ブログトップ

あるちゅはいま日記

hanaha09.exblog.jp

塵劫記のねずみ算

ねずみ算は和算の一つ、「ある期間にねずみがどれだけ増えるか」を計算する問題。
江戸時代、吉田光由が編纂した「塵劫記」に初めて取り入れられた、と言われている。
b0126549_12270653.jpg
b0126549_12275158.jpg
その塵劫記によればねずみ算とは...
「正月にねずみ、父母いでて、子を十二ひきうむ、親ともに十四ひきに成也。此ねずみ二月には子も又子を十二匹ずつうむゆえに、親ともに九十八ひきに成。かくのごとく、月に一度ずつ、親も子も、まごもひこも月々に十二ひきずつうむとき、十二月の間になにほどに成ぞといふときに、二百七十六億八千二百五十七万四千四百二ひき。」
正月に居た2匹のねずみが子を産み、孫を産み、ついに12月には276億8257万4402匹になると言う計算だ。
数学で言うと等比数列、
となる。
ここでは初項がつがいの2匹で2、公比 r = an+1/an は7、nは初項から13番目の13項を求めればよいことになる、よって、
2×713-1 = 27 682 574 402
となる。
ねずみ講が儲かるわけである。

さてさて、この11月にいよいよ築地市場が豊洲の新市場に移転することになるそうだ。
大東京の台所を預かる築地市場はどぶねずみの絶好の住処であったようだ。
動物性のたんぱく質を好むどぶねずみにとっては冷凍まぐろを切るときの屑、魚のしっぽなどは奪い合うくらいの好物だ。
中には猫ほどの大きさの奴も見かけるそうだ。
ねずみ専門家の推定によればおよそ一万匹、築地市場が閉鎖されれば餌も住処も無くなってしまうねずみ。
どうやらその後の行先は銀座界隈と考えられているそうだ。
築地市場ではすでに2回ほどねずみの駆除が行われたそうだ。
これまでの駆除では700匹づつ捕獲されたそうだ。
同じ数が捕獲されるということは、この間にねずみは元の一万匹に数が戻ったと考えられるのだそうだ。
果たして逃げ出すことになる一万匹が銀座へ出かけ駆除もできないまま放置されるとどうなるか?

どぶねずみの繁殖力は実際には2か月に1回ほど子供を産み、1回には7匹ほどの子供を産むそうだ。
そうすれば、初項は♂♀で10,000匹で10,000、rは1回に親と子供9匹となり9/2=4.5、1年後のねずみの数は7番目の項を求めればよい。
10,000×4.5⁷⁻¹=83 037 656匹
2年後には689 525 235 549匹、もう数えられん、日本列島はねずみで溢れてしまう。
いま築地市場ではねずみの大移動を防ぐために白い波板で市場の周りを囲っているのだそうだ。
でも解体工事が始まるとこんな囲いは役にも立たない隙間だらけ。
2020年には東京のどぶねずみたちのオリンピック開催年になりそうだ。









[PR]
# by hanaha09 | 2018-09-22 12:40 | 田舎暮らし | Comments(0)

放浪の旅

9月21日はアルツハイマーの日なのだそうだ。
最近は物忘れがひどい、いつもは出て来る人の名とか場所の名前とか...なかなか出てこない時が一段と増えてきた。
話す相手も結構わかってて...うんうんあれあれとかそこそこなんて言って、旨く話が進むのだ。
江戸時代の浮世絵の巨匠、葛飾北斎。
そして、その娘応為、生没年は不詳生まれは1800年ころらしい。
画号の応為は、父北斎が娘のことをいつも「おーい、おーい」と呼んでいたということからこの名がついた、とか。
応為は一度江戸の絵描きのもとに嫁いだが、北斎の画才と毒舌の両方を受け継ぎ、亭主の絵がへたくそと言い放ち笑い飛ばしたため離縁。
その後は、北斎のもとで父の世話を焼きながら製作助手もしくは共同制作者として晩年まですごした。
「世の美人画は、お栄(応為)におぼざるなり、巧妙に描きて、よく画法にかなえり」と天才浮世絵師北斎にここまで言わせるほどの才能があったとされる。
b0126549_19551214.jpg
このなんとも大胆な絵は北斎の描いた応為と言われている。
応為は北斎が90歳で大往生を遂げた後の67歳となったある日、戸塚に仕事に行くと言って一人で江戸の家を出た切り行方不明になった。
だが、応為はいろんなところで絵を描いて残している、との噂。
そして、最後は加賀の前田家の庇護を受け、亡くなったとの話もある。
ひょっとして、これ「徘徊」だったのではと推測する人がいる。
あちこちを徘徊する老女を保護したら、「江戸で行方不明になったすごい絵描きさんだった」ということであったかもわからない。
実のところ、江戸を出たのが認知症の徘徊か、計算づくか、精神的にまいっていたのか、真相はさっぱりわからない。
何しろ応為は、普段の時から変人でとおっていた北斎の娘であった。





