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あるちゅはいま日記

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恵方巻

節分の行事だそうだが、つい最近まで恵方巻なんてのは聞いたことが無かった。
いったいその起源とは?
諸説芬々、中にはこんな起源説も。
幕末か明治初期か定かではないが、もともと大阪の花街で、今に「恵方巻」として呼ばれる巻きずしを節分に遊女に丸かじりさせていたというもの。
丸のままの太巻きずしを男性に見立てて、口をいっぱいに頬張り、眼を白黒させる姿を見ては楽しんでいたのだそうだ。
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なるほど閑と贅を尽くしたお大尽の遊びらしい。
戦前の頃、この話を聞きつけた大阪鮓商組合や海苔協会が「節分の丸かぶり寿司」に関するチラシを配布し宣伝を行った。
巻きずしや巻きずし用の海苔の販売促進を狙ったものだった、夏にはおいしくなかったウナギを土用ウナギと称して大流行させたのと同じ手法だ。
もはや戦後ではないと、昭和50年ころにはやはり大阪海苔協会などが巻きずし早食い競争などの大キャンペーンを張った。
そして大ブレークが起きたのが平成元年「セブンイレブン」が「恵方巻」と称して毎年の恵方を向いて丸かじりする巻きずし販売したことだ。
これが今全国的に波及、その他コンビニ、スーパーチェーンをはじめお菓子業界をも巻き込んだ一大キャンペーンとなった。
我が家ではこんな巻きずしは一度も食卓に出たことは無い。
テレビやニュースで若い女性が巻きずしをほうばる光景を見てにやにやとするのはスケベ爺さんだ。















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# by hanaha09 | 2018-02-04 12:34 | 田舎暮らし | Comments(0)

ウインターフェスティバル

本年もプリンスランドでのウインターフェスティバル。
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いつもの氷のピラミッドが出来て開幕。
いろんなイベント、出店で結構にぎわう。
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昼間はゴルフ場中のスノーシュー。
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そして今年初めてのイベント「爆雪RUN]、雪の中のマラソン大会だ。
ゴルフ場の中のコースはアップダウンの連続、雪に足を取られ、中には急な斜面を滑り落りるところも。
ちょっと過酷なマラソンだ。
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夜はくじ引きもあるそうだ。
打ち上げ花火でことしのフェスティバルは終了。
疲れたねぇ。







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# by hanaha09 | 2018-02-03 17:10 | 田舎暮らし | Comments(0)

みかんを食べない現代人

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小さいころにはみかんを山ほど食べた。
秋の運動会には緑の早生みかんが必需品。
弁当には必ずギザギザになった半割れみかんが入っていた。
家ではみかんはリンゴ箱で買っていた。
爪の先が黄色くなるほど食べた。
皮は天日干し、風呂に入れたり余ったのはかまどで燃やした。
ところが最近の家庭ではみかんを食べなくなった。
1980年の一人当たりの年間消費量は14kg(中ぐらいのがおよそ110g強、127個強)、2009年には5.0キロ(45個)と半減。
みかんの価格はほぼ倍になってるが消費額は半分近くになる計算だ。
日本人はみかんが嫌いになったのだろうか?
理由はいろいろ挙げられている。
各家庭にこたつが無くなった、こたつの上に積まれたみかんをテレビを見ながら食べることが無くなった。
みかんの皮をむくのが面倒くさい、房に付く白い糸状の物をとるのが面倒だ。
しかし、果物消費量1位のバナナも皮も白い糸状の物もある。
2位のリンゴも包丁で皮をむく、余計に面倒だが消費量は落ちていない。
閑なので素人なりの理由を考えてみた。
まず、みかんがおいしくなくなった。
昔のみかんは酸っぱいのがあったり、すごくあまくてこれがみかんだと言うのがあった。
今のみかんは酸っぱくはないがなんだか水っぽい。
みかんの皮をむいて房をほう張り、たいていの人が房のカスをみかんの皮の中に入れる。
これが汚い、今の葡萄は皮ごと食べられるのが良く売れるそうだ。
現代人の味覚、様式に沿った品種改良が出来なかったのでは?
あとスーパーでのビニール袋入りで売るのが良くない。
時々腐ったのが入ってる、一つ一つ量り売りにすれば必要な個数が買い求められる。
昔はみかんの皮に黒いテンテン(黒点病?)がついてたのも食べていた。
皮に見栄えを良くするワックスをかけたり、消毒をし過ぎたり、ちょっとと思うイメージがある。
みかんの栄養をくまなく享受しようとした昔のおばさんは皮も一緒に丸ごと食べていた。
日本人は決してみかんが嫌いになったのではない。
消費者を見つめた生産者、販売者の企業努力が少々足りなかったのではないだろうか?







