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あるちゅはいま日記

hanaha09.exblog.jp

2011年 03月 30日 ( 1 )

浅間焼けと天明騒動

地震、津波に噴火と天災の続いた江戸後期。
天明3年、浅間山の大噴火により空中に大量の火山灰が撒き散らされた。
「碓氷峠人馬通路之無く、妙義、高崎、榛名辺りは砂四五寸降り、浅間の鳴り音は一円に三十里四方へ聞こえ候との事也」
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その後の日照不足、低温続きで農作物は全滅、未曾有の大飢饉に国をも揺るがす騒動も持ちあがった。
ちょうど貨幣経済が行き渡ってきた時代、米の価値は下落。
困った領主は農民たちから年貢を厳しく取り立てていた。
中仙道を軽井沢から高崎に至る途中の磯部宿、中仙道碓氷峠は降灰で閉ざされ物資輸送を担う馬引きの収入も閉ざされてしまった。
米は収穫がかなわず、唯一信州佐久地方から運ばれる米は穀屋に買い占められて高騰を続けた。
「天明三年九月十八日の夜、上州一ノ宮北方、人見ケ原に何人(なにひと)の高札を立て、「此の節至って米価高値に相成り、末々の者難儀至極に付き、下仁田、本宿両村の穀屋(米屋)を打潰し、続いて信州穀物囲い置き処(御蔵)の富人、並びに買置きの者共を打ち潰し米価豊かに仕るべく候以上」
世直し一揆というよりも切羽詰った騒動でもあった。
暴徒と化した群集はむしろ旗を掲げ、ほら貝を吹き鳴らし横川の関所を破って、軽井沢を抜け上田の街まで、商人の館に押し込み、米蔵を打ちこわして狼藉を繰り返した。
信州佐久の岩村田宿では酒蔵も襲われ、大通りで酒桶から茶碗で酒を酌み交わしたとか。
汚職政治家とレッテルを貼られた老中田沼意次の失脚につながるひとつの出来事でもあった。

浅間山の外輪山、剣が峰で採集されたからまつ標本です。
天明3年の浅間やけで傷つけられた幹、修復がかなうまでに要した歳月10年が木の年輪から読み取れます。
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いま、より細かでしかも大胆な長期にわたる政治が求められる、樹の幹からも教えられます。
田沼意次に関しては賄賂のゴシップはほとんどが逸話であったともいわれ、彼の目指した政策は明治以後、統一貨幣、銀行設立、国民皆税という形で実現した。
そういう意味で田沼意次は不運な経済先覚者であったともいわれています。
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by hanaha09 | 2011-03-30 18:54 | 田舎暮らし | Comments(0)