[PR]
# by hanaha09 | 2018-09-21 20:18 | 田舎暮らし | Comments(0)

彼岸の入り

「彼岸」はサンスクリット語の「波羅密多」から来たものといわれる。
煩悩と迷いの世界である此岸(しがん)にいる者が、六波羅蜜(ろくはらみつとはこの世に生かされたまま、仏様の境涯に到るための六つの修行)の修行をする事で「悟りの世界」、すなわち彼岸(ひがん)の境地へ到達することが出来るというもの。
彼岸とは理想の境地、煩悩を解脱した涅槃(円満・安楽、仏の悟りを得た境地)のこと。
b0126549_18030779.jpg
そろそろ墓を用意せにゃなならん。
墓に入っても誰も来やせんのだろうなぁ。
でも、そこらに放っとかれても困るから...
般若心経のテープでも入れといてもらおうかな。
昼からはそぼろ雨の降る肌寒い寂しそうな天気。
1年が過ぎるのも早いもんだねぇ。




[PR]
# by hanaha09 | 2018-09-20 19:43 | 田舎暮らし | Comments(0)

彼岸とんぼ

b0126549_19484161.jpg
この前まで飛んでたアキアカネはこんなに赤くなかった。
平地で誕生したアキアカネは日中の気温が20~25℃程度の3,000m位までの高原や山岳地帯に移動して、盛夏を過ごす。
アキアカネは活動を始めると体温が上昇するが、残念ながらその熱を逃がす機能を持たない。
30℃を超える環境では生きてはいけない、よって活動を続けるためには夏には平地から涼しい高原地帯に移動しなければならない。
いわゆる避暑だ。
そして、充分に成熟すると体は赤くなり、交尾・産卵のために平地に帰っていく。
このアキアカネも平地へ帰る準備ができたのだろうか、真っ赤な赤とんぼだ。
通常秋雨前線が通過を契機に山を下りて平地に移動する。
ちょうど彼岸の最中にあたる。
東日本には急峻な山岳が多く、山の上にはあの世があり、先祖たちは山に帰っていくと言われている。
秋の訪れとともに繁殖期を迎えて平地に下りてきて飛び交うアキアカネ。
お彼岸に合わせて山から下りて来るご先祖様の姿に重なる。
ご先祖様の化身は「彼岸とんぼ」と呼ばれるアキアカネだ。
また、日本人はたんぼの益虫であるとんぼを「かみさまとんぼ」と呼んだりする。
アイヌやアメリカンネイティブにもとんぼを殺すことを禁ずる風習があったりする。
明日は彼岸の入り、前線通過の後の青空をどこまで飛んでいくのだろう。





[PR]
# by hanaha09 | 2018-09-19 10:47 | 田舎暮らし | Comments(0)

敬老の日は過ぎたが...

