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あるちゅはいま日記

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弥次さん喜多さん

江戸の十返舎 一九(じっぺんしゃ いっく、1765年生まれ) は、江戸時代後期の戯作者、そして浮世絵師。
「東海道中膝栗毛」の作者として現代もだれにも知られている。弥次さん喜多さん_b0126549_1037964.jpg
膝栗毛 とは...膝は自分の足の事、栗毛とは栗色のうまのこと、つまり自らの足で歩いた道中記だ。
折からの旅行ブームに輪を掛けて寺子屋で文字を学んだ庶民の娯楽として売れに売れた。
道中は弥次郎兵衛(やじろべえ)と喜多八(または北八・きたはち)の二人が狂歌・洒落・冗談をかわし合い、いたずらを働きまた失敗を繰り返し、行く先々の騒動が事おもしろしく書かれている。
そして、一九は次々と旅を続け『膝栗毛』の続編を書き継いだ。
文政元年(1818年)に、江戸から三国街道で越後に行き、帰りに善光寺に詣で、大笹街道を通って草津の湯に出かけた。
星の出ている早朝に善光寺を後にした二人は「善光寺より、上州草津にゆかんとして、大笹街道といへるを行。珠に難渋の山道なり。仁礼駅より田代といへるまで、行程七里のあひだ山里なし。」と難路を嘆いている。
浅間山の後ろを通って木々もない芝原の峰道は退屈、喜多八の提案でつんぼと盲(めくら)になって晩の宿に泊まることにし、くじ引きで弥次郎が盲、喜多八がつんぼうになった。
夕方田代宿へ到着し、喜多八は弥次郎の手を引き旅籠の奥へ入った。美しい女中が茶を運んでくるのだが、弥次郎は見るのを我慢。食事中も目をつぶっている、喜多八は悪ふざけをするので、弥次郎も負けじと喜多八の悪口を女中に言いつける。
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食事も終わり、弥次郎が美しい女中に手を引かれ風呂に行った。その間に喜多八は”私はうそのつんぼうだが弥次郎は本当の盲”と女中を口説こうとした。そこに弥次郎が目を大きく開けて風呂から出てきた。今度は弥次郎が”私の盲はうそだが、喜多八のつんぼうは本物だ”とまたまた女中を口説いたのだ。
二人とも別々に女中を口説いたつもりで夜を待ったが美しい女中はやってくるわけはなかった。
翌日に女房がやってきて布団をひっぺ返すと、二人のうそは大ばれ。
朝食時には結局美しい女中は現れず、代わりにみっちゃくちゃの下女が給仕にやってきてなにやらくすくす笑って立ち去っていった。
2人は不機嫌な面をして支度して宿を立ち、早くも大笹駅に着いたということだ。

この田代の宿とは「鹿沢温泉」のことではなかろうか...
江戸時代にはこんな賑わいもあった嬬恋村だ。
by hanaha09 | 2015-08-05 10:41 | 田舎暮らし | Comments(0)
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