ブログトップ

あるちゅはいま日記

hanaha09.exblog.jp

<   2018年 05月 ( 31 )   > この月の画像一覧

シャクナゲ園はツツジ園へ

シャクナゲ園、15万本のアズマシャクナゲは花が終わった。
いまはヤクシマシャクナゲが見ごろ。
向こうは本白根山。
b0126549_17041364.jpg
b0126549_17042901.jpg
きれいねぇ。
そしてもう一つきれいなのがこれ。
b0126549_17051736.jpg
レンゲツツジだ、シャクナゲ園からツツジ園へ変身だ。
色がきれい、それに花がいっぱい。
ちょっと曇りがちの天気がまた色鮮やか。
向こうは浅間山。
カッコウも鳴くし、ホトトギスもウグイスも鳴く。
こんなのも咲きだした。
b0126549_17074597.jpg
コマクサ、本白根山のコマクサは火山噴火警戒警報で入山することができない。
もう少し花が咲くとよいねぇ。
嬬恋村は自然がいっぱいだ。



[PR]
by hanaha09 | 2018-05-31 17:10 | 田舎暮らし | Comments(0)

温泉は良いねぇ。

このあたりの冬は寒い。
毎年、薪が足りるかなぁと心配しながらストーブを焚く。
結局いつも薪は余る。
でも、この年で心配しながら冬を過ごすのもばからしくなった。
今年はいつもの倍の10tonの薪を用意することにした。
切っては割り、切っては割りで腰、手足、あちこちじわじわと応えてきた。
今日は休養日、いつもの鹿沢温泉に湯治に出かけた。
昼間に早く行ったもんで...誰もいない貸し切り風呂。
b0126549_16240351.jpg
b0126549_16242637.jpg
露天がいいねぇ。
湯船の淵にはシチリア産のレモンを使った「氷結」。
新緑の林からは聞こえるかねぇ、ハルゼミの合唱だ。
ついつい居眠りしながらの長湯になった。
あがって、冷たい水をいただくとこんな色紙が。
b0126549_16303419.jpg
いいねぇ、心も体もふわふわに軽くなった。



[PR]
by hanaha09 | 2018-05-30 16:07 | 田舎暮らし | Comments(0)

神々の山、エベレスト

b0126549_08584199.jpg
「世界の母なる女神」と言われる最高峰エベレスト。
1953年の5月29日、ニュージーランドのエドモンド・ヒラリーとシェルパ族のテンジン・ノルゲイが、300人のスタッフを抱え世界で初めて登頂に成功した。
確か、小学校の教科書にも載ってた記憶がする。
その日から60年を過ぎた今や登頂者数は5,000人を超え、シーズンの5月のエベレストへの道は渋滞ができる過密状態になるそうだ。
b0126549_09174076.jpg
事故も起きる、亡くなられる登山家、シェルパも結構多い。
標高が8,000mを超えるエベレストの環境は過酷である。
空気中の酸素濃度は地上の約3分の1となる、 この領域をヒマラヤ山脈の8000メートル峰に挑戦する登山家がデスゾーンと呼んでいる。
人体は高所順応せず、酸素が補充されるよりも早く酸素の蓄えを消費する。
酸欠状態になると、脳細胞が死んでいく。
ボクシングでボコボコに殴られてノックダウンされるのと同じレベルで脳細胞が死ぬん行くんだそうだ。
頂上から250mの地点で倒れたアメリカ人の女性登山家、他の登山家が到着した時にはほとんど力尽きてたそうだ。
ベースキャンプで無線を聞いてた人たちもどうしようにもない。
最後に残した言葉は「私を置いてかないで!」、むなしくそのまま凍ってしまった。
その遺体が10年来、凍ったまま登山家の通り過ぎる道端から目に留まるのだ。
このようにデスゾーンにはおそらく200体を超える遭難による遺体がそのままに残されているそうだ。
このデスゾーンでは自らがやっと動けるのが精一杯、遺体を担ぎおろせる余裕などは無い。
急峻な岩陵だらけのルートはソリなどの使用ができない。
じゃあヘリコプターを使えば?
標高8,000mを超える希薄な大気中ではヘリコプターは浮力を得られず墜落する。
-25から-30℃の平均気温で遺体は永遠に凍結保存される。
白骨化すれば遺骨として回収できる可能性もあるが、これも望めない。
凄い世界なのだ。
何度かの挑戦でエベレスト登頂を目指した日本人登山家が滑落で亡くなられた。
標高が6,000mほどだったそうなので遺体はヘリコプターで下山できたそうだ。
エベレストはやはり人を近づけようとしない神々の山だ、合掌。







