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あるちゅはいま日記

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まだまだあった石灯篭

小諸市内に向かう平原、国道18号線沿いにある古民家蕎麦処「やまへい」。
まだまだあった石灯篭_b0126549_1712185.jpg
数年前に手打ち蕎麦をいただきに入ったことがある。
値段もバカ高くなく、味も悪くはなかった、でもちょっと遠いのでその後いったことはない。
今日も蕎麦を食べには入らなかった、まだ開店前だった。
クリスマス電飾のある庭園で見つけたのはこれ。
まだまだあった石灯篭_b0126549_17161540.jpg
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石灯篭の竿の部分には...
「奉献石灯篭
 増上寺
 惇信院殿 尊前
 寶曆十一年辛巳年六月十二日
 従五位美濃守越智宿祢一柳頼寿」
にわか歴史家のいい加減解説...
「宝暦11年6月12日(徳川家重の逝去翌年)に第九代将軍徳川家重の増上寺墓前に伊予小松藩主である一柳頼寿が石灯篭を奉納」と解釈できる。
徳川家霊廟から持ち出された石灯篭に間違いはないだろう。
この他にも、灯り入れの部分がなぜか新しい2基の灯篭。
まだまだあった石灯篭_b0126549_18372131.jpg
片方の灯篭には「台徳院 寛永〇月✖✖日」とある、あとはかき消された跡が。
「台徳院」とは増上寺に祀られた第二代将軍徳川秀忠の院号。
この後ろにあるもう一つのつぶれた石灯籠、同じく「台徳院」の名がかろうじてみられる。
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近くにはもっとすごいものも残されていた。
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葵の御紋がもう崩れかかってる。
「やまへい」さんのホームページには...
「戦後の境内(増上寺の事?)が荒廃していた折、ホテル東京建設のため倒伏した石灯籠の多くは所沢の現在の西武球場前駅のあたりにおかれていたのですが、そのほとんどが倒れていたままであったものを昭和45年頃、当社の創業者が、ご指示のもと整理し組み立てました。(鬼押出し園にある天明の大噴火の供養のための観音堂は上野寛永寺の別院であり懇意にさせていただいていたと聞いております。)」、と。
「やまへい」さんの沿革を眺めてみると、鬼押し出し園への出店(野沢菜漬けの販売?)、軽井沢西部百貨店の青果部門担当、などなど。
そして軽井沢の蕎麦店は西武プリンスショッピングプラザの敷地の前だ。
またまた、堤康次郎氏の影が浮かんできた。
by hanaha09 | 2015-12-19 21:13 | 田舎暮らし | Comments(0)
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