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あるちゅはいま日記

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年越しうどん

我が家は蕎麦でない年越しうどん。
今日は朝からメリケン粉(戦後アメリカからやってきた小麦粉なのでじいちゃん、ばあちゃんはこう呼んでいた)を1kg(この量はほぼ10人前、餓鬼どもはこれをペロリと平らげる)をこねこね。
そして、この後はビニールの袋に入れて足で踏む。
時々袋が破れて足の指がぐにゅと入ってしまう。
今日も起こった、靴下の上からぐにゅぐにゅ...
誰にも言ってはいけない秘密事だ。
後はしばらく寝かせて、また足踏み数回。
丸めて伸ばして細長く切る。
今日は餓鬼どもがうどんを伸ばして切った。
手伝う前には爪を切れ、手を石鹸でよく洗え、その後はアルコールで消毒だ!
なんてうるさく言ったんだが”足踏みぐにゅぐにゅ”はあくまで内緒だ。
そして湯がいて食べた。
釜玉うどんの出来上がり。
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蕎麦よりも太く長く長寿を願い、
蕎麦よりも腰があって切れにくい今年の福を来年も、
うどんにはあんまりないビタミンB1は脚気もないので必要ない、
蕎麦に含まれている「ルチン」成分が血圧を下げると言われているが、この前医者が計った血圧は118だったので必要ない、
金細工師が、金銀の粉を集める時にそば粉を使ったことから、「金を集めるもの」として「そば」が好まれるのだが、もともと貧乏人には縁が無い。
うどんに縁起を担ぐ、どこぞやらの「うどん県」出張所だ。







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by hanaha09 | 2017-12-31 20:00 | 田舎暮らし | Comments(0)

寒ブリ

お正月は何かと物入りだ。
餓鬼どもが「寒ぶり」を食べたいなどと言い出して...
直江津の手前の新井まで買い出しに行った。
餓鬼どもは車の後ろで騒ぐし、菅平から須坂へ下る道は雪が凍ってズルズル滑る。
ゆっくり走ると後ろに車が一杯つながる、といって除雪が十分でなく道幅は狭くよけてあげるところが無い。
イライラするだけの運転手。
3時間ほどもかかって新井の魚屋さんまで着いた。
さすが年末でお客も一杯、魚もカニも一杯。
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店の前には塩じゃけも一杯。
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佐渡で採れた寒ブリとメバルとするめいかをゲットした。
財布も見る見るうちに空っぽになった。
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帰り道ついでに餓鬼どもに小林一茶の晩年の住まいを見せてやった。
残念ながら誰も訪れないんだろう、雪の中に埋まっていた。
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「これがまあ  終(つい)のすみかか  雪五尺」一茶
5尺も雪は無かったが、一茶のくやしさしみじみと...



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by hanaha09 | 2017-12-30 19:26 | 田舎暮らし | Comments(0)

松かざりを作った

松飾りを作る時期はなかなか難しい。
年末の29日は二重苦で良くない、30、31日は一夜飾り、一日飾りと言って歳神さまをないがしろにすることになりよろしくない。
ということで昨日は朝から寒かったが、松やら笹やらを採ってきた。
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いつものとおり勝手流の松飾り。
まあ、歳神様には理解をいただこう。
本年は少しお金を張り込んだから...
ゴボウ締めをホームセンターで396円で買った。
今年はツルウメモドキも採りにいかなかったし、ニシキギの赤い実もなかったので南天をスーパーで412円で買った。
橙の代わりの青島ミカンはいつものいただき物。
松竹梅ではない松笹南天蜜柑飾りになった。
それぞれに神が宿り、歳神さまの依り代になるであろう。
来年も生きてるのかなぁ。









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by hanaha09 | 2017-12-29 13:43 | 田舎暮らし | Comments(0)

