお役人の鳴らす笛の音が聞こえてきた、これは鎌原神社境内で遊ぶ子供たちの鳴らす笛だった。
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そして、寅さんはのどかな鎌原村をどことはなく歩いていくのだ。
鎌原村の北のはずれの付近だ、鎌原村の立て看板も見られる。
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村中のこんな蔵も出て来る。村の街道筋の南に今でも健在だ。
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ここの後は白糸の滝に出る。
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バス停前にあるお土産屋だ。
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この映画が公開されたのが1980年の8月。
おそらくロケが行われたのはその前、もう30年前の話だろう。
今にその姿を残す鎌原村界隈。
春の陽気と共に映画ロケ地をぶらぶらめぐるのも楽しそうだ。








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# by hanaha09 | 2018-03-07 20:59 | 田舎暮らし | Comments(0)

浅間のHonda

「きのうまでのHondaを超えろ。
負けるもんか。」
Honda創業者、本田宗一郎氏は云った。
1955年11月に開催された「浅間高原レース(全日本オートバイ耐久ロードレース)」にも本田宗一郎氏はやってきていた。
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Honda初のOHCエンジンを搭載した新世代トップモデルを携えて臨んだ初の公道レースだった。
350、500ccの2クラスでは優勝したものの、250ccクラスでは丸正自動車製造のライラック号に見事に敗れた。
125ccクラスではヤマハに1位から4位を独占され惨敗した。
「真っ赤な顔になったオヤジサン(本田宗一郎氏)を見たことが無かった。ライラック号の丸正自動車社長はオヤジサンの元の弟子だ。1位から4位をかさらったヤマハはこの年に初めて2輪オートバイをつくった楽器屋さんだった。」
後にHonda社長を務めた川島氏は「君子危うきに近寄らず」とその場を逃げて宿舎に戻ったそうだ。
1957年の第2回となる通称「浅間火山レース」、すでにHondaは日本トップメーカー、350ccでは勝った、がヤマハはこのクラスに出走してなかった。
そして、125、250ccクラスではヤマハにまたの完敗。
「夕日が沈みかけて、ススキの穂が真っ白に光る土手の上に、オヤジサンが座っていた。トップのヤマハがビィーンとやってきて目の前でゴールした。『負けちまったものはしょうがねぇ』と一言、あまりにも寂しそうで気の毒だった」と、設計担当の新村公男氏が語る。
「でもね、オヤジサンとレースをやるもんじゃない。必ず負ける。オヤジサン、スタート直前までマシンをいじるんだ、止められない、止まらない。自分でも分かってるらしくマン島レースにはオヤジサン来なかった。」、と。
そして、第3回の「浅間火山レース」では市販車で挑戦したアマチュアの選手が125ccクラスで優勝、続く250ccクラスでは並列4気筒、1万4千回転の強烈なマシンRC160が1位から3位を独占、やっとオヤジサンの笑顔が戻った。
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戦後一番の好況と言われる神武景気にも支えられ、浅間から世界のHondaにスロットルを全開していった。
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# by hanaha09 | 2018-03-06 20:12 | 田舎暮らし | Comments(0)

電柱は無くなるか

今の住まいは国立公園の第二種特別地域内にある。
工作物の新築・改築、樹木の伐採、鉱物の採取、河川・湖沼の取水・排水、広告の掲示、土地の埋立・開墾、動植物の捕獲・採取、本来の生息地でない動物の放鳥獣、本来の生育地でない植物の植栽、施設の塗装色彩の変更、指定区域内への立入、指定区域内での車の使用等々、については許可が必要となる。
残念ながらこんな電柱・電線・電話線・光通信線が存在する。
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スイスの街には電柱は無い、電車の架線用の柱もない。
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パリの街にも電柱は見当たらない。
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バンコクへ行くと、コンクリートの電柱と空をかけめぐる電線、電話線があった、スクンビットのソイ36の光景だ。
なんでこんなに電線が一杯になるのかというと、新しい電話番号用に古い電線をたどって使うより、新しい電線を敷設する方が安くて手っ取り早い、ということらしい。
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タイ当局は昨年の11月からこのスクンビット界隈の電柱と電線を一掃する工事に取り掛かった。
電柱544本を取り除いて電線を地中に埋設することにした、年末には完了しているはずだ。
こんな動物が電線を走り回り、ショートの原因、停電になってしまうという理由もあるが、タイ当局の英断には拍手だ。
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世界の状況と比べ、日本での無電柱化は最後進国だ。
イギリスでは街灯用のガス会社と電力会社が競争した、両者には公正な競争をと地中への配管、配線施設を法律で求めた経緯があるそうだ。
アメリカでは当初、地上の電線は裸電線だった。
悲惨な感電事故の多発で世論が地中化を求めた。
実は日本でも地中化が初めて試みられたのが明治44年、昭和初期の東京では、電柱・電線のないまさに日本を代表する首都の景観が守られていたのだ。
しかし、焼け野原になった戦後、優先されたのは復興用の電力の確保、電柱が次から次へと立っていった。
この後、高度成長期を迎え電力の消費は急ピッチで増えた、と共に灰色の電柱、コンクリートの柱が乱立した。
日本国民はこの光景を普段の生活の一部に取り込んでしまった。
一部の電力会社、電話会社、通信会社が自らの利益のためにその景観を我々から奪えるものでは無い。
今からでも遅くはない、その美しい日本の景観を我々の手に取り戻そうではないか!!






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# by hanaha09 | 2018-03-05 17:39 | 田舎暮らし | Comments(0)