人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

あるちゅはいま日記

hanaha09.exblog.jp

幕末ラムネ

幕末ラムネ_b0126549_14481352.jpg
1859年(嘉永6年)の横浜開港以来、諸外国の公使たちが江戸に住まいを構えることとなった。
江戸に忍び寄る攘夷派の侍たちがこの公使たちを襲撃する企てが次々と起こった。
幕府は旗本の腕の切れる若者を借り出し五人一組として護衛の役にあてた。
その一人がある日、屋敷の門の側でピカピカ光る金貨を拾った。幕末ラムネ_b0126549_14423873.jpg
見ると獄門首が刻み込まれている(おそらくワシントンか誰かの肖像であろう)、侍たちはこれはすこぶる汚らわしいものと考えた。
懐紙の真ん中に置いてその端を恐る恐るつかみ、まるで不潔なものを扱う様子で公使館内に置き去った。
公使館では公使夫人が落とした金貨とわかり、日本武士の清廉さにすこぶる感心し何かお礼をしたい、と申し出た。
しかし、そんないわれなき申し出に若侍たちは半ば立腹し拒絶した、公使はこれにますます感心し、何か清涼飲料であろう一箱の瓶詰を贈ってきた。
上司の許可を得た若侍5人はこの物を試してみようと車座になり、12本の瓶を並べた。
まず1本を開けようと、巻き付いた針金を小柄で切り離したが栓のコルクがなかなか取れぬ。
また小柄を取り出し、少しづつ掘り出していった。
ようようと掘り進んでいた時、コルクは突然天井まで飛びぬけ、瓶からは水だか煙だか噴出、ほとばしった。
若侍たちは平生のたしなみ、飛びさると同時に太刀の鯉口を切って居合腰。
真っ青な顔色で息をこらして構えていたが瓶はしばらく泡を立てたのちに静寂そのもののたたずまい。
ようやく一人が箒の先で瓶を突き倒すと同時に太刀の鞘を払って捨て身に構えた。
ただ、瓶からは期待の妖怪も変化も出てこず、瓶からは余液がだらだらと流れ落ちるのみ。
その後油断はならぬと、半刻もにらみつけたままだったが、さすが疲れ果て上司に相談。
答えがまたふるっていた、"異人は不思議のからくり等多き故、人家より遠き所へ捨て去る事”、11本の実入りと1本の空瓶を小船を雇って品川沖に捨てに行った。
この間、何事が起こるかと心配のあまり、帰りつくまで刀の柄を握りしめたままだった、とか。
この瓶の中身、レモネード、今でいうラムネだったと思われる。
こんな怖い異人館へ連れていかれた「唐人お吉」はどんな思いだったか...と結んだ話であった。
幕末ラムネ_b0126549_14321690.jpg
これから5年ほどたった1865年、もう長崎で「レモン水」と名付けられた幕末ラムネが販売されてたそうだ。
これは、つい最近に限定販売された竜馬も愛したという「幕末ラムネ」。
"世の中、刺激がたりんぜよ!"との帯封つき。

















by hanaha09 | 2018-09-25 14:49 | 田舎暮らし | Comments(0)
<< とある外交交渉 山椒はどこを食べる >>