江戸時代のお正月

年の瀬で雪が降るわ、寒いわで一日布団の中で寝ていたいのだが...
餓鬼どもが街からやってくるので何かとせわしい。
江戸時代のお正月を覗いてみよう。
まず、初詣...
お正月には神社仏閣に参拝する行事はあった。
住んでいる所からその年の恵方(歳神様がいる方角)にあたる社寺に参拝する。
氏神さまにも参った。
恵方に関係ないあちこちの初詣は明治・大正時代になってから。
おせち料理...
今のデパートやら通販で売ってるおせち料理とはちょっとイメージが違った。
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「食積(くいつみ)」と呼ばれて歳神さまにお供えするだけで食べてしまうことはなかった。
見るだけの「食積」は明治になって姿を消した。
お年玉...
もともとはお餅、歳神さまにお供えされていた餅のお下がりを家長が家族みんなに配った。
歳神さまの魂つまり「年魂(としだま)」が名前のゆかりだとも。
年賀状...
平安時代の貴族の間では、歳初めのご挨拶にあちこち出かけていた。
遠くの知人には書状を送った。
江戸時代には飛脚も発達、この書状はますます流行った。
お侍さんは「新年之御吉慶目出度申納候(しんねんのごきっけいめでたくもうしおさめそうろう)」と書いたのだそうだ。
子供たち...
寒さにもかかわらず子供たちは外で元気に遊んだ。
女の子は厄除け行事がルーツと言われる羽根つき、てまりが人気の遊び。
男の子は凧揚げが定番。
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参勤交代の行列に凧が落ちたりして幕府よりの禁制令も出たりした。
晴れ着...
歳神様をお迎えして新しい1年の始まりとなる正月には着物も特別、晴れ着のあるものは晴れ着、ない庶民は帯びや草履やら何か一つ新品を揃えた。
愈々吉原...
「不夜城 吉原」もお正月は完全にお休み。
遊女たちもホット一息、朝から風呂に入って髪をつくろい、妓楼の大広間に主人をはじめ遊女や禿、下男など全員が集まり、雑煮を食べて新年を祝ったそうだ。
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ただ、初見世(初営業)は2日から、この日は遊女たちは贔屓の茶屋に挨拶に出向く。
今のお役所とはずいぶん違う「仕事納め」と「仕事はじめ」だ。






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by hanaha09 | 2017-12-28 08:29 | 田舎暮らし | Comments(0)

平均寿命の話

寒いねぇ、今日は昼間でも-7.4℃。
こんな寒さでふるえていると寿命も縮まる?
その寿命のお話を...
江戸時代の人々の平均寿命は30~40歳と言われている。
特に乳幼児の死亡率が高かった。
「7歳までは神のうち」、7歳になってようやく人間社会に加えてくれる。
七五三の祝いとはその印であり、神への感謝を表す今とはとてつもなく重い行事であった。
と、いうが成年に達した人々は長生きもした。
徳川家康は73歳、真田の殿様信行は93歳、あの葛飾北斎は88歳までその人生を全うした。
明治に入ると日本人の平均寿命は42~43歳、昭和に入ると徐々に伸び男女ともに50歳の大台を迎えたのが戦後の昭和22年。
戦後は経済の成長と共に寿命はどんどん延びて昨年度の調査では男80.98、女87.14歳。
世界トップの長寿国となった。
平均寿命とはこの年、2016年に生まれた人は社会情勢などに大きな変化がない限り平均的にこの寿命まで生きられることを意味するのだそうだ。
例えばこの年の年齢が70歳の人はこれから男19年、女20年を生きることになるそうだ。
まだまだ生きなければならないねぇ。
そして、太平洋を越えた一番の経済大国アメリカの平均寿命は男76.1歳、女81.6歳、世界では男女合わせて31位になる。
日本人の平均寿命はどんどん延びてきているのだが、アメリカ人の平均寿命は2年連続で落ちて行ってるのだ。
その原因とは、薬物死などの「意図しない外傷」と「アルツハイマー病」「自殺」の死亡率が上昇しているのだそうだ。
特に薬物過剰摂取による死者は前年比21%増の6万3000人。
うち4万2000人超がオピオイド乱用が原因なのだそうだ。
オピオイドとは強力な麻薬中毒性鎮痛剤、炭坑や製造業などの肉体労働者がけがや慢性痛の痛みを緩和させるために使用、乱用されているのだ。
しかし、どんどん閉鎖されるアメリカの製造業で失職した労働者には手に入らなくなる。
その後には違法薬物に手を出す悪循環に陥るのだ。
中毒者の多い地域と衰退した産業地帯(ラストベルト)とほぼ一致するのだそうだ。
トランプ大統領は今年10月、オピオイド問題に関し「公衆衛生上の非常事態」を宣言。
薬物流入の経路としてのメキシコ国境の壁問題も何か理解できるような気がしてきた。
日本においてもしっかりとした経済対策を含めた政治、それを選択する国民の責任が大きく問われる時がそこに迫ってきてるようだ。






