1958年、日清食品が世界初の即席ラーメン「チキンラーメン」を発売したのが今日の日、8月25日なのだそうだ。
昔々、角を曲がった二軒先の魚屋の棚の上に置いて売ってたのがこの「チキンラーメン」。
小学校の高学年と言えば食べ盛り。
親は共働きで夕食は夜遅く、帰校後に腹が減れば食べるのはこの「チキンラーメン」、袋を破ってどんぶりに入れ、沸かしたお湯を注ぎ、別の皿で蓋をする。
3分間じっと待つのだぞー。
こんなに卵の白身だけが旨く固まることは無い。
チキンの味なんてするわけがない。
旨かった、というよりこんなに味のラーメンがあったのか...とても不思議な食べ物だった。
しかし、このラーメンのおかげでまともに育ったといっても大きな間違いはない。
この偉大なる日本食を発明したのが安藤百福氏。
戦後まもなく「食こそが、人間が生きていく上で、いちばん大切なものである」と確信し、おくさんの料理するてんぷらをヒントに「チキンラーメン」の開発に没頭した。
完成までには1年の期間を要したのだそうだ。
その後、この「チキンラーメン」はカップラーメンに進化し、世界中の食べ物に育っていった。
ユングフラウヨッホの山頂にあるレストランでは東南アジアの団体観光客が「辛ラーメン」のカップを手に「お湯、お湯」と叫ぶ光景がなんとも言えなかった。
そして、事業の成功を成し遂げた頃、時代は豊かな経済のもとに食も満たされる一方、青少年たちの心はすさみ始め、大きな社会問題ともなっていた。
このことに、胸を痛めた安藤百福は、「食とスポーツは健康を支える両輪である」子供たちの心身の健全な育成のためには、スポーツによって溢れるエネルギーを発散させるべきであると考えた。
「チキンラーメン」製造販売の日清食品が創業25周年を迎えた年に、私財を提供して「安藤スポーツ・食文化振興財団」を設立した。
この活動の一つが安藤百福の生誕百年記念事業、自然体験活動の指導者を育てる日本初の専門施設として開設された「安藤百福記念 自然体験活動指導者養成センター」だ。
長野県小諸市の雄大な浅間連峰を望む地にあるこのセンター、年に数回利用させてもらう施設だ。