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あるちゅはいま日記

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雪窓公園の枝垂れサクラ

今年の桜の開花は少し早い。
御代田付近を通過すると、道筋の桜は満開。
毎年行って見る雪窓公園の桜を見に行った。
いつもは花見弁当持ちだが、本日は無し。
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満開ですね。
もう一つ。
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こぶしの花も満開。
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子供たちが元気に遊んでましたね。
やはり、日本人には桜。





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# by hanaha09 | 2018-04-13 07:55 | 田舎暮らし | Comments(0)

花一番

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春一番の花が咲いた。
と言ってもこの花、自生のものではない。
千葉に住んでた頃から庭に咲いてたやつをこの山中に持ってきた。
「ヒマラヤユキノシタ」、名前の通りヒマラヤ地域原産で寒さに強い。
ヒマラヤまでもないがこの辺の気候に相性が良いようだ。
一昨日の朝の気温は-2.5℃、昨日は0℃、今朝は9時頃だが13℃あった。
一挙に花が咲いた。
これからはいろんな花が咲く、楽しみだ。
また一年、歳が行く。





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# by hanaha09 | 2018-04-12 18:29 | 田舎暮らし | Comments(0)

川原湯温泉の湯が変わった?

ちょっと小耳にはさんだ話。
八ッ場ダムの湖底に沈む予定の川原湯温泉、新しく高台に移転した。
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源泉は元の新河原湯源泉、足湯につかりながらゆで卵ができる源泉だった。
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この源泉はダム湖の水の中に浸かってしまうのでコンクリートで囲いをして、ポンプでくみ上げ、新しい川原湯温泉に引かれることになった。
元の河原湯温泉は湯の中に浮かぶ「湯の華」が見られていた。
ところが新しくポンプでくみ上げる源泉には改正温泉法が適用され、フィルター(温泉に含まれる天然ガス抜きタンクの事?)の設置が義務付けられた。
そのせいか、新しい河原湯温泉ではこの「湯の華」が見られなくなったそうだ。
古くからのなじみの温泉客は云うのだそうだ。
「源泉が別物に変わってしまった?」
東京の温泉で源泉に含まれている硫化水素ガスで爆破事故を起こしたことがある。
つい最近では同じく湯船で硫化水素ガスで倒れた湯治客が出たニュースもあった。
これらの事故を踏まえての改正温泉法だったに違いない。
源頼朝によって発見されたと伝えられる長い歴史を持つ温泉、酸性度の強い草津温泉の上がり湯として万人に親しまれたこの温泉。
ちぃっと残念な話だ。
こんな露天風呂も水の中。
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こんな金精様も水の中。
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新生にはまた70年の年月が必要なのかな?という若当主の言葉だった。










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# by hanaha09 | 2018-04-11 20:42 | 田舎暮らし | Comments(0)

横浜開港資料館

みんなと一緒に出掛けました、横浜まで。
嬬恋村を出る時には―2.5℃、横浜につくと樹々の緑鮮やか初夏模様。
開港資料館におじゃまいたしました。
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新しく見つかった中居屋重兵衛の書状につき、館長さん自らの解説を聞きましたね。
書状2通については贋作の疑いあり、とのこと。
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どうも右下の印があやしい?
小説「贋作」にあった中山文庫よりの出所のようだとのこと。
なんで、こんな贋作が世の中に出て来るのだろうというと...
やはり各所の資料館、収集家などに売りつけていくばくかの金にした。
謎の商人たる故の隙間ビジネスということらしい。
他の5通の書状については本物らしい。
中居屋重兵衛の生糸商いの仕入れの要請、30間四方の敷地を借りた横浜のあかがね御殿建築、またまた商いの途中に損金が出たなどなど生々しい様子が浮かび上がってくる。
面白かった。
そして、この開港資料館のある場所、1854年3月8日日米和親条約交渉のためにペリーが横浜に上陸したその場所。
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真ん中を兵を従えて歩いてくる先頭がペリー、右に書かれているのが玉楠の樹。
関東大震災で焼け落ちたこの樹の子供が開港資料館の中庭に今も大クスとして残っている。
この樹の写真は写したつもりであったが写ってなかった。





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# by hanaha09 | 2018-04-10 08:02 | 田舎暮らし | Comments(0)

これはヤマシャクヤク

枯葉の下からむっくりと頭を持ち上げてきた。
先日のヤマラノオロチのようにすこぶる頑強そうな八つの頭がある。
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これはヤマラではなく、数年前に実生の苗をもらって植えておいたヤマシャクヤク。
五月の後半にはこんな花が咲く。
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シャクヤクは婦人病の要薬として、「美」にも縁の深い生薬なのだそうだ。
血液を滋養し、婦人科系の働きを整える働きがあり、漢方では益気・補血薬(婦人向けの強壮薬)として用いられる。
薬酒として服用すると、アルコールとの相乗効果により、さらに緊張を緩めて血の巡りをよくする効果がある。
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」といわれ、この生薬を服用する女性は、シャクヤクの花のように晴れやかで美しくなるという意味も秘められている。
竹久夢二の絵に出てくるような「色白・やせ型でむくみやすく、冷えに敏感な蒲柳の質」タイプのご婦人に用いられるのだそうだ。
やはり、ヤマラノオロチの化身か...




