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あるちゅはいま日記

hanaha09.exblog.jp

2018年 02月 12日 ( 1 )

ボンカレー50周年

学生の頃は勤勉だった。
郵便番号簿の配達から始まって、ペプシコーラの配達、山中深い僻地での食料品の卸販売配達などなど学業ほったらかし。
その中に窓ガラス拭きのアルバイトがあった。
家庭の窓ガラスを拭くのではなく、学校や病院や刑務所やら、新築建物の引き渡し前の窓ガラス拭きだ。
結構うるさくて何度もやり直しを食らった、窓ガラス拭きの肝腎な点は4隅を完璧に仕上げることだ。
4-5人のグループを作ってあちこちの工事現場を回った。
その中で新築工場の窓ガラス拭きがあたった。
その工場近辺にはやたらと玉ねぎを煮る匂いが漂っていたのだ。
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どこにでも見かけたこの琺瑯看板の大塚食品の新工場だった。
この工場で開発された新製品、レトルトカレーが発売されたのが50年前の2月12日、今年は50周年になるそうだ。
この数年前アメリカの包装専門誌に掲載された記事に目が留まったのが当時の担当者。
「缶詰に代わる軍用の携帯食としてソーセージを真空パックにしたもの」の紹介記事だった。
目指したのが、当時はご馳走メニューであったカレー、「一人前入りで、お湯で温めるだけで食べられるカレー、誰でも失敗しないカレー」
だった。
カレーをパウチにする包材もなければ、レトルト釜もない開発のスタートであった。
レトルト釜での圧力、温度処理の兼ね合いはなかなか難しく試行錯誤の繰り返しであったが、幸い大塚グループで持っていた点滴液の殺菌技術が大きく役立った。
そして、誕生したレトルトカレーはフランス語の「bon(おいしい)」と「カレー」を組み合わせた「ボンカレー」と名付けられ、世界で初めて登場した。
うどん1杯が50~60円(学食では30円だった)の時代に牛肉100%とはいえ1食80円は高すぎた、売れなかった。
それで、制作されたのがあの広告宣伝用の琺瑯看板だ。
20人程の営業マンがライトバンや自転車で小売店を駆けずり回り全国で9万5千枚の琺瑯看板を取り付けたそうだ。
発売5年後には全国で1億食の販売を達成した。
その後、巨人軍の王選手がテレビCMに活躍したりで、この「ボンカレー」、すっかり国民食になってしまった。
もう新工場の窓ガラスを拭いて半世紀、なんとなく懐かしい玉ねぎの匂いだ。






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by hanaha09 | 2018-02-12 17:15 | 田舎暮らし | Comments(0)