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あるちゅはいま日記

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ポワソンダブリル

4月1日はちょっとした嘘が許される『エイプリルフール』として知られている。
フランスではこの日を『ポワソン ダブリル』(4月の魚)と呼んでいる。
『ポワソン ダブリル』になると、フランスの子供たちは魚の形の紙を誰かの背中に貼りつけるイタズラをしたり、魚をモチーフにしたパイを食べたりするのが主流だ。
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日本でのエイプリルフールの受容は意外に早く、戦国時代に日本を訪れたイエズス会宣教師によってこの風習が日本に伝えられていた。
日本では四月一日が綿抜きの儀式の日にあたるため、二か月遅れの六月一日に一言ウソをつくことに変更された。
が、名称はポルトガル語の「Avril(アブリウ=四月)」と「tolo(トロ=馬鹿)」から「とろあぶり」の日として受け入れられた。

そして江戸時代、関ヶ原の戦いで敗れて斬首された小西行長の遺臣・益田甚兵衛は、天草の宇土で浪人百姓となっていたが、その息子(当時十六歳)の四郎時貞(洗礼名フランシスコ)について「こいつは実は救世主なんですわ」というつまらぬ冗談を言ったところ、田舎者でとろあぶりの風習を知らなかった天草のキリシタンや農民が本気にして一揆を起こしてしまった。
島原の乱である。
また綱吉の時代には、吉良上野介義央のとろあぶり冗談を理解できなかった浅野内匠頭長矩が田舎侍と馬鹿にされ、それに怒って江戸城内松の廊下で斬りかかった「殿中刃傷」事件が勃発。
浅野家はお取りつぶしとなったが、大石内蔵助をはじめとする赤穂四十七士が吉良屋敷へ討ち入った。
とろあぶりの冗談がわからなかったことから敵討ちに至ったということで「阿呆浪士」と呼ばれたが、現在では誤って赤穂浪士として伝えられている。
綱吉はこの事件を受けて「とろあぶりいたすまじきこと」との禁令を発した。

「日本でのエイプリルフールの受容は意外に早く」以降の解説文はすべてウソ。
by hanaha09 | 2015-04-01 18:36 | 田舎暮らし | Comments(0)
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