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あるちゅはいま日記

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カテゴリ:田舎暮らし( 2199 )

江戸時代の賭博

カジノ法案が無くても日本は昔から賭博天国だった。
なんと689年(持統3年)、持統天皇によって「双六禁止令」が出されている。
双六を使った賭博がどうにもしようがないほど時の社会に影響を与えていたようだ。
「盤双六」というのが賭博になった。
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さいころをふって石を動かし、相手の陣地に先に石を全部入れたものが勝ち。
双六の出目が勝負を大きく左右する。
ギャンブル性の高いこの盤双六は何度も禁止令が出る中を宮中から武士、庶民にも広がり人々を夢中にした。
かの兼好法師は徒然草に「囲碁・双六好みてあかし暮らす人は、四重(殺生・窃盗・邪淫・妄語4つの罪)・五逆(父を殺す・母を殺す・阿羅漢を殺す・僧の和合を破る・仏身を傷つけると言う5つの罪)にもまされる悪事とぞ思ふ」、と。
分かっちゃいるけどやめられない、ということだったんだろう。
ところが戦国時代ともなると悠長に双六を広げる時間の余裕もなくなった。
そこで蛇の道は蛇、さいころだけを使ったサイコロ賭博が大流行、単純なルールに短時間で勝負が決まる。
戦のさなかのちょいの間、気晴らしにはもってこいだった。
戦もない平和な江戸時代になると...あらゆる種類の賭博が人々を虜にした。
有名な「丁半賭博」に始まり、一つのサイコロでの「大目小目」、大奥女中が熱中した「かるた」、
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幕府の「かるた」禁止令の目をくぐって登場した「花札」、
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「闘鶏」に始まり「闘犬」や今の競馬のような「くらべうま」、メジロやウグイスを使った「ウグイスかけ」賭博、クモやら昆虫まで登場した。
極めつけは「富くじ」、幕府も準公認、最高賞金はなんと千両!今でいうと1億円くらい。
「穴一」なんてのは寛永通宝を穴に向かってなげ、穴に入ったものが入らなかった銭を独り占め、なんてのもお正月には子供まで参加したとか。
ルーレットまがいの道具を道端に持ち出すものも居た。
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ギャンブル大好き、にっぽん人。
カジノもさぞかしにぎわうことになりそうだ。



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by hanaha09 | 2018-11-12 17:51 | 田舎暮らし | Comments(0)

軽井沢の二手(にて)橋

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軽井沢宿、江戸時代には上州方面には難所碓氷峠及び横川の関所を控え脚をとどめる旅人は多く、休息と歓楽の地としてたいそうにぎやかなであったと言われている。
天保14年(1843年)の書き付けによれば、軽井沢には本陣1軒、脇本陣が4軒もあり、旅籠は21件を数えていたそうだ。
戸数は119軒、人口は451人と記されている。
幕府が万治3年(1658年)に街道筋の旅籠に遊女を置くことを禁止すると客に接待や食事の世話をする飯盛女を置いた。
この飯盛女、裏のお仕事がお客の夜伽ご接待であった。
元文5年(1740年)には、旅籠1軒に二人の飯盛女と規制をかけたがなんのその、21軒の旅籠の軽井沢宿には数百人とも言われる飯盛女が居たそうだ。
太田南畝は「壬戌紀行」にこう記している。
「ここはあやしのうかれ女(艶めかしい娼妓のこと)のふしどゝきけば さしのぞきてみるに いかにもひなびたれど さすがに前の駅より賑はしくみゆ 障子に国の名物二八そばとかける多し...」
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宿場町の客引きの様子だ、客を引っ張るのは留女。
しばしば飯盛女がこの役を引き受けることもあった、まさに旅籠の客引きとお楽しみサービスの尖兵だった。
そして、南北に伸びた軽井沢宿の江戸方面、碓氷峠に通じる道筋には湯川を渡る橋、二手橋があった。
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ここは江戸方面に旅発つ客と飯盛女が別れを惜しんだ場所、後に二手に分かれて立ち去ったので二手橋と。
江戸から善光寺に向けてはるばるやってきた講の旅人がこの宿場町で飯盛女とねんごろになり、持ち銭を使い果たして泣く泣く江戸にそのままま舞戻ったという話もある。
なにしろ、現在の物価に合わせると一泊二食、飯盛女付きでだいたい2万円を超えたらしい。
ひょっとすると、この二手橋まで追って余分のチップを取り立てに来たのかもわからない。