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by hanaha09 | 2017-12-27 15:46 | 田舎暮らし | Comments(0)

ピピ島の大津波

2004年2月26日(13年前の今日の話だ)、スマトラ島沖で最大級の大地震が起こった。
マグニチュード9.1、東北太平洋沖地震の1.4倍の規模だった。
海底4,000mで発生した津波はアンダマン海を比較的ゆっくりとした速度で北上した。
地震のおよそ2時間半後にタイ王国の南の楽園、プーケットのピピ島を襲った。
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ピピ島はこんな恰好、船着き場の辺のくびれたところを6-7mと言われる津波が通り過ぎていった。
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埠頭のすぐ前にあるホテルがどこもかしこも破壊された。
島の繁華街にあったレストランやクラブ、おみやげ店など、一切が壊滅的に破壊された。
この島で発見されたご遺体の多くが外国人であり、日本人も多く含まれていた。
2007年12月このピピ島を訪ねた、津波の跡も何も感じさせない普通の観光地だった。
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現地のガイドさんの話では、このあたりでは今もなお2,000人もの犠牲者の方が行方不明なのだそうだ。
そして、夕方の伊勢海老バーベキューにお誘いを受けた、さすが参加はためらわれ丁寧にお断りをした。
今年で13年目、各地では慰霊祭が開かれているそうだ。
「津波は地震の揺れにより、何度も波状的に襲い掛かる。
後の津波ほどエネルギーが大きくなる。
津波が上陸する際の速度は100mの陸上選手が駆け抜けるほどである、逃げても逃げても追いつかれる。
高台につながる道はたいていは岸に並行していることが多い、逃げるのには時間がかかる。
通常1m高の津波では家は半壊、2mあれば木造家屋は簡単に破壊される。
引き波により陸上の建物、家財、人すべてをさらって行く。」
実際に現場を見た防災専門家の言葉にも情報をいち早く知り、理解し、一早く逃げることが強調されている。
今一度思い起こすことが必要だ。









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by hanaha09 | 2017-12-26 10:25 | 田舎暮らし | Comments(0)

今日は改元の日

ほとんどの人が今日はクリスマス、キリスト生誕の日と思ってるんだろうが...
実は「昭和改元の日」なのだ。
当時の改元の詔書発布時の閣議書だ。
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1926(大正15・昭和元)年、大正天皇が崩御し、皇太子であった裕仁親王が践祚(せんそ)した。
践祚とは、簡単に言えば、「天皇の位を継ぐこと」。

東京日日新聞(現在の毎日新聞)は、「新しい元号は『光文(こうぶん)』になるらしい」という 情報を得、政府の公式発表の前に「元号は『光文』に決定」と報じた。

しかし、「光文」は新元号の候補の中にあったが、政府内では既に「昭和」に決定していた。

大誤報だった。

「昭和」の由来は、四書五経(ししょごきょう)と言う儒教の経書の中の一つで 「百姓昭明、協和萬邦」(百姓(ひゃくせい)昭明にして、萬邦(ばんぽう)を協和す)を採ったものなのだそうだ。

