今日は横浜開港記念日だ。
江戸時代、二百数十年の鎖国政策を経て1859年に日本国が世界に向けて扉を開けた日となった。
目覚ましい発展を伴う西洋文化が日本国民の目を見開いた。
その一つが宇宙でも食べられる食文化、今では日本の国民食と呼ばれるカレーライス、この開国に伴って授かったものとしてこの日が「横浜カレー記念日」となった。
日本におけるカレーの最古の文献資料は福澤諭吉が万延元(1860)年に出版した『増補華英通語』で、「加尤 Curry コルリ」と記されている。
が、福澤諭吉がカレーを目にしたかどうかは不明である。
驚くことに、いったん開国を決めた幕府が再び閉じようと海外に使節団を送ったとある。
文久3年(1863年)に「横浜鎖港談判使節団」の一員としてヨーロッパに赴いた岩松太郎(いわ まつたろう)の「航海日誌」にこうある。
「夕陽三拝同断且つ食事の節脇より見るに飯の上へトウガラシ細味に致し芋のどろどろの樣な物を掛け此を手にてまぜ手にて食す至てきたなき人物の者なり。」
フランスへ行くために立ち寄ったエジプトでのカレーライスを食べるアラビア人には驚いた様子が記されている。
明治に入ると日本人にとってなじめなかったと思われるカレーライスのレシピが公開されるようになった。
明治5年(1872年)には、敬学堂主人による『西洋料理指南』にレシピが掲載された。
「『カレー』ノ製法ハ葱一茎生姜半箇蒜少許ヲ細末ニシ牛酪(バターの事)大一匙ヲ以テ煎リ水一合五夕ヲ加ヘ鶏海老鯛蠣赤蛙等ノモノヲ入テ能ク煮後ニ『カレー』ノ粉 小一匙ヲ入レ煮 ニル、西洋一字間已ニ熟シタルトキ塩ニ加へ又小麦粉大匙 二ツヲ水ニテ解キテ入ルベシ」
今のカレーの必須である玉ねぎ、ジャガイモなどが記されてない、明治の初期にはまだこんな西洋野菜が手に入らなかったようだ。
それにしても赤蛙をカレーに放りこんだ勇気は日本人として素晴らしい。
少し遅れて出版された仮名垣魯文の『西洋料理通』には、子牛の肉または鳥肉を入れるもの、リンゴを加えて煮ているレシピもある、それにカレーライスの盛り付けにはこうある。
「炊きたる米を皿の四辺にぐるりと円く輪になる様もるべし。」、と。
現代に再現された開港当時のカレーライスはこうだ。
双子の子供たちに野外で料理をさせる我が家のカレーライスを紹介しておこう。
ニンニク、ショウガ、唐辛子のみじん切りをサラダ油でこんがりといためる。
これに玉ねぎのみじん切りを入れて良く炒める、最後にトマトを刻んだものを入れ、クミン、タラゴンを入れる。
塩、胡椒で味付けをしておく。
これに骨付き鶏足を入れて同じく炒めた後に赤ワインたっぷりとブイヨンを入れてゴトゴト焚火で煮る。
出来上がり直前に市販のカレールーを少しだけ入れて、とろみをつける。
出来上がり、米は飯盒で焚く、野外でのカレーライスは特に旨い。
コロナ感染が終わるまでは双子たちも東京からは出てこれない、なんとなく寂しいね。