西暦1400年ぐらいから1850年前後は、世界的に寒冷化が進んだようだ。
気温は現在に比べ1~2℃低く、この期間を小氷期と呼ばれている。
気温の低下が著しい18世紀ころの日本の天候はどんな様子だっただろうか?
宝永4年(1707)に富士山大噴火が起きた、つづいて、安永4年(1775)に三原山の噴火が起き、さらに安永8年(1779)に櫻島の大噴火。
そして天明3年(1783)に浅間山の大噴火がやってきた。
これらは天候不順や異常気象を引き起こす要因になったことは十分考えられる。
火山の爆発によって吹き上げられた火山灰は日射を遮り、成層圏に達した微粒子(エアロゾル)などが日射を散乱することより気温の低下を起こす。
1822年と1824年には淀川が氷結、1822年2月22日江戸品川で2メートルの積雪があったことなどが記録に残されている。
おそらく当時の江戸では、冬に雪が降ることは珍しいことではなく、たびたび降ったと思われる。
歌川広重の『東都雪見八景』「霞ヶ関の雪上り」の図だ。
右側の家には門松、霞が関のお正月風景だ。
江戸時代のお正月は旧暦、ちょうど2月のこの時期だ。
こんな雪の日なのにほとんどが薄着、雪かきしている人たちなんて、尻丸出し。
おまけに裸足にぞうり、雪かきしているからってあんまりにも寒そうだ。
江戸っ子たちには「薄着が粋」「伊達の薄着」という美意識があった。
冬でも厚着はせず、足元も裸足に下駄やぞうりを通したそうなのだ。
現代も粋を通す女の子。