[PR]
by hanaha09 | 2018-05-29 09:57 | 田舎暮らし | Comments(0)

蕨を採りに出かけた

万葉集で志貴皇子が詠んだ。
「石ばしる 垂水の上の さ蕨(わらび)の 萌え出づる春に なりにけるかも」、ワラビの新芽が”童の手”のようだから...わらびと名付けられた。
また、アク抜きしたワラビの色が燃やした藁に似ていることから「藁火」という。
どちらもぴったりとくるものがない、語源は結局よくわからない。
昔わらびが採れたところだろうか、「蕨」と名のつく地名も結構ある。
江戸時代後期に米沢藩が飢饉に供えて作成した”かてもの”という書物がある。
わらび粉の製造方法が細かく記されている。
「11月頃にわらびの根を掘り、水洗いしたものを木製の細長い舟のような器の中に入れて杵で搗きつぶす。根舟という舟に入れ替えて水を張り、澱粉を沈殿させて、わらび粉を得る。」
これがわらび餅の原料となった、飢饉、食料難の際の蓄えとなった。
今のわらび餅の原料はじゃが芋澱粉だそうだ。
b0126549_17163029.jpg
靑わらびは普通のわらび、藪わらびは草丈70cmほどにもなる、柔らかくて太く粘り気のあるのを言う。
浅間山山麓へ続く道端で採ってきたわらびは普通の青わらび。
卵とじがおいしい、ばら寿司もおいしい、炊き込みご飯も良い...




[PR]
by hanaha09 | 2018-05-28 17:23 | 田舎暮らし | Comments(0)

薪割りは楽しい

b0126549_12262944.jpg
b0126549_12273417.jpg
レンゲツツジも真っ盛り、ベニバナイチヤクソウも咲いた。
気温はぐんぐん上がって正午には22.8℃になった。
今日は薪割りだ。
b0126549_12284472.jpg
今年はあんまり太いのが無いので一発でポカーンと割れるのが気持ちが良い。
丸太の薪に「くそーくらへー」と斧を振り下ろすとまさにストレス解消だ。
人生もいろいろだが、木にもいろいろある。
まっすぐに素直に育った樹はスカーンと真っ二つ。
b0126549_12331873.jpg
「ざまぁみろー」と叫びたくなる。
ところが一見すなおなようだが、ひねくれた節を隠し持ってるのはしつこくてなかなか割れない。
嫌な奴だ。
b0126549_12353922.jpg
中には大きな節くれが頑張ってるのもいる。
なかなか厄介だ。
何度も何度も斧を振りかざし挑戦する。
やっとのことで真っ二つになった時にはカチドキを上げたくなる。
b0126549_12390914.jpg
薪があれば、今年の冬は凍え死ななくて済む。
あと米と味噌があれば何とか生き抜ける、山の生活だ。







[PR]
by hanaha09 | 2018-05-27 12:42 | 田舎暮らし | Comments(0)

