ブログトップ

あるちゅはいま日記

hanaha09.exblog.jp

五輪廃墟

ようやく冬のオリンピックが終わる。
何度も同じ場面が繰り返される毎日のテレビニュースがちょっとうざくなった。
平昌オリンピックの総予算が90億ドル(およそ1兆円)だそうだ。
さて、2020年の東京オリンピックの総予算は1兆8千億円、大会後の整備費用を含めると2兆円を大きく上回るのだそうだ。
実はこの2兆円が3兆円まで膨れ上がるという見方もある。
その経済効果はおよそ30兆円、捕らぬ狸の皮算用も含まれている机の上の計算らしい。
費用はまずは大会組織員会、そして東京都、政府が支出するということになる、ほとんどが国民の税金だ。
こんな記事がネットニュースに出ていた。
2008年開催の北京オリンピックバレーボール会場だそうだ。塗装も看板もめくれ上がった廃墟、もう危険物だ。
b0126549_17580179.jpg
2004年オリンピック発祥の地アテネで開かれた会場跡、今は落書きの会場だ。
b0126549_17573126.jpg
1984年サラエボ冬のオリンピックボブスレー会場跡、1992年ボスニア・ヘルツゴビナ紛争の際に金属部分が取り外され砲台の材料になったのだそうだ。
b0126549_17580836.jpg
2016年リオデジャネイロ夏のオリンピック水泳競技場に併設された練習用プール、たった1年ほどでゴミの浮くただの水たまり。
b0126549_17581318.jpg
こんなことにならないように東京都民だけではなく、すべての国民が注視しなければならない東京オリンピックだ。







[PR]
# by hanaha09 | 2018-02-24 18:24 | 田舎暮らし

反本丸(へんぽんがん)

もう2,3年前にもなる。
わざわざ琵琶湖のほとりにある彦根まで近江牛と松茸すき焼き食べ放題に出かけたことがある。
食べ放題なんてのはいつも食べ過ぎで味はどこかへ飛んで行ってしまうのが普通。
案の定、食べ過ぎで胸はむかむか、口の中は脂脂、松茸なんて香りもへったくれもなかった。

江戸時代、牛は農作業に活躍する貴重な家畜、また仏教の殺生禁断思想により、牛肉なぞを食べてしまうことはあり得なかった。
しかし、彦根周辺では昔から密かに食べられ、それが日本各地に広がっていったのである。
もともと、彦根藩は幕府に陣太鼓に使う牛皮を毎年献上するのが慣例、公に牛の屠殺が認められていた特別の藩だった。
当然後に残った肉は食用に、といっても日本人の倫理観にはそぐわない。
今も昔も頭の良い人はいつもいるもので、三代藩主直澄時代の家臣花木伝衛門が中国の薬学本「本草網目」からヒントを得て、「反本丸」(へんぽんがん)という薬と称して世の中に流通させた。
それには「反本丸」の製法が次のように記されている。
「健康な黄牛(肩にこぶのある飴色の毛を持った農耕用の立派な牛)の筋を取り除き、切断した肉を洗ってから一晩浸し更に三回洗う。さらに酒と共に煮て…」結構複雑な製法が延々と書き綴られている。
b0126549_10354531.jpg
近江肉牛協会の解説によると、この養生薬「反本丸(へんぽんがん)」は味噌漬け、1687年に彦根藩により商品化されたらしい。
寛政年間以降、彦根藩から将軍家や諸大名へ牛肉を贈った記録が「御城使寄合留帳」として残されている。
この養生薬の効能はあらたか、いずれも相手方から所望に応じて贈ったものであるようだ。
赤穂浪士の大石内蔵助から、同士の堀部弥兵衛に宛てて、彦根産黄牛の味噌漬をおすそ分けすることを記した書状も残っている。
b0126549_10415714.jpg
老齢の弥兵衛には「其処には養老の効果重畳、倅主税などにまえらせ候かへってあしかるべし(年寄りには効果絶大、若者には効きすぎて害になる)」とある。
そんな効能を知ったか知らなかったか、十五代将軍徳川慶喜のおやじの水戸藩主徳川斉昭、この養生薬「反本丸」がいたってお気に入りだった。
斉昭は単に艶福家であったのみならず、女色に淫すること甚だしく...とあるように正室に加えて9人の側室、22男15女をもうけた精力家。
ところが彦根藩の井伊直弼が家督を継いでから、いつも送られてくる牛肉がすっかり送って来なくなった。
お楽しみの養生薬が恋しく、何度も井伊直弼に使者を出し送ってくれるよう懇願したが返事はけんもほろろ「絶対にお断り!」と。
ついに斉昭は「直弼の野郎……!」とつぶやいた。
これがあちこちから漏れ伝わった、井伊直弼(開港推進派)と徳川斉昭(攘夷派)の私怨の発端。
そして、起きたのが「桜田門外の変」、井伊直弼を襲撃、暗殺したのが水戸藩の浪士。
日本の歴史を書き換えたこの大事件、実は牛肉の恨み、欲しくてたまらない肉を送ってもらえないという、直弼に対する斉昭の恨み、すなわち「食い物の恨み」がそもそもの原因だった?
b0126549_11161037.jpg
ほんとうの話かなぁ...





