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あるちゅはいま日記

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碓氷峠のパイプライン

碓氷峠は中山道で上州と信州を隔てる大難所だ。
横川と軽井沢間はたかだか10kmたらずの距離だが標高差が550mほどになる。
明治18年には直江津-軽井沢および横川-高崎間の鉄道が開通、しかし碓氷峠の難所ゆえ工事自体が放り出されていたのである。
そして明治26年4月にアプト式鉄道をドイツより導入、開通を迎えた。
初の本州横断鉄道が開かれたのだ。
まだ上越線も開通を見ていないこの時代、東京へ向かう北越、越後の貨物がこの峠にどっとなだれ込んだ。
その貨物には新潟で産出される重油が含まれていた。
東京の夜にともされるランプ用石油の需要が膨らんでいたのである。
ところが開通後間もなく碓氷峠の横川、軽井沢には滞貨の貨物が山積みになった。
我が国初のアプト式線路の運転はそう簡単ではなく、一列車の牽引力はおよそ100トン、客貨車5両程度。
横川ー軽井沢間を1時間半、時速は8km程度であったのだ。
急こう配のトンネルはまさに煙突、蒸気機関車の煤煙は列車とともに上へ上へ、まさに煙との戦いであった。
こんな中で石油搬送タンク車は安全を考え両駅間に滞り納期は大幅に遅れ、輸送幹線としてはほど遠かった。
そんな状況を憂えた軍部が決定したのは軽井沢-横川間に石油輸送用のパイプラインを引くことであった。
明治39年になって11kmにわたり線路沿いに埋設重油パイプラインが完成した。
軽井沢から横川までおよそ1時間半で重油は無事に流れ下った。
また再びタンク車に積まれ東京へ向かった。
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このパイプラインの配管はドイツより輸入された継ぎ目なし鋼管がもちいられ外周にはアスファルトをしみこませたジュートがまかれ腐食防止がされていた。
今日の技術にも見劣りしないものである。
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大正3年まで石油輸送の幹線ルートしてこの碓氷峠を日夜問わずに静かに重油が流れ下っていたのである。
このパイプラインは撤去されたもののまだ一部には埋設されたままにもなっているそうだ。
煉瓦積みの橋脚の横に残された架台はこのパイプライン用であったかもわからない。
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開国まもない明治の技術者たちの誇れる近代化技術遺産に間違いない。
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by hanaha09 | 2012-11-29 09:00 | 田舎暮らし | Comments(0)
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