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あるちゅはいま日記

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田代村ジャガタラ薯の由来

上州民話より...
「昔々、宝永、正徳中年の頃になぁ、信州の真田の殿様の年貢の取り立てが厳しくて、食えなくなった信州の松永一族が峠を越えて田代原に逃げてきて、日当たりの良い水の湧く丘のあたりに芝きりをして住み着いたんだと。その内少しづつ人が集まりだして小さな村が出来たんだと。
野地だった田代湖のところに米を作ったんだが水がつめてえもんで青立ちで米粒がへえらなかんだと。
麦を作ってみても泥が凍って、春になると根腐れでまたダメになっちまったんだと。
あしめいに、粟と稗と蕎麦だけしか実が出来ねえことが分かって、しかたねえでそれを作って、銭を稼ぐために炭焼きをしたり、木挽きをしたり、馬方して暮らしたんだと。
陽気の悪い年があると畑作物は実らなくて、飢えに苦しんだんだと。
ちっとぐれえ銭しかねえ百姓は穀物を市場で買うこともできず、山に入ぇって栗の実、どんぐりの実、栃の実なんでも食えるものを探したんだと。
陽気が悪いからそんな実もろくになってねぇ。
わらびにぜんめえの根っこまで掘って叩いて粉にして食ったんだと。
天明三年の浅間押しの飢餓の年に、越後の国から笹板割りの職人がジャガタラ薯を土産に持って来たんだと。
この薯を作ってみたら、陽気が悪くても薯がとれたんだと。
これが田代村の薯つくりの始まりなんだと。それから田代村の衆はみんなジャガタラ薯をつくるようになったんだと。
天保七年の飢饉には田代村はこの薯のおかげで命が助かったんだと。」
田代村の薯作りの話はまだまだ続く...
このめぇつぼみだったシラネアオイの白花が花を開けた、その写真でも見るべぇか?
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by hanaha09 | 2018-05-12 19:10 | 田舎暮らし | Comments(0)
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