「三味線の 代わりに枕 そっと出し」
「むかえ湯に 来たりな寄りな 軽井沢」

今にもまして、にぎやかな軽井沢風景だったようだ。









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by hanaha09 | 2018-11-11 23:03 | 田舎暮らし | Comments(0)

続浦島子伝記(うらしまこのでんき)

昔昔、浦島は助けた亀に連れられて
竜宮城へ来てみれば 絵にもかけない美しさ。
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乙姫様のご馳走に 鯛や比目魚(ひらめ)の舞い踊り
ただ珍しくおもしろく 月日のたつのも夢の中
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明治44年に発行された文部省尋常学校第二学年用の唱歌、誰もが覚えのある歌だ。
この唱歌は920年ころ?に成立した「続浦島子伝記」が原型としてあると言われている。
実はこの続浦島子伝には、こんな記述がある。
「浦子(浦島太郎)。神女(乙姫)と共に玉房に入り、玉顔を向かい合わせ、此の素質(裸身)を以って、共に鴛衾(ねどころ)に入る。燕婉を述べ、綢繆(ちゅうびょう)を尽くし、"魚比目(ぎょひもく)の興" "鴛同心(えんどうしん)の遊" "舒巻の形" "偃伏の勢" "二儀の理"に普定す、倶に五行の教えを合わす。」
竜宮城を訪れた浦島太郎はざっとこんな具合だった。
例えば「魚比目」とは対面側臥位、偃伏は正常位、鴛同心は騎乗位、燕婉を述べとは手足を絡ませること綢繆(ちゅうびょう)を尽くしとはもつれ合わせること、舒巻とは互いに体をもつれ合わせての体位一般のこと。
つまり、浦島太郎はただただ鯛や平目の舞やご馳走を楽しんだのではないようだ。
乙姫たちと組んづ外れず情交を堪能、故郷も忘れ、月日のたつのも忘れお楽しみの時間を過ごした、というのが真相。
いじめられている弱い亀を助けると言う善行を行えば幸せが来る。
ここまでは良いが、あんまりうつつを抜かしていると、とんでもないことになる。
浦島太郎は乙姫にすっかり精気を抜かれ、帰って開けた玉手箱で一挙に老人と化した。
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大人のための文部省唱歌だった。






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by hanaha09 | 2018-11-10 23:23 | 田舎暮らし | Comments(0)

やばい

今年の流行語大賞成る言葉のノミネートがされていた。
ほとんどのものが初めて聞くか、何のことかわからん。
ニュースはネットで毎日見ているつもりだが...
それで思い出すのがこの言葉。
テレビではバカみたいなタレントが食堂に入って注文した料理を口にして叫ぶ ”やばい!”、”まじ やばい!”
もともと”やばい”とは、危ない時などに使う下品な言葉。
これがバカ者たちには高ぶる感情をうまく表現できない時に使われるのだそうだ。
先ほどの料理の際の”やばい”は危ないの反対の意、つまり言い表すことの難しいくらいのとってもおいしい、ということになる。

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江戸時代には娯楽の場として、神社や盛り場に「矢場(やば)」と呼ばれた弓を使った的あてゲーム場が登場した。
矢を10本ほどもらって4文くらい、この矢で的や糸につるされた景品を射させる遊び場だった。
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矢場には客の射た矢を拾ったり、手取り足取り射的の世話をする女性が登場した、矢場女と呼ばれた。
右の弓矢場・蓬莱の店先に立つ、おっぱいが半分見えた美女がそう、その左のお休み処には茶屋女。
彼女たちはたちまち江戸っ子に人気となった。
矢を拾い集める際にわざわざお尻を向けたりしてお客を扇情的にあおったりした。
またお客ものって、そのお尻に向けてワザと矢を放ったりした。
まあ、今でいうセクハラ三昧。
矢場に集まるお客はもう景品などは目的ではなくなってきた。
そのうちにサービスはますます激化、ついに矢場の裏にある小部屋でのスぺシァルサービスまで始まった。
で、もともとの射的場であった「矢場」は、治安の良くないちょっと危険な遊び場というお墨付きがついた。
その危険の具合が”やばい”、という言葉になって残った、という一つの説。
一方では、矢場はその道の好事者にとっては"えにも言えないおいしい"ところでもあった。
これで、やっと現代のバカ者たちの用語が理解出来てきた。




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by hanaha09 | 2018-11-09 14:38 | 田舎暮らし | Comments(0)