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# by hanaha09 | 2018-02-02 11:37 | 田舎暮らし | Comments(0)

つららが育つ

「光落つ氷柱の伸びてをりにけり」 稲畑汀子
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今年は寒い。
屋根のつららがどんどん地上に降りて来る。
つららは屋根に積もった雪が、あたたかい部屋の中の熱にとかされたり、また雪の重みで圧力がかかって水になる。
外の温度がどんどん下がると、軒先に流れてきた水が凍るのだ。
つららの表面に次から次へと水が流れ、どんどん成長する。
表面の面積が大きくなると落ちる水の流速が小さくなる。
また、水の層が薄くなるので早く冷却される。
早く凍ったその部分のつららは太くなる。
かくしてつららはこんな具合になってしまう。
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たいていは大きくなるとつららの自重でぽきんと折れて落ちてしまう。
今年はひょっとすると地上まで到達するかもわからない。
透き通るようなつらら、と言いたいところだが...
薪ストーブの煙突があるので煙で汚れる、ちょっと残念なところだ。







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# by hanaha09 | 2018-02-01 18:15 | 田舎暮らし | Comments(0)

皆既月食の色

2018年1月31日は皆既月食が見られる日だ。
皆既月食とは、太陽と月の間に地球が入り込んで月が真っ暗になる。
しかし、実際には月は真っ黒にならず、しばしば「赤銅色(しゃくどういろ)」と表現されるような赤黒い色で観察される。
なぜか?
地球の周りには大気がある。
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この大気を通過する太陽光線の波長の短い青い光が散乱され赤い光が残る。
また、大気によって太陽光はわずかに屈折する。
この屈折した太陽光が地球の影になった月に到達する。
よって、月は地球の影で真っ暗にはならず赤銅色に変化する。
朝日や夕日が赤く見えるのとよく似た現象だ。
しかし、皆既月食のときの月がいつも同じような色に見えるわけではない。
太陽光の散乱のもととなる地球の大気中のチリが少ないときには、オレンジ色のような明るい色になる。
大気中にチリが多いと、大気を通り抜ける光の量が少なくなるため、影は暗くなり、灰色に見えたり、本当に真っ暗で月が見えなくなったりする。
フランスの天文学者ダンジョンが20世紀初頭にすでにこの現象に気づいていた。
彼は「ダンジョンの尺度」という目安を作って影響を調べた。
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1982年12月30日に起こった皆既月食では皆既月食中の月が真っ暗になり、月がほとんど見えなかった(ダンジョンの尺度で0相当)。
これは1982年春に噴火したメキシコのエルチチョン火山の火山灰等が成層圏に達し、その影響と考えられる。
1993年6月4日に起こった皆既月食でも、皆既食中の月のほとんどの部分は灰色で、わずかに赤みがかった月として観察された(ダンジョンの尺度で1相当)。
こちらは1991年6月、フィリピンにあるピナツボ火山が大噴火を起こし、長く漂った火山灰等の影響と推測されている。
21時11分には、
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左下が掛けてきた。
22時22分には、
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赤胴色に変わりかけてきた。
そして、クライマックスの22時50分、
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ピンぼけ写真に終わってしまった。
今回の「ダンジョン尺度」は2。
先日の本白根山噴火の火山灰が少々影響してるのかもわからない。
日本でみられる次回の皆既月食は2022年11月8日。
もう二度と見られないかもわからないねぇ。






