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あるちゅはいま日記

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信濃巫女

またまた話題になってるのが朝鮮半島のかの国の女スパイで有名な機密工作員。
昔々、信濃の国の小県(ちいさがた 現東御市)郡禰津(ねづ)村にも「くノ一」たちの拠点があった。
この村には、四十八戸の巫女の親分ともいうべき者が家を並べて住んでいた、という。
此の地をノノウ(巫女)小路と呼んでいた。
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武田信玄の時代にさかのぼる。
信玄は、永禄4年(1561年)の川中島の合戦で戦死した望月城主・望月盛時の若き未亡人、望月千代女(ちよじょ)を「甲斐・信濃二国巫女頭領」に任じた。
そして各地の合戦により発生した捨て子や孤児などから美少女を選び出し、信濃小県郡祢津村古御館(ふるみたち)の「甲斐信濃二国巫女道修練道場」と称した施設に集め、女忍者「くノ一」を養成させたという。
千代女は、「くノ一」養成所に集められた美少女に、読み書きの学問、呪術や祈祷、調伏(ちょうぶく)、忍術、護身術のほか、口寄せなどの巫女道の修練、相手の男を色香(性技等)で惑わし情報収集する方法などを教え、歩き巫女となって諸国に旅立って行った。
歩き巫女に国境は無く、全国何処でも自由に行けたため、関東から畿内を回って口寄せや祈祷、妖艶に舞を舞いながら、男の忍びには到底得られぬ情報を集めては、ツナギ(連絡役)の者を通じて信玄に逐一報告したのだそうだ。
江戸時代の終わりまで各地を巡った禰津のノノウ(巫女)の中には、霊能力的な才能を開花した者も多く居たそうだ。
彼女らは全国各村を回り舞や口寄せなどをしながら村人達を安心させたり勇気づけたりした。
それにより得られた金で当時の村はとても裕福な暮らしであったと伝えられている。
そして、山深い信濃の国にありながら、津々浦々の最新情報に長け全国に開かれた戸口を備えていた村でもあったようだ。
今も「禰津の里」に残る巫女の墓。
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by hanaha09 | 2017-02-21 10:28 | 田舎暮らし | Comments(0)
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