ブログトップ

あるちゅはいま日記

hanaha09.exblog.jp

2018年 05月 22日 ( 1 )

碓氷峠に登場した1000型電気機関車

b0126549_18292654.jpg
b0126549_18294910.jpg
しなの鉄道軽井沢駅を入ると静態保存されている鉄道記念物のアプト式電気機関車10000型だ。
明治時代に入り、太平洋と日本海を結ぶ鉄道輸送が軍事・経済上に重要なポイントトなってきていた。
上野と碓氷峠の高崎側である横川まで1885年に、軽井沢と直江津間が1888年に開通を見た。
この碓氷峠、およそ10kmの間に横たわるのが標高差500mの急峻な勾配だ。
当時の日本の鉄道技術ではこの勾配を乗り切ることはできなかった。
明治政府はドイツにあった登山鉄道のアプト式を採用を決定、鉄道技師長のボナールがその指揮を執った。
そして1893年4月1日に66.7パーミルの急こう18の橋梁と26のトンネルを擁する官営鉄道碓氷線が着工1年9か月後に開通した。
しかし、当時のアプト式蒸気機関車でこの峠を越えるのは簡単ではなかった。
トンネルの連続による蒸気機関車の煤煙の問題から、乗務員の中には吐血や窒息する者も現れたそうだ。
いち早く電化の声が高まり、1911年に横川駅付近に火力発電所設けられて1912年には日本で最初の幹線電化がかなった。
その際に導入されたのがドイツのアルゲマイネ社(実は機械部分はアプト式蒸気機関車を制作したエスリンゲン社担当)で碓氷峠専用として製作・輸入されたこの10000型アプト式電気機関車だったのだ。
b0126549_19450422.jpg
良く見てみると面白い。
機関車重量は43ton、重すぎる。
当初に2軸設計だったものが3軸に変更されている、いい加減な設計だ。
たぶんエスリンゲン社のアプト機構が重量オーバーの原因かもわからない。
集電機構はトンネルの断面から第三軌条からなのだが、機関車の屋根にはポールがついている。
駅構内の分岐が多いと第三軌条は複雑かつ危険なので構内では架線からの集電としたようだ。
この電気機関車にはアプト式のラック駆動用のモーターが採用されていた。
ラック区間を過ぎるとこのモーターは負荷が無くなると過回転して壊れてしまう。
ラック区間を過ぎる地点に「打ち子」というバーを架線柱につけて置き、この「打ち子」が電気機関車の屋根に取り付けられたスイッチに触れアプト用のモーターが遮断されるような仕掛けがあった。
こんな仕掛けを秘かに学んだのが日本の技術者たち、1934年(昭和9年)の純国産電気機関車を完成させたのがED42型アプト式電気機関車だ。
b0126549_20091303.jpg
こちらは横川の碓氷峠鉄道むらの保存されている。
技術者たちの英知が超えた碓氷峠だった。









[PR]
by hanaha09 | 2018-05-22 20:18 | 田舎暮らし | Comments(0)