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# by hanaha09 | 2018-01-31 23:18 | 田舎暮らし | Comments(0)

移民の歴史

嬬恋村の人口が9,700人ほどになってしまったそうだ。
ついこの前まで10,000人あたりをウロチョロしてたはずだ。
これからは急速に減少、限界集落への崖を一気に転げ落ちるような勢いだ。
日本がまだ鎖国を続けている江戸時代、カメハメア王の率いるハワイでは、1852年には官約移民制度が導入され、ハワイ政府による公認の移民制度が始まった。
アメリカのペリーが日本の浦賀に黒船でやってくる4年前の話だ。
背景にはイギリス人によってはじめられたサトウキビプランテーションの労働力確保。
亜米利加人の移住などによって持ち込まれた悪病などによってハワイアンの急激な人口減少現象があった。
当初は中華系移民がハワイに渡ったがその内亜米利加本土の中国人排斥運動に沿うように中国人移民受け入りが中止された。
そして選ばれたのが日本人であった。
1868年6月19日、ハワイへの日本人集団移民第1号となる153人を乗せたサイオト号が、ホノルルに到着した。
ちょうど幕末の混乱期で幕府はハワイとの通商条約の締結のないまま渡航の許可を出したが、新政府はそれを拒否。
結局、サイオト号はハワイに向けて横浜を無断出航してしまった。
移民元年者と呼ばれた彼らはプランテーションで作業を行うことになったが、生活習慣が異なり、しかも言葉が全く分からないという不慣れな生活環境のなかで、ストレスが急速に蓄積されていった。
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実は、後に元年者である彼らの多くは、農業の経験が全くない、都市生活者だった。
1か月の賃金は現金2ドル(当時日本円に直すと2両)、残り2ドルは手形払い。
中国系移民と比べると高い水準ではあったが、ハワイの物価は高騰し出国前の皮算用とはいかなかった。
しかし、3年間の契約期間を過ぎ、日本へ帰国を果たしたものはおよそ50名、残りの100名ほどはアメリカ本土は再移住したり、ハワイに残ったた者はハワイアンと結婚、本当の移住者となっていった。
うよ曲折はあったが、総じて日本人移民はその勤勉さからも白人社会にも受けいられ、1900年までに約3万5000人がハワイに移住した。
その後、中国人と同じく排斥運動に有ったり、1世と2世の間の国籍問題、そして第二次世界対戦への日本人2世たちの出征等々、苦難の道を歩み続けた日本人移住者たち。
今や、ハワイの日系人は20万人、人口のおよそ17%を占め、政財界、学会など多くの分野で多くの日系人が活躍している。
そして、ハワイ王国はサトウキビのプランテーションに始まった農業から世界の大観光都市に変貌を遂げている。
まるでかつて大日本帝国が満州建国の際に掲げた「五族協和・王同楽土」の理想が成し遂げられたよう。
今年は元年者たちがハワイの土地を踏んで150周年にあたる年なのだそうだ。
何事をなすにもとてつもない時間がかかるのである。








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# by hanaha09 | 2018-01-30 13:27 | 田舎暮らし | Comments(0)