要するに、「国民の平和および世界各国の共存繁栄を願う」と言う意味。

としながら、政局は願いにかなわず太平洋戦争に突入してしまうことになる。

そして敗戦後、人々は忍び難きを忍び、耐え難きを耐え平成のこの世の礎を作り上げてきた。

最近はpinterestでも”昭和レトロ”が結構流行り。

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昭和生まれの生きざまなんてものは、もうすぐ古典の類になってしまうのだ。

もうすぐ平成も終わりになる。

年はよりたくないねぇ。





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by hanaha09 | 2017-12-25 11:17 | 田舎暮らし | Comments(0)

昔の街道

江戸時代は「元禄十五年上野国絵図」にある古地図のコピーをいただいた。
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元禄十五年と言えば赤穂浪士の討ち入り事件の年、天明三年の浅間山噴火がまだやってきてない年だ。
右上が信州との国境、鳥居峠。
左下に斜めに流れてきているのが吾妻川。
川に沿って大笹街道から続いて真田道(どこからを真田道というのか良くわからない)、これが今の国道144号線にほぼ等しい。
この地図を見る限り、国道そのものが限りなく江戸時代の街道筋に近い、それも吾妻川を越える橋の場所も近似している。
この橋をたどってみた。鳥居峠から吾妻川の左岸をを下ってきた街道は大笹村の手前で右岸に渡る。
「歩いて渡る、川幅九間(16mちょっと)」とある。
長井川原のあたり?関所の抜け道もこのあたりに出てきたとあったのでまず間違いなかろう。
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大笹村手前に大笹関所があった。
その手前、鹿の籠沢(今の小武沢)には有事の際には切り落とすことのできる跳ね橋があった。
「橋長十三間(23.4m)幅八尺(2.4m)」跳ね橋の記述は無し、大笹村では「馬次、百七十八石余」とある。
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”馬次”とは次の宿場までの荷駄の積み替え、馬の交代場所。
大笹村の記録には松代藩・飯山藩・須坂藩の米など三俵積みの馬が一万頭も通過したという記録が残っているのだそうだ。
”百七十八石余”とは米の収穫量の単位、およそ150kg、ほぼ一人が1年間に消費する量でこの石高に相当する人口を擁することができる。
大笹村からは鎌原村を通過し、高崎に抜ける信州街道、信州沓掛に抜ける沓掛道と別れる。
真田道は大前村の手間でまた吾妻川を右岸に渡る。
「橋長十間(18m)、幅六尺(1.8m)」。
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今の嬬恋橋のあたりは結構深い谷で十間では橋が短すぎる様子...もうちょっと川幅の狭い所を通っていたかもわからない。
そして大前村でも「馬次、百五十四石余」とある、結構にぎやかであった。
そして行くと西窪村「五十一石余」、現在の国道は村を抜けると吾妻川を右岸に渡るが街道はそのまま支流の万座川を渡る。
「歩いて渡る、川幅七間(12.6m)」。
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ここはそんなに水量は無いので草鞋を濡らしながら渡ったんだろう。
赤羽根村(今の三原)六十弐石、今井村百四拾三石と吾妻川左岸を羽尾村に抜けていった。







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by hanaha09 | 2017-12-24 14:52 | 田舎暮らし | Comments(0)

