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あるちゅはいま日記

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沓掛

しなの鉄道中軽井沢駅はもともとは国鉄信越本線沓掛駅。
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江戸時代には沓掛宿が置かれていた。
中仙道19番目の宿場町、浅間三駅の一つで本陣、脇本陣が置かれていた。
北へ向かうと浅間山麓の六里ヶ原を経て、嬬恋村大笹ㇸ抜け、善光寺に抜ける信州街道につながる。
北信州からの年貢米、荷物の重要ルート、荷物の運搬には馬が活躍した。
におつの単位は1駄、2駄と数えた。
「沓掛」とはこの浅間越え、江戸へ向かう碓氷越え、荒天時には足止めを余儀なくされた難所の入口であることが由来。
西洋では馬に蹄鉄を履かせて馬の脚を守った。
この方法が日本に伝わったのは明治になってから、江戸時代にはどうしてたか?
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浮世絵に描かれた中仙道軽井沢宿での光景だ、馬の脚には何か履かせている、草鞋だ。
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六里ヶ原の荒れ地、冬の雪中重い荷物で滑ったりしないように履かせた。
また、この草鞋は奉納されて「雷除け」として使われる、どういう関係かわからないらしい。
お蚕さんが生まれると箒で掃きたてて、養蚕が始まる、午の日に行う。
馬の草鞋を蚕室につるして豊蚕を祈る。
馬が事故や病気で亡くなるとお地蔵さん、馬頭観音が建てられる。
もちろん馬屋は同じ家の中、寝食ともにした。
馬と一緒に過ごした江戸時代の生活であった。
決して「さくらにく」なんて言って食べたりしなかった。



by hanaha09 | 2019-02-17 13:39 | 田舎暮らし | Comments(0)
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