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あるちゅはいま日記

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歴史の中のバイオテクノロジー

江戸末期に信州松代藩佐久間家の長男として生まれた佐久間象山(しょうざんともぞうざんとも読むそうだ)。
江戸に出て広く洋学を学び若干29歳にして「象山書院」を開いた。
その卓越した才能・先見性・スケール・合理性・信念・行動力に、周囲は必ずしも追随できず、彼の行く所には波風が絶えなかったそうだ。
この象山が松代藩主の命により藩の殖産興業政策の調査を行った。
象山の頭には品質の高い黒色火薬作りがひとつのアイデアにあった。
藩の境を越えて嬬恋村、草津をたびたび訪れている。
ここは草津白根山の湯釜。
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この湯釜で採取した良質の硫黄、嬬恋村で得られる安価な炭、そして草津温泉客のし尿を用いた硝石生産、これで当時各藩が喉から手の出る火薬の製造計画を描いたようだ。
もともと硝石とは鳥の糞の化石、と昔習った。
実は藩政時代の加賀藩では300年にもわたってひそかに硝石(その頃は煙硝と呼ばれていた)生産がおこなわれていた。
その密造工場は世界遺産にも登録された五箇山の合掌作りの家の中。
その方法とは、
いろりの炉端の両側に長さ2間(3.6メートル)、幅3尺(90センチ)、深さ1間(1.8メートル)の溝を炉端に沿って掘る。
この溝に原料を入れる。
 ① カイコや鶏の糞を混ぜた土壌
 ② そば殻やヨモギ ・麻の葉を干したり蒸したりしたもの
 ③ ①の土壌
 ④ 人尿
 ⑤ 土     
の順に何層にも積み重ねて床の間際まで積む。
いろりの熱のもと、4・5年の長い年月をかけて発酵させる。
年に1度掘り起こし新しい空気に触れさせ、混ぜ合わせる。
①から④を足してまた土をかぶせて埋める。
これを繰り返しできたものを「塩硝土」という。
「塩硝土」を桶に入れ水をかけ、一昼夜おく。
塩硝の水溶液を抜取り塩硝釜で煮詰める。
草木灰を加え濾過。
濾過液をさらに煮詰めて塩硝を凝縮していく。
最後に自然乾燥して結晶を得る。
これが「灰汁煮塩硝(あくにえんしょう)」。
塩硝は金沢に運ばれ硫黄・木炭と配合され黒色火薬が製造されていた。
「煙硝の道」と呼ばれる秘密の輸送ルートまであった。
山の達人たちは堆肥作りから「煙硝」作りの手法を編み出した。
これがいまでいうバイオテクノロジー。

佐久間象山の越境プランテーション計画は他藩のけっちんを食らった。
おまけに藩主の逝去もあり挫折した。
うまくことが進んでいれば松代・嬬恋百万石藩なんてものが歴史の1行に残ったかもわかりません。
by hanaha09 | 2012-04-05 09:00 | 田舎暮らし | Comments(0)
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