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あるちゅはいま日記

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太子線廃線跡探検記その1

草津温泉の北方に鉄鉱石が見つかった。
地中から吹き出てくる鉱水に含まれる鉄イオンがバクテリアによって酸化される。
酸化物は下流に堆積し針鉄鉱(ゲータイト)の鉱床となった。
そこが群馬鉄山、露天掘りで鉄鉱石の採掘をはじめたのが昭和19年。
鉄鉱石の運搬のために鉄道省が同年、渋川~長野原間の鉄道42kmを新設、採掘権を得た日本鋼管鉱業株式会社が側線長野原~太子(おおし)迄5.7kmの建設を担った。
群馬鉄山からは山を越え太子までの索道を敷設。
本格的に採掘、運搬が始まったのが昭和20年1月。
月間5万トンの予定で日本鋼管川崎製鉄所への出荷が始まったんでありますが…
戦局の逼迫時期でもあり労働力の不足、太子線の脱線事故やらで出荷思うにまかせず、ついに激しい空襲により川崎製鉄所の高炉の火も消え終戦を迎えた。
戦後の復興を経て再開されたものの月産2万トンを記録したのは3年間ほどにすぎず、資源の枯渇と品位の高い輸入鉱石を前にしてはなすすべもなく昭和40年に20年にわたるその歴史を閉じた。
その間渋川から長野原、太子までの貨物線は昭和27年に国鉄に譲渡され旅客営業も始められた。
そして昭和46年大前駅までの吾妻線開業と共に盲腸線の長野原-太子区間は廃線となった。

長くなりましたが最近の廃墟ブームで人気絶頂の太子線跡をたずねてみました。
群馬鉄山からの索道、太子線終着駅跡は公園として村人により保存されています。
線路の車止め、鉄鉱石積み込みのホッパー跡が残されています。
トイレは当時の駅舎のものそのままだそうです。
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ホッパーに近づくと60年を越す歳月がうかがえる廃墟です。
鉱石を貨車に落とし込む音、埃、絶え間ない索道のきしむ音が聞こえてきそうです。
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長野原方面へ200メートルほど行きますとこれもなにやら鉄道施設跡が。
何だったのかよくわかりません。
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廃線後の軌道敷き跡は村道として譲渡されたみたい。
そのまま生活道路になってます、が、どうも車にはちょっと狭い。
田んぼへの通勤専用道路?
谷を渡る橋脚もガードレールもついてますが鉄道時代の雰囲気です。
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どんどん行きますとトンネル。
廃線跡の雰囲気がだんだん強くなってきます。
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このトンネルを越えるとまたトンネル。
終戦間近の建設にしては立派な隧道です。
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真っ暗なこのトンネルを通過中に車の底がガリガリ。
暗くて何か分からなかったんですが...降りてみると。
なんと天井からはつらら、下には落ちた氷が山の様になってつみあがってます。
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これじゃ普通の人は通れない。

もう少し進みたかったんですが...
本日の探検は危険につきこれにて終了。
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by hanaha09 | 2011-03-06 12:26 | 田舎暮らし | Comments(0)
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