「つばめ」成功

本日のニュース...
「23日午前10時26分、地球温暖化の予測に役立つ気候変動観測衛星「しきさい」と超低高度で周回する試験機「つばめ」を搭載したH2Aロケット37号機を鹿児島県・種子島宇宙センターから打ち上げた。しきさいは約16分後、つばめは約1時間48分後に予定の地球周回軌道に投入され、打ち上げは成功した。H2Aが1回の打ち上げで2基の衛星を異なる軌道に投入したのは初めて。衛星2基はロケットの第2段に搭載。しきさいを最初に分離し、高度約800キロの円軌道に投入した。次に第2段を減速して降下させ、つばめを高度約450~640キロの楕円(だえん)軌道に投入した。」
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つばめは世界でも初めての超低高度衛星、今後1年9か月をかけてぎりぎり宇宙の高度180kmまで徐々に軌道を修正、各種性能確認実験を行う、とのことだ。
地球表面に近いので光学観測、レーダー観測等々小型機器で充分精度が上がる。
宇宙の未開拓領域なのだ。
つばめに積まれた小型光学センサ、重量はわずか20kg弱しかないものの、超低高度軌道からの観測により、1m以下の分解能を実現する予定なのだそうだ。
偵察衛星にとってはまさに好都合な衛星なのだが、その他の用途も展望が開けてきそうだ。
その一つが火山観測分野だ。
火山にある安山岩等の熔岩は鉄などの磁性成分を含んでおり磁気を帯びやすい。
この熔岩が上昇してきたマグマなどに熱せられると磁場が弱くなる、500℃近辺では磁場は消えてしまう。
現実に、新燃岳では噴火の前に磁場は消失していた。
火山の表面温度測定のようにタイムラグが出ないのが大きな特徴だ。
火山噴火の予知に近づけることとなる。
この磁場を正確に調べるためには、火山全体をくまなく調べる必要がある。
この超低高度衛星を利用すれば、定期的に火山の磁場観測が高精度に広範囲に安価にできることになる。
浅間山の麓に住む住人としては、是非とも成功させてもらいたいミッションだ。






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by hanaha09 | 2017-12-23 00:17 | 田舎暮らし

今日は冬至の日だ

今日は冬至の日だ。
一年中で昼が一番短くて夜が一番長い日だ。
しかし、陽が暮れる時刻が一番早い日でもない、陽が登る時間が一番遅い日でもない。
この年になって頭がひっくり返って、理解不能になってしまった。
一年間毎日同じ時刻に太陽の写真を撮影するとこんな写真になる。
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これを図解すると...
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太陽は季節によってそれぞれ高度が違ってくる。
これは自転する地球の地軸が公転面の対して斜めになっているからだ。
北半球でのこの図では夏には上方になる、冬になれば下方に来る。
もう一つは地球の軌道が楕円形であるため、地球の軌道を巡る速度に遅速が生じて来る。
よって、東西方向に太陽の位置が変わってくる。
この8の字の形をアナレンマ(analemma)とよぶのだそうだ。
この図は東経135°、北緯 35°、日本時 16時30分での計算値だ。
これを見ると確かに冬至の前の日の方が陽が早く暮れている。
現在日常で使われる時刻は太陽を基準とした「太陽時」と言うもの。
「太陽が真南に来た時から、次に真南に来るまでの時間を測って1日(1太陽日)とする。」と決めたもの。
1日の長さが決まればそれを24等分すると1時間が決まり、1時間を60等分すると1分が決まり、1分を60等分すると1秒が決まるというわけなのだ。
ところが地球の軌道が楕円形のために季節によって地球が1回転する時間に差が出て来る。
そこで、1年間の平均の一日の長さを時間を尺度に使うこととなった。
そうすると、東経 135°の場所であれば太陽は毎日正午に南中することになるのだが、実際に太陽が南中する時刻は正午から最大で16分程もずれてしまう。
おまけにそのずれは一年の間に結構複雑に変化する。
この地球の軌道をめぐる速度に遅速が生じるのを近時差による影響というのだそうだ。
現在日常で使われる時刻は太陽を基準とした「太陽時」と言うもの。
時刻と実際の太陽の動きが計算によって求められている。
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冬至の近辺では日の出が一番遅いのは1月7日あたり、日の暮れが一番早いのは12月7日付近となっている。
江戸時代にはこんなことは無かった。
陽のあるうちが昼で、陽が暮れれば夜とし、昼夜をそれぞれ6等分した。
これを一刻(いっとき)として時間を決めた。
夏至の頃の昼の一刻はおよそ2時間40分、冬至の頃ではおよそ1時間50分しかなかった。
寒い冬には早く仕事を終えて早く寝た、朝はゆっくりと起きた。
自然と共に生きた最高のエコ生活だったに違いない。







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by hanaha09 | 2017-12-22 10:58 | 田舎暮らし | Comments(0)