こんなニュース解説が目に留まった。
「総務省が16日発表した人口推計(15日時点)によると、70歳以上が前年から100万人増の2618万人で、総人口の20.7%を占め、国民の5人に1人に相当する割合を初めて超えた。 」
ちょうどこの9月にこの100万人増の一人に入った。
此の記事は続く。
「70歳以上の20%超えは団塊の世代(1947~49年生まれ)が2017年から70歳を迎え始めたことが影響した。」
結論として、
「社会保障制度の見直しや働き手確保など、超高齢化社会への早急な対応を迫られている現状が改めて浮き彫りになった。」
身に応える一つの記事だ。
なんか世の中に申し訳ないと考えさせられてしまうねぇ。
2ちゃんねるの書き込みを見ると...
「優先席止めてほしい。 今でも2回に1回は、席に座れない。」
「横浜市営地下鉄なんて葬儀屋の広告だらけ」と老人たち。
そして...
「うぁ、老害国家。こんなんいやや。」
「日本マジでオワタ」
「やぶ医者を増やせば一気に解決やろ」
でも...
「若い奴が子供を産めばいいやろ 。 金がない? 世の中にはもっと貧しい国はいくらでもあるんだよ。スマホいじっている暇があったら仕事をして勉強しろや 」
「そんな社会にしたのは老人ではないぞ 。 勘違いするなよ 」
b0126549_12495028.jpg
江戸時代は、年配者の持つ技術と長い人生経験に基づく教えは庶民の間で伝承され続けてきた。
老人は神や仏の世界に一番近い存在と考えられ、現代のように老人を劣等者と見なすことは一切なかったのだ。







[PR]
# by hanaha09 | 2018-09-18 12:52 | 田舎暮らし | Comments(0)

地デジが映るようになった

7月28日にやってきた台風でテレビのアンテナがぐにゃりと曲がってしまった。
この修理を電気屋さんにすぐにお願いしてあったんだが...
「お盆過ぎまで待ってくれるかな、ちょっと忙しいので」
「テレビはあんまり見ないので少々遅れてもいいんですよ、見積もりだけ早くお願いしますね」
お盆が過ぎても電気屋さんからは音沙汰無し、電話をかけてたずねるとやってきた。
工事は1時間ほどで済むとのことで、やれやれ。
ところがいつになっても屋根から降りてこない。
「持ってきたアンテナではどこも映らないんで困った困った、おまけにBSアンテナも壊れて映らない。どうしよう、どうしよう。」
「前のテレビアンテナと同じであれば映るんでは?」
「あれはもう生産中止、ちょっと違うのを調べて注文するからあさってくらいかな、また来ます。」
ところが2週間ほどたっても連絡なし、また電話する。
「月末までには届くらしいので、届いたらお伺いしますよ」
月末を過ぎ9月の初めに来ると連絡があったが、あいにくの台風、こちらから、
「台風の時に屋根の上に上がったら滑って危ないのでまたの日にして頂戴。」
この電気屋さん、ぼろぼろの梯をかけて屋根に上るのだがサンダル履き。
そしてしばらくの後、どでかいアンテナを持ってやってきた、地デジ共聴用のアンテナらしい。
「これで映らなければどうしようもない!」、とやる気満々で屋根に上がったが、BSアンテナをつけるともう日が暮れかかってしまった。
「また、今度来るからそれまで待って。BSは映るから...」
またまた台風がやってきたけど、どでかいアンテナは屋根の上に転がったまま。
そして、また電話するとようやくやってきた電気屋さん。
「さすがマスプロアンテナ、映った映った。」
お彼岸が来るまでの足掛け3か月で完了したアンテナ工事。
b0126549_12262294.jpg
「梯子が車に積まれないのでまた取りに来るから置いといて。」
それからおよそ1週間、梯子はまだ転がったままだ。
ネットテレビに慣れた今、もうテレビのスイッチを入れる事も無くなった。





[PR]
# by hanaha09 | 2018-09-17 12:35 | 田舎暮らし | Comments(0)