たぬきの日

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商売人にこよなく愛されるたぬきの置物。
信楽たぬきが有名、益子にもでかいたぬきがあった。
この置物、「他を抜く」たぬきという意味で商売繁盛の縁起物。
たぬきの身につけてるのが「八相縁起」と呼ばれるもの。
笠:災難から身を守る
顔:愛想良く
通帳:信用第一
太い尻尾:終わりよければすべて良し
徳利:仁徳を身につける
お腹:冷静と大胆さを兼ねる?
目:周りを見渡し正しい判断を
金袋:でかい金玉袋は金運多かれ
子供の頃に良く歌った「たんたんたぬきのど金玉 かーぜに揺られて ゆーらゆら」。
「たぬきの金玉 八畳敷」なんて、なんでこんなにでかいのか?
金箔屋さんの噂...金を金箔にする際に一匁(いちもんめ)の金をたぬきの皮にはさんでそれをとんとんとんと叩く。
だんだん広がって広がったのを4分の一に切って、それをまた皮にはさんでとんとんとん。
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どんどん繰り返していくと、一匁の金が畳八畳分の大きさに広がる、こんな話からたぬきの金玉も金玉袋も大きくなっていった。
江戸ではたぬきの御見世が...八畳敷きの金玉袋の上には様々な品物が。
ついでにお金もいっぱい、左の看板には「名代 きんたまき」、何だろね?
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金沢の金箔屋さんの実の話...狸の皮ではなく鹿の皮をつこうてます、念入りに叩いたら六畳分くらいにはなるそぉですが、これでは薄すぎて使い物にはなりません、精々四畳半か五畳が精一杯やそぉでございます。
でかいと言われてきたたぬきの金玉は実は銀杏の実ほど。
金玉が大きいと子だねも増えるらしい。
ただただ、人の体でいうと一番エネルギーを消耗するのが脳と金玉、どちらを大きくするかは生まれつきで決まってしまう。
見せかけには...袋を年中引っ張ってると大きくなってくるそうだ、金箔の様にとんとんとん、叩くのではない。
いったん伸びた袋は元には戻ることはないそうだ。
今日は「信楽たぬきの日」、11月でいい日が続く、8日はたぬきの「八相縁起」。
夕方にはネット接続料金が安くなるというインチキ電話勧誘も掛かってきた。
たぬきの日だけど騙されないぞぅ。









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by hanaha09 | 2018-11-08 20:55 | 田舎暮らし | Comments(0)

しび

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幼いころの実家には魚屋が自転車で行商にやってきてた。
たしか「魚長」と言ってたと思う。
ちょっと背の高い青白の細面のおっさんだった。
玄関先に魚の入った箱を二つほど並べて店開き、魚が決まるとこの箱を重ねてまな板を乗せ調理場になる。
ブリやらハモやらイトヨリやらモンゴイカなどなど...今にすれば高級魚が結構多かった。
我が家でも買えてた、と言うことは値段もそこそこだったのだろう。
バアチャンはよくシビを買ってた覚えがある。
シビとは何ぞやというと、今まで言うマグロのこと。
昔はシビ(切り身が多かった)、ちょっと小ぶりの頭付きはヨコと呼んでいた。
この名が災いしたのか、江戸時代は下卑な魚とされた。
料亭、寿司屋などで饗応の一品に用いられることは無かった。
しびと呼ばれたマグロが「死日」に通じる忌まわしい名前と考えられたのだ。
また、銚子沖で採れたマグロは水を掛けながら荷車に載せて運んできた。
マグロは大きく荷車の上でごろんと動かぬまま転がっていた、たぶん藁ござもかぶせられていたことだろう。
まるで土左衛門そっくりだった。
こんな姿が江戸町民には嫌われた。
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脂の乗ったマグロはその味が高貴な江戸人にはまたまた嫌われた。
下等庶民でも食べるのは赤身だけ、中トロ・大トロは切って捨てられ畑の肥やしになった。
ところが江戸も後半期の1810年(文化7年)、総豆相(伊豆・相模)で一日にマグロが一万本採れたという。
この時とばかりに馬喰町の屋台が有り余ったマグロの刺身をシャリの上にのせ、試しに客に食べさせたらしい。
これがなんと粋な江戸っ子の人気をさらい、「マグロが無くては寿司屋の商売があがったり」と言われるまでに重要な寿司ネタになっていった。
現在の高級マグロブームの起源である。

ちょっと場面が違って...
ゴロンところがったまま、突いてもなんとも反応のない相手をマグロという。
ところが160km/hの速さでも泳げるというこのマグロ、一生涯ひたすら泳ぎ続ける。
大きくなり齢を重ねるほどそのスピードがアップするそうだ。
死ぬ死ぬという直前が一番運動能力が高くなると言うスーパーフィッシュなのだ。
フランスではマグロではなくétoile de mer(ひとで)と、言い表す。
脚を開いたままで動かないからだそうだ。









