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あるちゅはいま日記

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2018年 05月 19日 ( 1 )

小諸・山頭火の日

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種田山頭火はよっぽど温泉が好きだった。
小諸市にある中棚鉱泉にやってきたのが1936年(昭和11年)の5月19日のことだった。
「熱い湯に入れて 酒が飲めるのがいい」とご機嫌だった。
この中棚鉱泉が制定したのが「小諸・山頭火の日」だ。
山頭火は明治から昭和にかけて活躍した自由律俳句を代表する俳人、禅僧でもあった。
大正時代に俳句界に頭角を現したものの、家庭の不運にも見舞われ酒癖によって身を持ち崩した。
雲水姿で旅し、句作を行い、旅先から俳句誌に投稿を続けた。
その頃にはすでに無一文の乞食同然であったが、書き綴られた克明な日記が残されている。
山頭火は5月21日には小諸を出て、岩村田を経て御代田駅まで徒歩で行った。
その後、沓掛(現在の中軽井沢)まで汽車に乗り、下車後には山また山を長倉、峰の茶屋、浅間牧場と歩き続け草軽電鉄北軽井沢駅までやってきた。
「かつこう、うぐひす、からまつ、みづおと、そしてほととぎすがをりをり啼く、千ヶ滝の水もおいしかつた。峯の茶屋で昼飯。道は何だか荒涼たる六里ヶ原を横ぎる。北軽井沢駅、白樺が多い、歯朶の芽が興を引く、所有建札が眼に障る。」
5月晴れの浅間高原の自然がいたく気に入ったようだが、別荘地所有者の看板がお気に入りの様ではなかった。
そして、訪れた養狐園での稼ぎ様、と共に毒殺される狐にも憂えている様子がうかがえる。
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北軽井沢駅から草津よりの草軽電鉄吾妻駅から草津温泉駅まで草軽電鉄の電車に乗った、電車賃は高かったが嬬恋三原を過ぎたところの景色には、「眺めが良かった」とある。
泊銭七十銭、湯銭十二銭の草津温泉宿にはこんな記述が、
「同宿は病遍路、おとなしい老人、草津といふところは何となくうるさい、街も湯もきたならしい、よいとこでもなささうだ、お湯の中にはどんな花が咲くか解つたものぢやない! 熱い湯にはいつて二三杯ひつかけて、ライスカレーを食べて(これが宿の夕食だ、変な宿だ)ぐつすり寝た。夢は何?………… 」
こんな草津温泉に4泊したのち、5月25日には上り三里、下り一里の万座温泉までの徒歩旅行。
「まことにしづかな道だつた、かつこうもうぐひすもほうじろもよく啼いてくれたが、雪のあるところはすべるし、解けたところはぬかつてゐるし、はふたりころんだり、かなり苦しんだ。残雪をたべたり、見渡したり、雪解の水音を聴いたり、ぢつと考へこんだり。山、山、山、うつくしい山、好きな山、歩き慣れない雪の山路には弱つたが、江畔おくるところの杖で大いに助かつた、ありがたしありがたし。」
「やうやく一里あまり下ると、ぷんと谷底から湯の匂ひ、温泉宿らしい屋根が見える、着いたのは三時だつた、何と手間取つたことだらう、それだけ愉快だつた。とりつきの宿――日進館といふ、私にはよすぎる宿に泊る、一泊二飯で一円。
山頭火にとってはお気に入りの行程だったようだ。
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〝「徒歩禅」と称した通り山頭火にとって、歩くことこそ修行だった。ひたすら歩き続けることが生きることにつながった。それは同時に、自らの死に場所を求めることでもあった。〟
と弟子の若き北光は書き綴っている。
 


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by hanaha09 | 2018-05-19 19:03 | 田舎暮らし | Comments(0)