古語で「なゐ」は大地、「ふる」は振動する、「なゐふる」で地震の意味となります。
日本地震学会の広報誌名になっています。
いまをさかのぼる2005年の記事がありました。
スマトラ沖地震の際、スリランカ、プーケットの海岸で異変に気づいた人々が勇気を持って注意を促し、多くの命を救ったことが「平成の稲むらの火」として紹介されています。
地震の予知・予測による災害軽減のためには、まだまだ基礎的研究開発が必要であるのに対し、津波は今ある技術や手段の適用ができれば確実に被害が減らせる種類の災害です。
① 異常を察知する
② その原因を推測・理解する
③ 適切な行動を起こす
地震は言わずもがなの自然現象で、現実的な範囲でどんなに堤防を高くしても、絶対津波の侵入を防げるとは断言できないし、地震の強い揺れを抑え込むことも現状ではとても出来るものではありません。行政であれ、誰であれ、スーパーマンでない限り、いくら命をかけてもらっても、住民全てを安全にできる類の現象ではないのです。だからみんながそれぞれに自覚して一人力でいいから行動することが重要になります。
いま、もう一度「稲むらの火」思い起こしてみることも必要ではないのでしょうか。
昭和初期の小学校教科書にもあるのですが...
「稲むらの火」には出てこない実話だそうです。
1854年(安政元年)安政東海地震の際に稲むらに火をつけ村人に津波を知らせた濱口梧陵。
津波で家、農地をなくした失意の村人に勇気を与えたのが梧陵の津波除けの築堤工事。
蔵の米もすっかり無くなった梧陵が銀94貫を費やした4年間にわたる村人たちの大救済事業であった。
その後見事に復興を成し遂げた広村、今の和歌山県有田郡広川町。
昭和21年南海地震の際の4mもの津波にも無事に耐えることが出来た。
そして梧陵の家業はヤマサ醤油として今もある。