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あるちゅはいま日記

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総天然色映画「カルメン故郷に帰る」

昔々、学校を抜け出し見に行った成人映画は総天然色ではなかった。
肝心な場面だけがカラー、あとは白黒だった。
これよりも先立つ昭和25年、映画界を代表する松竹大船製作所は国産初の総天然色映画の作成に踏み切った。総天然色映画「カルメン故郷に帰る」_b0126549_21564571.jpg
木下恵介監督の書き下ろし「カルメン故郷に帰る」だ。
主演は高峰秀子、その他小林トシ子、望月優子、佐野周二、佐田啓二、笠智衆等。
撮影に使われたのは富士フィルムで開発されたリバーサル・外式発光というフィルムだった。
これは撮影フィルム自体が正像を持つ反転式で、発色は現像液に発色剤を添加する外式で行うという独自の方式だった。
このフィルムには通常の白黒撮影の3倍の光量が必要とのことで、浅間山麓がロケーション地として選ばれた。
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浅間牧場一帯が主要な場面のロケ地となった。
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何しろすべてが初めてのこと、撮影現場には富士フィルムの技術者も立ち会い、露光条件の決定・フィルターの使い分け・出演者の化粧や照明方法などに協力し断続的に試写用プリントを確認しながら撮影が進められた。
いかに撮影が困難であったか、主演した女優高峰秀子は『わたしの渡世日記』の中で次のように書き記している。
「すべてが第一歩からの出発であり、すべてが暗中模索の連続だった。実際のクランクイン以前の下準備だけで、スタッフはもはやクタクタの状態だった、といっても過言ではないだろう。何を、どう撮れば、どう写るかを、60人のスタッフのだれ一人として分からない、などという奇妙な仕事がこの世にあるだろうか?」
「私の場合は、なにしろストリッパーだから化粧は顔だけではすまない。胸から背中、腕から足の裏に至るまで、衣装から出ている身体中を塗りまくらなければならない。トノコの粉をまぜた水白粉(みずおしろい)は毛穴をふさいで、それだけでも縫いぐるみでも着たように暑い上に、眼の眩むようなライトにカッカと照らされるのだからたまったものではない。」
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「なぜか私の頭のテッペンからモヤモヤと煙が上ってきた。煙といってもまさか髪の毛が燃えて頭が火事になったわけではない。髪につけたヘアオイルがライトの熱で煮えたのだ。天ぷら鍋の揚げ油温度が上がりすぎると紫色の煙が立つ、ちょうどああいう具合である。私はさすがにビックリして熱い頭を両手で押さえてカメラの前から逃げ出した。」
「ロケーションは八月から十月末まで、軽井沢の浅間牧場を中心に行なわれた。なぜ三カ月もかかったかというと、クランクイン間際になってから突然、松竹首脳部がおじけづいたのか、「万が一、カラー映画が失敗したときには白黒映画で封切りをしよう」ということになり、カラーと白黒と、同時に二本の映画を撮ることになったからである。」
「軽井沢の気候は、九月に入るとぐっと気温が下がる。八月には緑一色だった風景が、みるみる黄味を帯び、あっという間に秋が来た。「カルメン故郷に帰る」はたった一週間の出来ごとの映画である。一本の映画の中で風景が緑になったり茶色くなったりしては大変だ。そこで、一カット毎にカメラに入る範囲の草や木に緑色の塗料をスプレーする作業がまた増えた。その作業が終わるまで、半裸体の小林トシ子と私は、セーターの上に綿入れのハンテンを重ねて、ガタガタ震えながら、出番を待っていた。」
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「今考えても辛い仕事だった。合わない仕事だった。しかし、その辛さを楽しさに変えてくれたのは木下惠介監督だった。」
撮影に使用されたリバーサル・外式発光方式は、基本的に赤と緑の発色に問題があることも分った、結果として映画は必ずしも満足のゆくものではなかった。
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が、昭和26年3月に「総天然色映画」と前面に打ち出して公開された「カルメン故郷に帰る」の興行収入は6800万円を記録、大成功だった。
この挑戦が無ければ日本映画黄金期を飾った木下・高峰コンビの代表作「二十四の瞳」、「喜びも悲しみも幾歳月」も生まれなかったかもわからない。
今、世界各地で見かける「FUJIFILM]の緑の看板もなかったかもわからない。
浅間山麓で生まれた文化・産業遺産に違いない。

同時に撮影された白黒フィルムは長年行方不明となっていた。
木下恵介の死後、遺品の中に見つかったこのフィルムは2012年のベネティア映画祭で上演された。
総天然色版よりも出演者たちの演技は肩の力が抜けたものだったそうだ。
by hanaha09 | 2017-01-30 21:38 | 田舎暮らし | Comments(0)
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