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あるちゅはいま日記

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燐寸の日

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またまたつまらぬ記念日の話。
9月16日は「燐寸の(火ではない)日」。
1948(昭和23)年の今日は、戦時中、配給制であったマッチの自由販売が認められた日なのである。
日華事変勃発後、物品税が課せられ公定価格が実施された。
そして、昭和15年には「マッチ配給統制規則」により配給制となった。
大東亜戦争に突入後は1日4~5本ほどの配給量、しかも原料不足で不良品も多く出回っていた。
当時、薪や炭でご飯を炊いていた家庭の女性たちはもうかなわん!と叫んでいたのです。
それで終戦後、主婦が中心に不良燐寸追放運動が起こり、これが契機となって主婦連合会が誕生したそうだ。
燐寸は必需品であるとともに希望の火でもあります。
江戸時代の終わり頃に書かれたアンデルセンの童話だ。
昔昔、大晦日の雪の降る日に燐寸売りの少女は大事な靴をなくしてしまった。
裸足で雪の中を一日中歩き回って燐寸を売ったが1本も売れなかった。
家に帰っても稼ぎの無い少女は家の中にも入れてもらえなかった。
少女は寒さを避けるために家と家の間にたたずんで持ってた燐寸を1本擦ってみた。
燐寸の火はとってもあったかでストーブの前にいるようだった。
しかし、ストーブに手を伸ばしてあったまろうとすると燐寸の火は消えてストーブも消え去ってしまった。
少女はまた燐寸を擦ってみると今度は暖かな部屋の中にガチョウの丸焼きがすーと近づいてくるのが見えた。
「おいしそう」、とその時燐寸は消えごちそうも部屋もアッという間に消えてなくなった。
またも1本の燐寸を擦るとクリスマスツリーのろうそくが現れたが燐寸が消えてもろうそくは消えずに天高く登って星になった。
これは死んだやさしかったおばあ様に違いない、もう消えずに私を一緒に連れてって、と持ってた燐寸を次々と全部擦ってしまった。
翌朝の元日の朝には少女は微笑みながら死んでいたそうです。

最後に残った1本の燐寸で湿った薪に祈りながら火をつけようとしたときの気分であります。
by hanaha09 | 2014-09-16 21:54 | 田舎暮らし | Comments(0)
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