♪♪一に追分 二に軽井沢 三に坂本 まゝならん
西は追分 東は関所 せめて峠の 茶屋迄も
碓氷峠で 坂本見れば 女郎が化粧して 客を待つ
あおよ なくなよ もう家は近い 森の中から 灯が見える
浅間山さん なぜ焼けざんす 腰に三宿 待ちながら ♪♪
碓氷峠アプト線眼鏡橋近くにできた新しい駐車場、トイレの横壁から流れる「坂本馬子唄」。
江戸時代に入って江戸から各地へ通じる街道が整備された。
旅人にも難渋を強いる中山道でも一番の難所として知られていた碓氷峠。
旅人や物資の輸送の大動脈となり、そのほとんどは人力と馬に頼っていた。
馬は元来音楽を好む動物なのだそうだ。
嶮しく苦しい峠の山道を馬子たちの詠う唄に励まされながら行き来をした。
馬子たちのいかにものんびりとした中にも哀調が感じられる旋律。
この馬子唄に追分宿の飯盛り女が三味線の伴奏をつけたのが「信濃追分」。
北国街道をを経て越後に伝わったのが「越後追分」、北前舟で蝦夷にわたって「松前追分」そして「江差追分」へ。
まさに”街道を往く”、「坂本馬子唄」であった。