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# by hanaha09 | 2018-04-09 13:14 | 田舎暮らし | Comments(0)

小布施の北斎画

信州小布施には晩年の北斎「画狂老人」の五大遺作が残されている。
これらはみな特有の油絵具で描かれているのだ。
当時、日本では油絵具を用いて大作を描く画家はほとんどいなく、その油質絵具は品質色彩の劣ったものだった。
水で膠を溶かし、顔料を混ぜて使用した日本画は紙にはよくなじむが板などに描くとひびが入ったり、湿気で剥落したりした。
北斎は欧米の油絵の耐久性に深く心を動かされていた。
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岩松院の「八方睨み鳳凰図」(写真撮影は禁止のはずだがネットに転がっていた)、完成を見た嘉永元年からすでに170年を経た現在でも鮮やかな色は当時そのままだそうだ。
なぜか?
信濃国高井郡小布施村で酒屋を手広く商いをしていた豪農商のもとに生まれた高井鴻山が居た。
若くして高井家11代の当主でもあり、儒学者でもあり、蘭学者でもあり、浮世絵師として北斎の弟子でもあった。
この高井家に代々受け継がれている高さ60から70cmほどの陶器の壺がある。
そして、北斎の娘応為が書き記した1通の手紙が残されている。
油質絵具の製法として、「荏の油に鉛の鉄砲玉の削り粉をいれ、密封して土中に60から70日埋める方法」が伝授されているのだそうだ。
まさに、黒色に輝く陶器の壺が小布施の高井家の庭に埋もっていたに違いない。
「荏の油」とは荏胡麻から搾り取られた希少な油、油絵具としては乾燥の早い最良のものと北斎は考えた。
当時、上州などで栽培されていた(嬬恋村にはサトイモですべって胡麻で眼をついてけがをする、と言われてサトイモの代わりにジャガイモ、胡麻の代わりに荏胡麻を栽培するのだ、という言い伝えがある)。
「荏の油」はもともとは中国伝来の貴重な漢方薬、大きな陶器の壺をいっぱいに満たすには輸入品だけでは心もとない。
高井鴻山は自ら荏胡麻を自家栽培、大量の「荏の油」を調達したのではないかと見られている。
そして、この「荏の油」の中で鉛の粉は酸化鉛となり、油絵具の乾燥をより促進する役目を果たした。
そして顔料は朱・鉛丹・石黄・岩緑青・花紺青・べろ藍・藍、それに4千4百枚の金箔。
特に鳳凰の頭部分の深い赤色には日本古来の古代朱、支那輸入の紅、朝鮮の最純の辰砂、南洋よりやってきた珊瑚、支那四川省の鶏地石、これらの贅を尽くした貴重な顔料が陶器の壺で熟成された最純の「荏の油」で融解されて用いられたとみられる。
絵具材料が150両(江戸後期の物価から推定すると1,000万円前後)にも登ったと言われている。
高井鴻山の財力と絵画芸術に対する高い思慮、そして、「画狂老人」たる北斎の執念、それに加えて北斎の娘応為の隠れたる影なる援助、これが最高度に融和した小布施の傑作文化財だ。
それに北信州の豊かな自然、真っ赤に染まる紅葉が彼らの永遠なる色彩を残す動機になったとも言われている。








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# by hanaha09 | 2018-04-08 16:21 | 田舎暮らし | Comments(0)

花炭の勧め

この前からアカマツや、ドイツトウヒの松ぽっくりやら、ホウの実やらを拾って来てたので、炭にした。
飾り物にする花炭だ。
手間はそんなにかからない。
せんべいのカンカンがあれば良い。
カンカンにアルミフォイルを敷いて松ぽっくりやらを入れて蓋をする。
これを火に掛ければよい。
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どんどん火をくべて、およそ2時間。
小さい穴を開けた蓋から白い煙が出てこなくなるとOK。
この白い煙の主成分はCOとH2、燃える。
燃えないと一酸化炭素中毒にもなる、屋内では出来ない。
出来上がれば冷やして、ドキドキしながらおもむろに蓋を開ける。
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結構うまいことできている。
マンション住まいの子どもが大方を持って帰った。
締め切った部屋での消臭効果は抜群なのだそうだ。
出来立てのしばらくは木酢液の香りがして恍惚感のあるなんとも言えない気分になる。
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部屋のちょっとした装飾にも良い。
ただ、長く置いておくと埃がたまって表面が白くなってしまう。
年に一度くらいは新しくするのが良い。










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# by hanaha09 | 2018-04-07 17:59 | 田舎暮らし | Comments(0)

