長崎の出島にあったオランダ商館に輸入品仕訳帳というものがあるそうだ。
1645年にオランダからもたらされた「暗室鏡(doncker camer glassen)」なるものが記載されている。
これが日本に初めて輸入された「カメラ・オブスキュラ(針穴写真機)」だ。
写真機といっても今のフィルムのようなものがあったのではない、レンズを通してガラス板に映し出されるピンホール画像を手でなぞって絵にするものだ。
この前に見た「真珠の耳飾の少女」の映画の中でも出てくる。
フェルメールが召使の少女に「カメラ・オブスキュラ」を見せてる様子。
こんな風に見えたらしい。
さかさまに映ってないので何らかの工夫がされてるようだ。
日本ではエレキテルの平賀源内と日本での初めての銅版画を描いた司馬江漢が好んで使ったようだ。
そして彼らが名づけたのが「写真鏡」。
この手法は、描画における遠近法・透視画法の確立に大きな役割を果たした。
このように、江戸中期には西洋で築かれた遠近法も、陰影画法も日本の絵師たちによく知られていた。
葛飾北斎の1834年に出版の絵本「富岳百景」には「さい穴(節穴)の不二」という富士の節穴絵図もある。
でも、浮世絵師たちは「ありていに描きては興なきものなり」、つまり「あるがままにリアルに描いても面白くないでしょ?」、と。
この浮世絵師たちが写実主義から抜けだそうとしていたフランスをはじめとするヨーロッパの絵描きたちに驚愕の印象を与えることになったのである。