「蝋丸(らうぐぁん)の 中(なか)の薬(くすり)を 開(ぶ?)ん入(い)れ とぼせば(ともすと言う意味?)女(をんな) とりみだすもの」
こんな簡単な「四つ目屋」の宣伝文句も江戸かなはなかなか解読が難しい。
「四つ目屋」と言えば江戸両国にあったイモリ黒焼きの元祖、日本最古のアダルトショップと言われている。
この「蝋丸」は延宝の頃(1681年頃)からの文献に現れ、江戸初期の通人には広く知れ渡っていたという。
オランダから輸入されたといわれ「阿蘭陀(おらんだ)ろう丸」と称されていたが実は国内で生産されていたという。
書物には「長崎より来るものなり、ゆびにつけてぼぼへさしこみて、くぢるべし」と用法が記されている。
スケベなオランダ人伝来の薬ゆえ効き目は凄そうである。
江戸川柳には、
「ほうかぶりして 蝋丸を買ふ」
さすが江戸町民もこれを求めに行くには少しはためらったようだ。
そして四つ目屋の息子は、かの有名な百人一首の歌人「蝉丸」まで「蝋丸」に見えてきた。
「蝉丸を蝋丸と読む四つ目の子」
効き目はどうだったんだろうか?
「わたしや どうしようもねㇸ アレサ よくって 死ぬかもしれねㇸ ソレモウ いくよ アレアレ」
だって。
ところで蝋丸とは薬の成分を丸めてその上を蝋で固めたものを言うらしい。