人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

あるちゅはいま日記

hanaha09.exblog.jp

サンふじ

この前も話題にした戦後のはやり歌「りんごの唄」、出だしは ♪赤いりんごーにくちびーる寄せて...♪。
この赤いりんごの品種はなんだったんだろう?
日本にはもともと和りんごという種類のりんごがあったようだ、が、市場にたくさん出回るということはなかった。
本格的にりんごの栽培が始まったのは明治4年、北海道の七重村に開設された官営リンゴ栽培園、アメリカから苗木を持ち帰った。
その苗木の中にあったのが、Ralls Janet、Jonathan、日本ではRalls Janetはリンゴの名前で日本名「国光(果実の色づきは弱く、赤くない)」、Jonathanは日本名「紅玉(表皮は真っ赤になる)」。
戦前から戦後にかけて、この二つの品種がおよそ8割を占めていた。
サンふじ_b0126549_10312670.jpg
おそらく戦後間もなく多くの国民がくちびる寄せた赤いりんごはアメリカからやってきた「紅玉(Jonathan)」「国光(Ralls Janet)」であったに違いない。
1960年代に入り日本の高度成長に伴い、バナナの輸入が自由化され、またみかん・いちごは大豊作、アメリカ生まれのりんごは需要が低迷、大暴落。
売れない「国光」、「紅玉」は山や川に大量に捨てられた。
この苦境を救ったのが20年にわたって新種の交配研究がなされていた「ふじ」、青森県藤崎町で誕生したので「ふじ」、もちろん日本一の山「富士山」にあやかり、そのころ人気の出ていた絶世の美女、女優山本富士子にもあやかったとも。
「ふじ」は国光とレッドデリシャスを交配したもの、日本国土・気候、嗜好にあった品種はたちまち市場での高値を生み栽培もまたたく間に広がった。
現在では日本での栽培面積の半分以上がこの「ふじ」、「ふじ」の無袋栽培のものが「サンふじ」と呼ばれている。
日本のりんご農家の救世主であった。
サンふじ_b0126549_10314023.jpg
「ふじ」の苗木は中国へもたらされその生産量は日本をはるかに超える年間1000万トン、世界中に広がった「ふじ」は今や世界のリンゴ生産量の20%ほどを占める存在となった。
その苗木はすべて日本にある一本の原木から採取された接ぎ木の苗である。
今年最終の「サンふじ」のりんご狩り、いつもの三水村まで出かけた。
サンふじ_b0126549_10320714.jpg
毎年出かけてもう10年近くなる、収穫する樹が決まっている。
樹が大きくなってくるせいか毎年甘さが増してくるような気がする。
リンゴ園のおじさんは「サンふじは真っ赤になる樹とあんまり赤く色づかない樹があるよね。どうも遺伝子の違いに原因があるらしい。味は一緒だ。」、と。
歳によって出来不出来がある、今年はおよそ50kgの収穫になった。
畑でかじるりんごが一番おいしいんだ。






by hanaha09 | 2019-11-17 10:35 | 田舎暮らし | Comments(0)
<< 高井鴻山記念館 湯尻川壊滅 >>