浅間大明神

江戸幕府の命により、元禄に引き続き天保9年(1838年)に完成された全国規模の絵図が「天保国絵図」。
3年ほどの期間を要した大地図だ。
b0126549_18453793.jpg
b0126549_18463430.jpg
b0126549_20005510.jpg
ちょうど三つ尾根嶺と浅間山の間の少し降りたところに浅間大明神が描かれている。
立派な建物がそこには描かれている、そして他の神社仏閣はこの絵図には描かれてなく、この地を代表する大明神に違いない。
天明3年(1783年)、浅間山大噴火の際に起こった土石なだれで埋もれた鎌原村の延命寺は浅間大明神の別当寺だ。
想像を絶するような浅間山の大噴火に仰天した、延命寺の住職は鎌原村の名主をはじめとする有力者を引き連れこの浅間大明神に向かった。
大噴火が早く収まってほしいと、浅間山をご神体とする大明神様にご祈祷に行ったそうなのだ。
天明3年8月4日には火砕流が発生した。
火砕流は二手に流れ下った。
一つは六里ヶ原を流れ下り、王領地の近くの紀州ホテル南側で止まった。
もう一つは藤原の熔岩樹型方面に流れ下った。
火口付近からは灼熱の溶岩が流れ下っていた。
浅間山の大噴煙を上げての噴火の際から熔岩が流れ出てきていた、というのが最近の説だ。
熔岩流も二手に分かれ、一つは6kmほど下流の水源地付近、もう一つは熔岩樹型のすぐ近くまで。
8月5日に鎌原村を襲った土石なだれは鬼押し出し方面から今の鬼押しハイウエイ沿いに下って神庭r村を埋め、吾妻川に流れ込んだ。
さて、浅間大明神まで出かけた延命寺のご住職とその一行は鎌原村には帰ってこなかった。
おそらく、いずれかの浅間山噴火に巻き込まれたものと思われる。
ひょっとすると浅間大明神のお社と共に流されたかもわからない。
いずこかに消え去った浅間大明神。

しかし... ちょっと待って!!
噺が違う!!天保9年の国絵図には浅間大明神はちゃんと載ってるではないか。
天明3年の浅間山噴火後にも浅間大明神は残ってったのだろうか?
ということはいつ消え去ってしまったのだろうか?
謎だ。







[PR]
by hanaha09 | 2018-05-26 20:04 | 田舎暮らし | Comments(0)

ホトトギス

カッコウ、ハルゼミに加えホトトギスも鳴きだした。
「トウキョウトッキョキャキャキョク、トウキョウトッキョキャキャキョク....」
カッコウと似てひつこく鳴く。
朝も早く、夕も遅く、雨が降っても鳴く。
カッコウと同じく南の国からやってきて卵を産むのだが、このホトトギスはウグイスの巣に産み付ける托卵を試みる。
自分で卵を温めても体温調節がへたくそでうまく卵がヒナに孵らない。
なんともいい加減なホトトギスなのだが、その鳴き声のように昔から人に親しまれる鳥の一つだ。
かの有名な言い伝えがある。
織田信長は、
「鳴かぬなら殺してしまえほととぎす」、と。
b0126549_13072306.jpg
新しいもの好きで奇抜。
古い習慣や迷信にとらわれず、勝てる可能性があれば有無を言わせず攻める。
独裁欲が強く、従わない部下はすぐ首に。
豊臣秀吉は、
「鳴かぬなら鳴かしてみせようほととぎす」、と。
b0126549_14112295.jpg
信長から引き継いで大阪城を築いた。
状況に応じて、素早く行動に打ってでるのは現実的。
その反面、腹黒くて残酷。
年貢取り立てのために行った太閤検地。
鳴かされたのは多くの農民。
徳川家康は、
「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」、と。
b0126549_14115933.jpg
関ヶ原の戦いに勝利した家康は江戸に幕府を開いた。
努力家で忍耐力がある小心者。
家来たちに意見をさせてはなかなか決めなかった。
これが260年にもわたる長期政権となった。
さてさて、今の日本やアメリカ等の為政者たちは鳴かぬホトトギス(言うことを聞かない国)をどうするのだろう?







[PR]
by hanaha09 | 2018-05-25 14:12 | 田舎暮らし | Comments(0)

冬支度の始まり

昨日は雨が降って寒かった。
で、ストーブを焚いた。
b0126549_17204748.jpg
もう5月も半ばが過ぎたと言うのに...
外には楢の原木が届いた。
今年の冬用の薪材だ。
b0126549_17232452.jpg
切って切って、斧で割って割って、およそ5トン。
ストーブを焚きながらの冬支度の始まりだ。
薪が無いと凍えて死んでしまう。
山の中の生活もなかなか大変だ。



[PR]
by hanaha09 | 2018-05-24 17:25 | 田舎暮らし | Comments(0)

