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あるちゅはいま日記

hanaha09.exblog.jp

2018年 02月 23日 ( 1 )

反本丸(へんぽんがん)

もう2,3年前にもなる。
わざわざ琵琶湖のほとりにある彦根まで近江牛と松茸すき焼き食べ放題に出かけたことがある。
食べ放題なんてのはいつも食べ過ぎで味はどこかへ飛んで行ってしまうのが普通。
案の定、食べ過ぎで胸はむかむか、口の中は脂脂、松茸なんて香りもへったくれもなかった。

江戸時代、牛は農作業に活躍する貴重な家畜、また仏教の殺生禁断思想により、牛肉なぞを食べてしまうことはあり得なかった。
しかし、彦根周辺では昔から密かに食べられ、それが日本各地に広がっていったのである。
もともと、彦根藩は幕府に陣太鼓に使う牛皮を毎年献上するのが慣例、公に牛の屠殺が認められていた特別の藩だった。
当然後に残った肉は食用に、といっても日本人の倫理観にはそぐわない。
今も昔も頭の良い人はいつもいるもので、三代藩主直澄時代の家臣花木伝衛門が中国の薬学本「本草網目」からヒントを得て、「反本丸」(へんぽんがん)という薬と称して世の中に流通させた。
それには「反本丸」の製法が次のように記されている。
「健康な黄牛(肩にこぶのある飴色の毛を持った農耕用の立派な牛)の筋を取り除き、切断した肉を洗ってから一晩浸し更に三回洗う。さらに酒と共に煮て…」結構複雑な製法が延々と書き綴られている。
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近江肉牛協会の解説によると、この養生薬「反本丸(へんぽんがん)」は味噌漬け、1687年に彦根藩により商品化されたらしい。
寛政年間以降、彦根藩から将軍家や諸大名へ牛肉を贈った記録が「御城使寄合留帳」として残されている。
この養生薬の効能はあらたか、いずれも相手方から所望に応じて贈ったものであるようだ。
赤穂浪士の大石内蔵助から、同士の堀部弥兵衛に宛てて、彦根産黄牛の味噌漬をおすそ分けすることを記した書状も残っている。
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老齢の弥兵衛には「其処には養老の効果重畳、倅主税などにまえらせ候かへってあしかるべし(年寄りには効果絶大、若者には効きすぎて害になる)」とある。
そんな効能を知ったか知らなかったか、十五代将軍徳川慶喜のおやじの水戸藩主徳川斉昭、この養生薬「反本丸」がいたってお気に入りだった。
斉昭は単に艶福家であったのみならず、女色に淫すること甚だしく...とあるように正室に加えて9人の側室、22男15女をもうけた精力家。
ところが彦根藩の井伊直弼が家督を継いでから、いつも送られてくる牛肉がすっかり送って来なくなった。
お楽しみの養生薬が恋しく、何度も井伊直弼に使者を出し送ってくれるよう懇願したが返事はけんもほろろ「絶対にお断り!」と。
ついに斉昭は「直弼の野郎……!」とつぶやいた。
これがあちこちから漏れ伝わった、井伊直弼(開港推進派)と徳川斉昭(攘夷派)の私怨の発端。
そして、起きたのが「桜田門外の変」、井伊直弼を襲撃、暗殺したのが水戸藩の浪士。
日本の歴史を書き換えたこの大事件、実は牛肉の恨み、欲しくてたまらない肉を送ってもらえないという、直弼に対する斉昭の恨み、すなわち「食い物の恨み」がそもそもの原因だった?
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ほんとうの話かなぁ...





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by hanaha09 | 2018-02-23 11:25 | 田舎暮らし | Comments(0)