浅間嶽観音堂惣門

慶応4年の事、徳川慶喜は鳥羽・伏見の戦いで官軍に敗れ、上野の寛永寺に蟄居した。
これに不満を持った幕臣たちが集まり、「大義を彰(あきら)かにする」という意味の彰義隊を結成した。
旧幕府は新政府の抵抗勢力と見られるのを恐れ、彰義隊と治安改善を願う江戸住民に対する懐柔を兼ねて江戸市中取締を任じた。
これには町人や博徒や侠客までも参加し、隊が千名を越える規模になったという。
慶喜が水戸に退いたのちにも、本願寺より寛永寺へ拠点を移動、寛永寺貫主を兼ね同寺に在住する日光輪王寺門跡公現入道親王(後の北白川宮能久親王)を擁して徳川家霊廟守護を名目に寛永寺を拠点として江戸に居残り続けた。
これに対して新政府軍は武力殲滅を叫び、5月15日宣戦布告。
午前7時に始まった戦いは西郷隆盛等の新政府軍が攻勢、午後5時には彰義隊はほぼ全滅、戦闘は終結した。
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『本能寺合戦の図』となっているが、実際には上野寛永寺の戦闘。
袴姿の兵(おもに画面左側)が彰義隊、洋装の兵(おもに画面右側)が官軍。
なお赤熊(しゃぐま。赤毛の長髪のかつら)は土佐藩兵。
浅間山麓、鬼押出し園にある、浅間嶽寛永寺惣門はもともと上野寛永寺山内に建立された勧学寮(学問所)の表門だった。
明治以降寛永寺の惣門として保存されていたものを昭和41年に改修移築された。
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そして、この傷。
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上野戦争当時の刀の切り傷跡なのだそうだ。








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# by hanaha09 | 2018-01-29 22:20 | 田舎暮らし | Comments(0)

バラギ湖でスノーシュー

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バラギ湖は吹雪だった。
せっかく来たので湖1周のスノーシュー。
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バラギ湖を望む高台の牧草地は寒風が吹きすさびとてつもなく寒い、耳がちぎれそうになる。
積もった雪も風で吹き飛ばされている。
湖畔に出ると湖面は凍結、いつもは氷上ワカサギ釣りが始まっている頃なのだが...
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誰もいない。
ワカサギがいなくなったらしい。
どうも放流したニジマスが大きくなってワカサギを食べてしまったらしい。
ブルーギルのような獰猛な外来種が要るのではないかと言う説も。
残念ながら今年は氷上ワカサギ釣りは閉店なのだそうだ。
その代わりに氷上バーベキュー大会が始まるそうだ。
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湖上に続くワカサギではないウサギの足跡を見て1周。
帰りはいつもの湖畔の湯で「きのこそば」、そして温泉でまったり。
今日も一日が終わった。



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# by hanaha09 | 2018-01-28 11:37 | 田舎暮らし | Comments(0)

草津温泉は安全か危険か?

本白根山が噴火、どうも情報が交錯している。
噴火の火口は鏡池の北方500m、複数の火口が出来ているそうだ。
噴火形態は水蒸気爆発と言われているが、マグマに由来する火山性ガスも観察されているのだそうだ。
気象庁の発表は次々と変遷し、火山速報も出せないほどの情報不足だった。
火山活動観測体制、情報の伝達共有体制の欠如が浮かぶ上がってくる。
そんな中、火口から東におよそ5kmの地点である有数の温泉地である草津温泉では24日現在で14,000人ものキャンセル客、およそ2億円の減収と騒がれている。
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草津町のホームページにはこうある。
「草津本白根山噴火に関し、不安とご心配をお掛け致しております。
 報道にある通り、3000年以来の噴火と言われております。
 噴火により噴火警戒レベルが3になりましたが、本白根山と草津温泉街は5キロメートル以上離れており、全く温泉街は危険が及ぶ位置にありません。当然のことですが、草津町長として噴火口周辺の2キロメートル立ち入りを禁じていますが、その範囲以外は危険はありません。
 この度の噴火の被弾距離約1キロメートルと推定しております。
 火山噴火はマグマ噴火、マグマ水蒸気噴火、水蒸気噴火と分類されますが、草津白根山および草津本白根山で発生しているのは水蒸気噴火とされ、マグマが噴出し温泉街に到達するような事はありえません。また、一部報道で言われている融雪泥流の問題は火山の種類から考えられません。
 すでに本日1月24日より天狗山スキー場、御成山スキー場は営業を再開します。また、殺生クワッドリフト、青葉山ゲレンデの営業も近日中に行う予定です。
 なお、白根山の噴火レベル1の変化はありませんので、志賀草津高原ルート(国道292号)は関係者との協議を行いますが4月に開通を予定しております。
 草津町は情報収集を行い、サイエンスの観点から対応しておりますので、安心して草津温泉にお越し下さい。