やまらのおろち

日本書紀にはこう記されている。
『素戔嗚尊(すさのお)は天より降って出雲の國の簸(ひ)の川上に到った。
川上で泣き声が聞こえた。
脚摩乳(あしなづち)と手摩乳(てなづち)という老夫婦とその娘奇稲田姫(くしいなだひめ)だった。
この夫婦にはもともと八人の娘がいた、が、毎年一人ずつ八岐大蛇(やまたのおろち)という怪物に食べられてしまい、末娘の奇稲田姫だけになってしまった。
奇稲田姫ももうじき食べられてしまうので、悲しくて泣いていたのだという。
素戔嗚尊は、「八岐大蛇を退治する代わりに奇稲田姫を嫁に欲しい」と申し出た。
老夫婦に八回醸した酒を作らせ、八面に塀を立て、各々一つずつ樽を置き、酒を盛らして待った。
やってきた大蛇は酒を飲もうとして、頭を各1つの樽に入れて飲み、酔って眠ってしまった。
そこで素戔嗚尊は十握剣(とつかのつるぎ)を拔いて、ずたずたに八岐大蛇を斬って退治した。』
素戔嗚尊は奇稲田姫とともに結婚の地を探して、出雲の淸地(すが)を訪れ、宮を建てて暮らしたということだ。

江戸時代になって、浮世絵師勝川春章は『百慕々語(ひゃくぼぼがたり)』を描いた。
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江戸時代の夏の定番遊び「百物語」という怪談トークショー(怪談を100話語り終えると、本物の怪が現れるとされる。但し99話で終わって朝を待ったらしい)のもじりで、「慕々」とは女性のアレのこと。
古典と妖怪とエロをコラボさせた『百慕々語』、その一つがこの絵。
「やまたのおろち」は「やまらのおろち」に、「くしいなだひめ」は「いやだひめ」に、8つの酒甕は「慕々」になっている。
古典や伝説などのパロディがたくさんある浮世絵だが、元ネタを知らなきゃ面白くもなんともない。
江戸の庶民たちに古典などの知識が広く知られていた一つの証拠であろう。












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# by hanaha09 | 2018-04-06 12:10 | 田舎暮らし | Comments(0)

軽井沢の春

日本が議長国を務めた2016年の主要国首脳会議(サミット)には、実は軽井沢町
は開催地としての誘致活動を進めていた。
ポスターやチラシが出来たり、スイスまで視察に行ったり、幼稚園ではサミット給食なるイベントもやった。
残念ながら三重県の伊勢賢島の志摩観光ホテルに敗れた。
そして、今回2019年に日本で開く20カ国・地域(G20)の「持続可能な成長のためのエネルギー転換と地球環境に関する関係閣僚会合」の開催が、軽井沢町に決まった。
新幹線等の交通機関、緊急医療体制、皇室関係の警護などの警護体制に慣れている、あと、国際化が進んでいるのが売り込みなのだそうだ。
確かにこのところ軽井沢には外人が多くなった。
スーパーにも外国語の注意書きがあちこちに貼ってある。
総菜売り場まで進出してるので、嬬恋村からやってきた日本人は、なんだか気おくれしてしまう。
この軽井沢にも春がやってきた。
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プリンスホテルの前のこぶしの花が真っ盛り。
向こうの山にはまだ雪が残ってる。
軽井沢町の町長は「国際会議都市として万全の態勢で各国の首脳をお迎えしたい」と話しているのだそうだ。






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# by hanaha09 | 2018-04-05 17:32 | 田舎暮らし | Comments(0)

海からやってきた江戸時代のUFO

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享和3年(1803)2月22日常陸国(ひたちのくに 現在の茨城県)はらやどりの浜の沖合いに怪しげな舟が浮かんでいた。
村人たちはたくさんの船を出し、浜に引き上げた。
舟は丸く、長さ5.4メートルほど。
ガラスの障子が上面にあり、下面は鉄の板でできていた。
そして中には、2尺四方(60センチ)の箱を大事に抱えた、髪・眉が赤く、肌は桃色と美しく、白い付髪を長く垂らした女がひとり乗っていた。
舟内には二升ほど小ぶりの瓶に入った水や「菓子のようなもの」「肉をねったような」食べ物ががあった。
内壁には見たことのない文字が多く書かれていた。
外に出てきた女に「どこから来たのか?」と聞いても言葉が通じず、困った村人達が相談する様子を、女はにこやかに見ていた。
結局、村人達は後々面倒なことにもなりかねないと、女を舟に戻して再び沖に流してしまった。
高名な国学者屋代弘賢の著した『弘賢随筆』に語られている。
この話は「空飛ぶ円盤説」「ヨーロッパからやって来た女性説」「謎の神伝説」「ただ単に語られた噂」「創作、または伝聞を大幅に脚色したもの」と諸説芬々。
江戸時代にはすでに地球は丸い、地動説が知られていた。
惑星(水星、金星、火星、木星、土星)も知られていた。
暦も正確に計算され、日食、月食も予測されていた。
未知なるUFOも想像される余地は十分にあった。






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# by hanaha09 | 2018-04-04 18:17 | 田舎暮らし | Comments(0)