木賊、トクサと読む

鹿沢園地に群生をしていたトクサ。
b0126549_18160510.jpg

木賊もしくは研草と漢字で書く、歯磨草とも。
昔々、生まれた家の外の水道の蛇口の下に植わってた。
和風庭園には欠かせないものらしい。
このトクサ、茎にたくさんの節を持ち、中は空洞。
茎の表皮細胞の細胞壁にプラントオパールと呼ばれる珪酸物質が蓄積し、硬い表面を持つ。
古来、茎を煮て乾燥したものを研磨の用途に用いたので、研く草(トクサ)と名付けられたようだ。
いまでも、高級つげぐしの歯や漆器の木地加工、木製品の仕上げ工程などに使用されているのだそうだ。
幼少の頃には兄貴連中がクラリネットのリードを磨くのに使ってたのを見たことがある。
茎を乾燥したものは木賊(もくぞく)と呼ばれる生薬、煎じた液を飲用すると目の充血や涙目に効果があるということだ。
そしてこのトクサ、地下茎で繁殖するため条件がそろえばかなりの速さで増え続ける。
あたり一面トクサだらけになる、これが木賊たる所以かな?
また、このトクサを使って歯磨きをしたそうだ、これも歯磨草の所以。
小話にあるそうだ...
「明治の頃、郵便夫があまりにも草履がすり減るので困り、すり減りそうにないこのトクサで草履を編んだそうだ。確かに草履は擦り減らなかったが郵便夫は足先からすり減り頭だけになったとか...」
トクサ恐ろし、スギナの仲間である。







[PR]
by hanaha09 | 2018-05-23 19:00 | 田舎暮らし | Comments(0)

碓氷峠に登場した1000型電気機関車

b0126549_18292654.jpg
b0126549_18294910.jpg
しなの鉄道軽井沢駅を入ると静態保存されている鉄道記念物のアプト式電気機関車10000型だ。
明治時代に入り、太平洋と日本海を結ぶ鉄道輸送が軍事・経済上に重要なポイントトなってきていた。
上野と碓氷峠の高崎側である横川まで1885年に、軽井沢と直江津間が1888年に開通を見た。
この碓氷峠、およそ10kmの間に横たわるのが標高差500mの急峻な勾配だ。
当時の日本の鉄道技術ではこの勾配を乗り切ることはできなかった。
明治政府はドイツにあった登山鉄道のアプト式を採用を決定、鉄道技師長のボナールがその指揮を執った。
そして1893年4月1日に66.7パーミルの急こう18の橋梁と26のトンネルを擁する官営鉄道碓氷線が着工1年9か月後に開通した。
しかし、当時のアプト式蒸気機関車でこの峠を越えるのは簡単ではなかった。
トンネルの連続による蒸気機関車の煤煙の問題から、乗務員の中には吐血や窒息する者も現れたそうだ。
いち早く電化の声が高まり、1911年に横川駅付近に火力発電所設けられて1912年には日本で最初の幹線電化がかなった。
その際に導入されたのがドイツのアルゲマイネ社(実は機械部分はアプト式蒸気機関車を制作したエスリンゲン社担当)で碓氷峠専用として製作・輸入されたこの10000型アプト式電気機関車だったのだ。
b0126549_19450422.jpg
良く見てみると面白い。
機関車重量は43ton、重すぎる。
当初に2軸設計だったものが3軸に変更されている、いい加減な設計だ。
たぶんエスリンゲン社のアプト機構が重量オーバーの原因かもわからない。
集電機構はトンネルの断面から第三軌条からなのだが、機関車の屋根にはポールがついている。
駅構内の分岐が多いと第三軌条は複雑かつ危険なので構内では架線からの集電としたようだ。
この電気機関車にはアプト式のラック駆動用のモーターが採用されていた。
ラック区間を過ぎるとこのモーターは負荷が無くなると過回転して壊れてしまう。
ラック区間を過ぎる地点に「打ち子」というバーを架線柱につけて置き、この「打ち子」が電気機関車の屋根に取り付けられたスイッチに触れアプト用のモーターが遮断されるような仕掛けがあった。
こんな仕掛けを秘かに学んだのが日本の技術者たち、1934年(昭和9年)の純国産電気機関車を完成させたのがED42型アプト式電気機関車だ。
b0126549_20091303.jpg
こちらは横川の碓氷峠鉄道むらの保存されている。
技術者たちの英知が超えた碓氷峠だった。









[PR]
by hanaha09 | 2018-05-22 20:18 | 田舎暮らし | Comments(0)