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あるちゅはいま日記

hanaha09.exblog.jp

2018年 01月 30日 ( 1 )

移民の歴史

嬬恋村の人口が9,700人ほどになってしまったそうだ。
ついこの前まで10,000人あたりをウロチョロしてたはずだ。
これからは急速に減少、限界集落への崖を一気に転げ落ちるような勢いだ。
日本がまだ鎖国を続けている江戸時代、カメハメア王の率いるハワイでは、1852年には官約移民制度が導入され、ハワイ政府による公認の移民制度が始まった。
アメリカのペリーが日本の浦賀に黒船でやってくる4年前の話だ。
背景にはイギリス人によってはじめられたサトウキビプランテーションの労働力確保。
亜米利加人の移住などによって持ち込まれた悪病などによってハワイアンの急激な人口減少現象があった。
当初は中華系移民がハワイに渡ったがその内亜米利加本土の中国人排斥運動に沿うように中国人移民受け入りが中止された。
そして選ばれたのが日本人であった。
1868年6月19日、ハワイへの日本人集団移民第1号となる153人を乗せたサイオト号が、ホノルルに到着した。
ちょうど幕末の混乱期で幕府はハワイとの通商条約の締結のないまま渡航の許可を出したが、新政府はそれを拒否。
結局、サイオト号はハワイに向けて横浜を無断出航してしまった。
移民元年者と呼ばれた彼らはプランテーションで作業を行うことになったが、生活習慣が異なり、しかも言葉が全く分からないという不慣れな生活環境のなかで、ストレスが急速に蓄積されていった。
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実は、後に元年者である彼らの多くは、農業の経験が全くない、都市生活者だった。
1か月の賃金は現金2ドル(当時日本円に直すと2両)、残り2ドルは手形払い。
中国系移民と比べると高い水準ではあったが、ハワイの物価は高騰し出国前の皮算用とはいかなかった。
しかし、3年間の契約期間を過ぎ、日本へ帰国を果たしたものはおよそ50名、残りの100名ほどはアメリカ本土は再移住したり、ハワイに残ったた者はハワイアンと結婚、本当の移住者となっていった。
うよ曲折はあったが、総じて日本人移民はその勤勉さからも白人社会にも受けいられ、1900年までに約3万5000人がハワイに移住した。
その後、中国人と同じく排斥運動に有ったり、1世と2世の間の国籍問題、そして第二次世界対戦への日本人2世たちの出征等々、苦難の道を歩み続けた日本人移住者たち。
今や、ハワイの日系人は20万人、人口のおよそ17%を占め、政財界、学会など多くの分野で多くの日系人が活躍している。
そして、ハワイ王国はサトウキビのプランテーションに始まった農業から世界の大観光都市に変貌を遂げている。
まるでかつて大日本帝国が満州建国の際に掲げた「五族協和・王同楽土」の理想が成し遂げられたよう。
今年は元年者たちがハワイの土地を踏んで150周年にあたる年なのだそうだ。
何事をなすにもとてつもない時間がかかるのである。








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by hanaha09 | 2018-01-30 13:27 | 田舎暮らし | Comments(0)