粕取焼酎

このところ天気が悪い。
良ければあちこち出かけてみたいのだが...
酒を食らって、時間を持て余して、映画を見ることになる。
録画してあった五社英雄監督の「肉体の門」、朝から見た。
戦後すぐの東京を舞台にした、お色気たっぷりのパンパン物語なのだが...
戦後の混乱期のすさまじい生きざまが各所に、戦後生まれには本当かな、なんて思ってしまう。
だけどもこんな混乱の世の中から70年、よくも今の日本が復興できたものだと感心のいたり。
画面で目に留まったのが場末の飲み屋の壁に書かれた酒のメニュー、「粕取焼酎」とある。
b0126549_15290226.jpg
左から「上撰粕取焼酎」、次が「純粕取焼酎」、右が「極上粕取焼酎」とある。
確かカストリとは粗悪な酒の代名詞。
戦後困惑した多くの庶民は気晴らしのため安価な酒を求め、この需要に応える形で自然発生したのがこの酒。
闇市では、ラベルの無い不揃いの酒瓶に詰められた出所不明のアルコール飲料が取引されていた。
中にはエタノールや変性アルコールを用いた「バクダン」などと呼ばれた密造酒も多くあった。
都市近郊では密造酒集落が出来上がったり、中毒事故の犠牲者もかなりでた。
ということはこの映画に出て来る飲み屋、結構良心的な店でもあるようだ。
本来は日本酒を搾り取った酒粕に水を加え蒸留するか、その上に酵母を足して再度発酵させたものを蒸留したものが粕取焼酎と言われるものだ。
だけどもこんな混乱の世の中から70年、よくも今の日本が復興できたものだと感心のいたりだ。
年金貧民は3リットルで1000円の日本酒をなめてるが、目がくらむことは無い。









[PR]
# by hanaha09 | 2018-09-16 16:35 | 田舎暮らし | Comments(0)

くじら文化

b0126549_18011150.jpg
天武天皇(765年)の時代から肉食禁止令があった。
日本人の仏教感が影響をしたものと思われる。
しかし、江戸時代まで何度もその令が繰り替えされているところを見ると、一朝一夕での肉食の習慣を断ち切ることはできなかったようだ。
そして、海で捕獲される鯨はこの対象から外されていた。
日本人にとってもっとも親しみのある貴重な肉食の代表になるのは自然な話だ。
此の絵図を見ると、日本近海でも巨大な鯨が捕獲され、大勢の庶民の食料、その他用途に利用されていたようだ。
今年のIWC(国際捕鯨委員会)において商業捕鯨の再開を提案した日本案が否決された。
古代よりささえられてきた日本の鯨文化の終焉かもわからない。
オーストラリア代表は、「かかる大型な美しい動物を食用のために利用する必要はない」とし、アメリカ代表も「捕鯨を禁止すべき科学的理由はない」と認めたうえで倫理的理由で反対と唱えている。
もともと太平洋で鯨を乱獲していたのはアメリカである。
鯨の油を搾り採った、西部開拓はこの鯨油で成り立った、とも言われている。
つい最近までも鯨油が高精度の機器に潤滑油として使われていた、あのハッブル望遠鏡、アポロ宇宙船のエンジン、超高高度軍事衛星、潜水艦の位置探知システムにも欠かせないものだった。
江戸時代の終わりにペリーが日本開港を迫ったのも自国の捕鯨船団の補給基地とすることが目的だった。
そして、オーストラリアではこんな話が...
南極海に向かう日本の捕鯨船には高精度のソナーが搭載されているのだそうだ。
居るはずもない赤道近くのインドネシア領海で鯨を探知したのだそうだ。
しかし、その挙動からオーストラリア海軍の潜水艦であったそうだ。
捕鯨船に探知されるような潜水艦では有事の際には全く役たたない、オーストリア国は面子ぶっつぶれだ。
なんやこんなで訳の分からないIWCの採決、かわいいリスを銃で撃ってパイに包み込んだり、バッファローを絶滅に追いやったり、カンガルーを干し肉にしてお土産にする人たちの結論なのだそうだ。
鯨の刺身がやたらと食べたくなってきたねぇ。
b0126549_18400514.jpg





[PR]
# by hanaha09 | 2018-09-15 19:30 | 田舎暮らし | Comments(0)