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by hanaha09 | 2018-11-07 19:29 | 田舎暮らし | Comments(0)

太鼓持ちの絵描き

江戸幕府の開幕後、17世紀後半になると農村における商品作物の生産が進められ、それに伴う都市経済の目覚ましい発展があった。
江戸を中心とした都市町人の台頭による経済活動の発展は、多くの文芸・学問・芸術の創造をもたらした。
「憂き世から浮世へ」と呼ばれた元禄文化の勃興だ。
宴席やお座敷など、酒席でお客の機嫌を取ったり自ら芸を見せて芸者・舞妓の場を盛り上げる、こんな職芸も誕生した。
太鼓持ち、正確には「幇間(ほうかんもしくはたいこ)」と呼ばれた。
伊勢亀山藩の侍医の家に生まれ、江戸で絵描きの才能を認められた波乱万丈の人生を送った一人の男が居た。
後に英一蝶と称した。
藩にも薦められて狩野派の狩野安信のもとで絵の修行をするがわずか2年ほどで破門、どうも一蝶の才能がずば抜けて師匠のお気に召さなかったとも。
破門されても画業はつづけるものの、一蝶の多芸な才能は俳諧、書にも及んだ。
その上に夜な夜な通ったのが吉原、ただただ遊ぶだけでなく自ら幇間、太鼓持ちとしても活躍をしていたのである。
その話術、芸は豪商や大大名すらもついつい財布を緩め散在してしまうような見事に愉快な芸であったと言われている。
そのせいか、一蝶には様々な有名人との付き合いもかなり広かった。
しかし、普段のおさわがせ言動が幕府の怒りをかったのか、それとも綱吉の「生類憐みの令」に抵触したのか...元禄6年に牢屋に入れられてしまう。
そして、その5年後にはとうとう三宅島に流罪となる。
その際の正式な罪状が「町人の分際で釣りを行った事(当時武士には修練の目的と言うことで黙認されていた)」だったとか。
綱吉の代替わりで赦免になるまでの三宅島の11年間、江戸を偲びわが身を振り返りつつ、乏しい画材で画を描き続けた。
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「四季日待図巻」、潔斎(けっさい、神事などの前に酒肉の飲食その他の行為を慎み心身を清めること)しながら朝日を待つ神事、歌舞や人形芝居を楽しみながら夜を明かす様子が描かれている。
右下には赤い頭巾をかぶり座を盛り上げている太鼓持ち。
一蝶もかつて楽しんだと思われる江戸の行事を遠い島で頭に浮かべながら描いたようだ。
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「布晒舞図」、若衆歌舞伎の役者と思われる舞手が布をさらす仕草や波の様を布を用いて表した「さらしの舞」を披露する様子。
これも流刑地三宅島で描いたものと言われている。
いずれも国の重要文化財だ。

島流し中に江戸の俳諧師宝井其角に送った一句、江戸ではカツオの生臭さを消すために辛子を用いるのが普通であった。
「はつがつお からしがなくて なみだかな」
其角の返句は、
「その辛子 効いて涙の 鰹かな」

そして、こんなのも。
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まさに元禄文化の豪華な置き土産、英一蝶の破天荒で多芸な才能がうかがえる。



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by hanaha09 | 2018-11-06 14:26 | 田舎暮らし | Comments(0)

お外で焼きそば

今日は少しは暖かい、周りはもうすっかり景色が変わってしまった。
カラマツが黄金色になった。
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落ち葉は掃いても掃いても次から次へと舞い落ちて来る。
昼は焚火の上に鉄板を乗せて焼きそば。
あわてて肉を下に落としてしまった。
泥を手で拭いてそのまま入れた、内緒。
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森のテーブルはこのカラマツの下。
上から落ちて来るのはカラマツの黄葉、絶え間なく落ちて来る。
ビールのコップにも、焼きそばの上にも。
いちいち除けてると食べる暇がない。
毒にもならない、味が変わることは無い。
そのまま、カラマツビールにカラマツ焼きそば。
ちょっとおしゃれな森のレストラン、暇だねぇ。






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by hanaha09 | 2018-11-05 14:42 | 田舎暮らし | Comments(0)

大蛸小蛸

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大蛸

いつぞハいつぞハと、ねらいすましてゐたかいがあつて、けうといふけう、とうとう、とらまへたア。ても、むつくりとしたいいぼぼた。いもよりハ、なを、こうぶつだ。サアサア、すつてすつて、すいつくして、たんのふさせてから、いつそ、りうぐうへつれていつて、かこつておこうか。


