今日は牛の話。
「昔々、信濃の国小諸に強欲な婆さんがすんでいたとさ。
近くの布引観音さまの祭礼の日、この婆さん布を洗濯して軒先に干してあった。
するとどこからもなく牛がやってきて、その布を角に引っ掛けて逃げていってしまった。
婆さんは怒って牛を追いかけましたが、牛はどこまでも逃げて行きとうとう善光寺まできてしまいました。(小諸から善光寺までは64kmの道のり、この辺が昔話の面白いところ)
消え行くように牛が入っていった金堂に恐る恐る踏み入ってみると、牛のよだれがさながら光った文字に見えてきました。
『牛とのみ思いすごすな
仏の道に
汝を導く 己の心を(われ観世音)』
さすがの強欲婆さんも今まで心の底に眠っていた仏心が目を開き、その晩は御仏の前で称名を唱えてあかし、盗られた布の行方をたずねる心も捨て家に帰ってきたとさ。
後日、近くの観音堂に参った際にふと見ると、布は観音様のお体にかけられているではありませんか。
それを見た強欲婆さんは、実は牛と思ってたのは観音様の化身であったと気づきますます善光寺如来への信心を深め、極楽往生を遂げたということです。」
これが牛に引かれて善光寺参りのお話。
江戸時代にも大旅行ブーム、大勢の大江戸庶民が善光寺参りへと中山道を上っていった。
碓氷峠を超え、江戸とも離れてくるとタガをはずすものも結構居たそうだ。
信州に入った軽井沢、沓掛、追分の三宿は言わずと知れた女郎町。
飯盛り女にだまされて長逗留、善光寺まで行き着くことが出来ずにそのまま江戸に引き返すものも。
天明3年の浅間焼けにも信州はほとんど被害はなかったが、この三宿のみに降灰、火災等の被害が集中した。
善光寺如来の信心を妨害した「たたり」じゃー、という評判もまことしとやかにささやかれたそうだ。
東日本大震災から4ヶ月、強欲婆さんばかりの永田町ではちょっと困ります、牛は居らんかね。