フリーライダー(経済用語)問題をコロナ感染勃発を契機として議論がつぶやかれている。
フリーライダーとは日本語では「薩摩守忠度」のこと、つまりタダノリ。
キセル(昔のキセルは吸い口とたばこを入れる口だけが金(属)、後は竹筒で金ではない)ともいう。
日本の鉄道のキセルは切符を入口出口分をお金を出して払うが、フランスに行けば地下鉄などは改札口の柵を乗り越える輩をいつも見る、一銭も払わない猛者ばかりだ。
現代日本では切符改札方法も近代化されキセル乗車などは無いと思われる。
いま議論されているのは「フリーライダーとは公共財のように非排除性があるサービスについて、対価(供給のための費用)を支払わないで便益を享受する者を指す」。
コロナ感染が始まり、外出自粛をしない人々の多く、この浅間山麓にも東京方面から大勢やってくる、「フリーライダー=コストを支払わず制度の恩恵をタダで受けている人」とも言える。
彼らには「行動制限を徹底することで被る損失」は無いにもかかわらず、自分や家族が感染しない限り、他の人たち(どこにも出て行かない浅間山麓の我々の事)の行動制限によって生まれる一定の感染抑止という恩恵(利益)に十分あずかっているということとなる。
また居酒屋での酒類販売、営業時間の規制が問われる中で、これに反する営業方針を堅持する者がいる。
おかげさまで売り上げが伸びているそうだ、経営する側、これを知って飲食する側の人々は、他の飲食業者・人々の行動制限の対価を無視して得られる利益をタダノリしていることになる。
コロナワクチン接種に対しても、同じことが言える。
ワクチン接種率が6割7割になると集団免疫が成り立ち、感染の心配がなくなる。
ワクチンには副反応がつきものだ、副反応を心配して、「ワクチンは当面打たないでおこう」と考える人も多くいる。
たしかに、自分がワクチンを打たなくても、周りの多くの人が打ってくれれば、コロナウイルスは消滅、そのうち自分にも感染しないこととなる。
危なかしいワクチンを接種しなくても自身は安全な環境に居られる、タダノリである。
しかし、鉄道のタダノリと同じく、失われる利益はどこかで補わなければならなくなる。
タダノリが増えれば増えるほど列車の運行コスト割合は上昇し、運賃を上げざるを得なくなる。
すべての人が将来の損害を被る事となる、経済の法則でもあろう。
一人ひとりが自分でよく考え判断をして、将来を見つめた行動をとる日本人であってほしい。