海女

ズウツズツズツニ、チユツチユチユツ、ズウツズウツ、フゝゝゝウ。アレ、にくいたこだのう。うフゝゝゝ。ヱゝ、いつそ、アレアレ、おくの、フゝゝゝ、こつぼのくちをすハれるので、いきがはづんで、アゝヱゝモ。イツク、『それなア、いぼで、ヱゝフウフウ、いぼで、ヱゝフウフウ』。そら、われをいろいろと、ヲゝヲゝアレアレ、こりやアどうするのだ。アゝヨウヲゝヲゝヲゝホヲゝ、アゝレヱヲゝヲゝ、いゝいゝ、ヲゝいゝいゝいゝ。ハアゝ、アゝいゝいゝ、ハアいゝ、フゝゝゝウ、フゝゝゝウ、まただヨウヨウ。いままで、わたしをば、人が、アア、フゝゝゝウゝウゝウゝ、たこだ、たこだといったがの、ヲゝフゝウゝウゝ、どふしてどふして、ヱゝヱゝ、この、ヲゝ、ヨヨヨウ、サアデヱハ、アゝアゝアゝ、ズウズウズウ、ひちやひちや、ぐちやぐちや、じゆつちうちゆちゆちゆ、ぐうぐう、ズウズウ。なんと、八ほんのあしのからミあんばいハ、どふだどふだ。あれあれ、中がふくれあがつて、アゝアゝ、ゆのやうなんゐんすい、ぬらぬらぬら、どくどくどく。 ヱゝ、モゝウ、くすぐつたくなって、ぞつぞつと、こしにおぼへがなくなって、フゝゝゝウ、フゝゝゝウ。きりもさかいもなくの、ヲゝヲゝヲゝ、いきつづけだアな。アゝアゝアゝ、アレアレ、ソレソレ、ウゝゝくゝゝ、フンムフウム、ウゝウゝ、いゝヨいゝヨ。

小蛸

おやかたがしまふと、また、おれがこのいぼで、さねがしらからけつのあなまで、こすつてこすつて、きをやらせたうへで、また、すいだしてやるにヨ、チウチウ。


「鉄棒ぬらぬら」による1820年ころの「喜能会之故真通(きのえのこまつ)」に載せられた木版画の一枚。
「鉄棒ぬらぬら」とはかの有名な富岳三十六景の葛飾北斎の画号のひとつだ。
時の浮世絵師は版元、つまりプロデューサーの企画により絵を描いた、制作された版は版元の買い取り制。
似顔絵や風景がよりも人気の高かったのがやはり春画、工夫に工夫が重ねられた。
幕府の質素倹約令の裏をかき豪華に作れば作るほど高価に売れた。
画狂老人の奇想天外のこの一枚、一躍春画界にその名声をとどろかせたのだ。
このト書き、どうも北斎本人の作らしい。
蛸を絵筆で突きながら考えたんだろうかねぇ。
実はこのト書き、今まで読みこなすことができなかったのだ。








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by hanaha09 | 2018-11-04 18:22 | 田舎暮らし | Comments(0)

シナノゴールドは最高

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今日、長野の三水村で採ってきたばかりの「マッキントッシュ」ではない「シナノゴールド」、ヨーロッパでは「YELLO」と呼ばれている。
いちバイト(biteもしくはbit)の丸かじり、旨いねぇ。
金髪のパリジェンヌがシャンゼリを散歩しながら丸かじりするさわやかな味だ。
おしゃれだねぇ。

朝早くから万座、山田峠を越えた。
南を望むと四阿山に根子岳。
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背後には噴火警戒レベル2の白根山、山腹のいたるところから水蒸気の噴煙を上げている。
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ヘリコプターの墜落した渋峠を越えると、白い雪をかぶった北アルプス、下界には白い雲海。
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そして、着いたのは飯縄山を望むりんご園。
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収穫期を迎えた甘さたっぷり、さわやかシナノゴールド。
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ついでに上越市の魚屋まで足を延ばして、寿司を食べて、魚をかって嬬恋村まで帰ってきた。
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食った寿司はソイに中トロにアカガイにツブガイ。
買って帰った魚はヒラメにメギスにヤリイカにシャケにアンコウと煮干し。
疲れたねぇ、財布も空っぽになった。










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by hanaha09 | 2018-11-03 19:14 | 田舎暮らし | Comments(0)