平成30年1月24日 」

想定外と言われる噴火により1名の犠牲者、大勢の負傷者を出した災害の事実はいったいどこへ行ってしまったのだろう。

もし、マグマ噴火が起きれば大量の噴石が偏西風に乗って草津方面に襲い掛かると想像される。

3,000年より前の本白根山のマグマ噴火では草津温泉手前まで溶岩流が押し寄せた。

天明三年の浅間山噴火では火口から東方およそ6kmあたりまでこぶし大の噴石の落下があった。

そして、9km東南の軽井沢宿には大量の噴石が到達、ほとんどの家々を焼き、また押しつぶした。

本白根山の観測体制、予知体制が全く整備されていない現状での商業主義(サイエンスの観点からという注釈はあるが...)を前面に押し出した安全宣言には???

まず、危難が発生した場合の避難場所(公民館とかが選ばれているがこの前の噴火では噴石が屋根を貫通している)、避難経路の確保(温泉街の通路はどこでも狭い)、避難計画そして避難訓練(机上の計画と実践では常に違いがある)を住民、観光客に示して、安全かどうかの判断をゆだねるのがまっとうではないのだろうか?

浅間山火口からおよそ6kmの山麓にて毎日の生活を送っているジイサンのたわごとだ。





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# by hanaha09 | 2018-01-27 12:25 | 田舎暮らし | Comments(0)

寒いよぉー

このところの寒波で寒い。
朝の気温は連日-12から-14℃、昨日の昼過ぎの気温は-8℃、今日も同じくらいだろう、ただ風がきついので余計に寒い。
昨日の夕方軽井沢まで下りて行ったが、有料道路の料金所では窓が凍り付いてあかなくなっていた。
扉を開けて降りて料金所のおじさんに「すみませんねぇ、窓が凍り付いて...」なんて言うと、「車庫に入ってないんかねぇ?」なんて返されちゃった。
ところで世界の最低気温はどうだろうか、なんて暇なものだからググってみると...
なんと日本の記録がNASAにより世界最寒地点として登録されてるのだそうだ。
日本の記録と言っても日本ではない南極の日本観測隊の「ドームふじ観測拠点」の話だ。
その気温は2010年8月10日に観測された-93.2℃、それまでの南極東部の露ボストーク基地で観測された-89.2℃を更新したものだ。
アルコール入りの温度計では測定不能、炭酸ガスもドライアイスになってしまう温度だ。
この「ドームふじ」とは...
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1995年に開設された観測拠点、昭和基地より南極方向へ1,000kmほど近づいたところ。
ドームと名がつくように標高が3,810m、富士山より高い。
開設当時は雪上に建設されたが、その後の風雪により開設後数年で殆どの施設が雪の下に埋もれてしまったのだそうだ。
驚くのがこのうち3,000mほどが氷でできた氷床なのだそうだ。
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5-10人程度の隊員が、昭和基地より移動して観測を行う。
この厚い氷床を掘削し氷床コアを採取することにより、過去百年前に遡っての気候変動が解明される、凄い研究だ。
日本、みんなのいる昭和基地を遠く離れ、動物たちもウイルスさえも生存しない極寒の環境での作業は過酷だ。
プライバシーもない越冬隊員たちの唯一の楽しみが食事。
越冬中の食事担当隊員が書き綴ったのが「南極調理人」。
隊員たちの「エビフライ」が食べたいとの要望に応えて、材料を駆使して作った伊勢海老の巨大フライ。
隊員たちからは「やっぱり刺身が良かった」と総じて不評だったとか。
深夜にインスタントラーメンを盗み食いする隊員たちが続出、ラーメンが無くなり食卓には「カニ」が連続並ぶことになったり。
「今日は快晴、気温ー30℃、暖かいよう!」と1分間740円で残された家族に電話した隊員。
世界最寒地点での苦難の様子がうかがえる物語だ。
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寒風の中やってくるこの小鳥たち、寒くないのかねぇ。











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# by hanaha09 | 2018-01-26 11:11 | 田舎暮らし | Comments(0)