大奥の始まり

時は江戸時代、将軍はかの徳川家光。
b0126549_12250328.jpg
家光は徳川第二代将軍秀忠の次男、竹千代と名乗り幼少の頃より乳母、春日局の寵愛を受けて育った。
ところが2歳下の弟である国松はとても利発、両親の愛情はこの弟に集中した。
おまけに竹千代は病弱であったり、吃音があったりして非常な疎外感や孤独感を味わいながら育っていった。
しかし、春日局の竹千代の祖父でもある家康への直訴も効いたのか無事、第3代将軍職を得て家光と名乗った。
こんな境遇が原因か、家光は13,4歳の頃から男色に染まっていった。
当時は仏教の教えの影響か、男ばかりの戦場での息抜きを望んだのか、またまた主君と家臣の忠義の証であったとか色々、当時の大名の8%ほどが男色に染まっていたとの話もある。
b0126549_12261289.jpg
要するに性に関してはとってもとっても寛容な時代でもあった。
そして、家光は歌舞伎に熱中、自分で化粧をしたり...もう本格的。
その素質を開花させ、関係を持った相手は20人にものぼるとか。
30歳を過ぎても子供のいなかった家光に危機感を抱いたのが乳母の春日局、家光の好みそうな美女たちをあちこちからかき集めて連れてきた。
家光の好みに沿う美女にあたるのは至難の業であったが、ついにボーイッシュで美少年風の「お万の方」に家光の気が留まった。
一気に女性開眼した家光には別の側室に生まれた第四代将軍家綱、第五代将軍綱吉と次々と跡継ぎが生まれた。
いつでも将軍の夜伽ができる様に美女たちを囲っていたシステム、大奥の誕生であった。
b0126549_12264613.jpg






[PR]
# by hanaha09 | 2018-09-14 12:28 | 田舎暮らし | Comments(0)

「鍵屋」

江戸は谷中の笠森稲荷前の水茶屋「鍵屋」。
「水茶屋」とは、寺社の境内や門前など人での多い道端などにちょっとした店を出し、茶などを出した今でいう喫茶店。
客を呼ぶため接客係には美人を置いた。
1763年ころから茶くみ女として働いていたのが「鍵屋」当主の鍵屋五兵衛の娘、お仙。
b0126549_17444519.jpg

真ん中に小首を傾けるのが江戸の三代美人と言われたお仙だ。
しばらくすると、浮世絵師鈴木春信の美人画のモデルになった。
たちまち江戸中の評判となり、江戸のアイドルとなり、「笠森お仙」と呼ばれた。
時の狂歌のスパースター、太田南畝も「半日閑話」に次のようにしたためた。
「谷中笠森稲荷地内水茶屋女お仙美なりとて皆人見に行き」
手毬歌には「向こう横丁のお稲荷さんへ 一銭あげて ざっと拝んで おせんの茶屋へ」とうたわれた。
お仙見たさに笠森稲荷の参拝客が増えたという。
また、「鍵屋」は美人画の他、手ぬぐいや絵草子、すごろくと言ったものまで...今でいうアイドルグッズまで販売していたそうだ。
ところが、人気絶頂だったお仙は突然姿を消した。
そして、お仙が消えた理由については様々な憶測が流れた。

この笠森稲荷のすぐ近く鶯谷駅のすぐ近くに「鍵屋」という古めかしい飲み屋があった。
調度品はいぶし銀の様にひかり、おやじは頑固おやじそのもの感じで酒の燗を取り仕切っていた。
お通しに出る煮豆、醤油味の湯豆腐、おやじに遠慮しながら熱燗を飲んだ。
もう50年前、半世紀も前の話だ。
この「鍵屋」、道路拡張で店を閉めた、と思っていたらなんと「食べログ」に出ていた。
b0126549_18163134.jpg
引っ越して再生したようだ。
もう一度行って見たいな「鍵屋」。

江戸時代のお仙も、実は笠森稲荷の地主でもある倉知甚左衛門のもとに嫁ぎ、9人の子宝に恵まれ、長寿を全うしたという。
ついでに笠森稲荷にも行って見たいなぁ。
b0126549_18105178.jpg






[PR]
# by hanaha09 | 2018-09-13 18:17 | 田舎暮らし | Comments(0)