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あるちゅはいま日記

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鎌原城址のニホンカモシカ

鎌原城は1397年に築かれた。
平安時代末期の事、嬬恋村一体は天仁元年(1108年)の浅間山で噴火で壊滅状態だった。
そこへ滋野一族の海野氏の末裔、海野幸房が戦乱を避けるようにやってきた。
刀槍を捨て下屋将監と改名、修験道を唱え三原の庄一帯(今の嬬恋村一帯)の荒れた土地を開墾していった。
開墾した土地は一族に分け与え、その地の統治を任した。
将監の孫五学坊の弟幸兼が鎌原に居を構えて鎌原氏の祖となった。
その後、鎌原氏は着実に勢力を拡げ、室町時代のはじめごろになると三原庄の地頭となって、吾妻郡西部における第一の豪族に成長した。
戦国時代を迎え、吾妻路は武田、上杉そして北条各氏の草刈り場となった。
幾多の戦いを経て、武田軍勢の真田氏についた鎌原氏は武田一族を背景に吾妻路制覇の第一線となって活躍した。
江戸時代に入り、吾妻路一帯を支配した沼田藩の主となった真田信行の元、鎌原氏は筆頭家老職を務めた。
一方、鎌原城は一国一城令により1615年、廃城となった。
しかし、天和元年(1681年)に沼田藩真田氏の悪政により幕府より改易を申し付けられた。
仕える主を失った鎌原氏はその後は嬬恋村大笹の関所守として幕末を迎えた。
鎌原城址のニホンカモシカ_b0126549_2023455.jpg
真ん中の奥にいるのがニホンカモシカだ。
栄枯衰勢を眉間に刻み込んだ鎌原城主のようなたたずまいだった。
by hanaha09 | 2017-11-10 20:07 | 田舎暮らし | Comments(0)
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