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あるちゅはいま日記

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塩の道

昔は塩は八百屋さんでは売ってなかった。
塩の道_b0126549_16185408.jpg
こんな看板のかかってる普通の店の玄関で売ってた。
大きな木の箱があって粗塩をはかり売りで買ってた。
政府の専売制度がしかれていた、無くてはならない消費財の利益独占が行われていたのである。

江戸時代には塩産業が発達、主産地は瀬戸内地方だった。
この塩は北前船、菱垣廻船で日本各地に運ばれた。
沿岸から山の奥までには「塩の道」ができた。
最も有名なのが糸魚川より松本の塩尻(塩の道の終点)までの千国(ちくに)街道、松本藩が塩を運ばせた主要な街道だった。
また、直江津に荷揚げされた塩が高田宿の扱いで北国街道を通り上田まで「塩の道」で運ばれた、上田市内には塩尻の町名が残されている。
その途中、善光寺から仁礼街道を抜け、嬬恋村を通り上野の国に至るルートもあった。
その瀬戸内海から江戸に荷揚げされた塩も塩尻に上って来た。
江戸川、利根川を高瀬舟で高崎の倉賀野宿までやってきた塩は、陸揚げされ碓氷峠を越え、和田峠を越えて諏訪や岡谷まで運ばれたという。 
まさに中山道を通ったわけである。
陸上の運搬には馬や牛が使われたが牛を用いることが多かったそうだ。
塩の道_b0126549_17211034.jpg
牛は歩みはのろいが、力が強く、野宿も出来、道端の草を食べれば済むなどの利点が多かった。
中山道のように大きな街道には草が生えて無いので牛が腹をすかせると並行する草のある細い側道を通っていった。
そして、馬は宿場ごとに取り替えなければならなかったが、牛は「通し」ができたから手間がかからなかった。 
牛の背に二俵の塩を積み、一人が五頭ないし六頭を連れて移動した、陸船(おかふね)と呼んだそうだ。
海から遠い地方に住む人々には大変貴重な塩、命を運ぶ「塩の道」だった。





by hanaha09 | 2018-03-20 17:26 | 田舎暮らし
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