[PR]
# by hanaha09 | 2018-02-23 11:25 | 田舎暮らし | Comments(0)

平昌の荷物持ち

b0126549_09504051.jpg
群馬の地元新聞、上毛新聞に掲載されていた。
もう世界でも最も有名になった女子1,500mスピードスケートで銀メダルを勝ちとった高木美帆選手、その横にいるのがかつてのスピードスケートのスター選手であった黒岩彰氏、首にかかっているのがどう見ても高木美帆選手の名札。

世界スプリント選手権で2度の総合優勝、全国民の期待のかかった1984年のサラエボでの冬季オリンピックスピードスケート選手だ。
報道陣には常に「メダルメダル」の質問攻め、ふるさとの嬬恋村には十数台のテレビ中継車がやってきたそうだ。
サラエボの空港に着いた時、この世界一のスケーターはメダリストへの重圧で不安から恐怖に震えたこともあったそうだ。
10位に終わったサラエボからは一人だけの孤独な闘いが始まった。
練習から参加登録から遠征先へのチケットから滞在先まですべて一人、何でもやった。
次のカルガリーまでの4年間、自分ではやれることを100%やってきた。
この俺を抜く人がいたら、僕は心から祝福してあげたいと思って、スタートラインについたそうだ。
こんな大きな成長がメダルをもたらしたのだった。
「オリンピックは自分のやれる限りのことをやる、最高のポジションで、最高に自分を鍛えられる場所だと思う」と締めくくっていた。

黒岩彰氏の平昌オリンピックでの今の役目は総務担当、「何でも屋」だ。
選手たちの報道対応に、移動や食事の手配などと、幅広くて忙しい。
オランダ出身で、日本代表を指導するヨハン・デビット・コーチの憧れの存在でもある、といわれる。
日本選手の大活躍も、彼らを縁の下で支える素晴らしい裏方役が居てからのこととも思われる。
選手・コーチ・スタッフとして8回目の平昌オリンピック、「ようやく楽しみと感じるようになった」と、黒岩彰氏は語っている。











[PR]
# by hanaha09 | 2018-02-22 11:43 | 田舎暮らし | Comments(0)

東日本大震災の残したもの

このところ火山活動が活発だ。
本白根山が水蒸気爆発を起こした。
蔵王山に著しい火山背地震、微動が観測されて警戒レベルが引き上げられた。
浅間山もこのところ1kmほどの浅い場所での火山性地震が頻発している。
そして、九州の霧島山周辺では火山性地震が頻発マグマの動きが活発化しいる様子がうかがえる。
ちょっと前には御嶽山の噴火もあった。
火山の噴火はどうして起こるか?
マグマの中に含まれる水蒸気、その他の火山ガスが何らかのトリガーで一挙にガス化、体積の急膨張でマグマと共に火口から噴き上げる。
そのトリガーとは何か?よくわからない。
マグマの上昇による減圧、地震による振動、微量の化学反応等...
今から7年ほど前の2011年3月11日、東日本大震災が起きた。
この超巨大地震は、太平洋プレートが日本海溝から沈み込むことで海溝の内側(西側)の地盤に溜まった歪みが一気に解放されたために起きた。
今はその反動で地震発生前には押し縮められていた日本列島の地殻が、発生後には引き伸ばされることになった。
群馬県あたりでは1年に2cmほど東方向に移動を続けているのがGPS測定で観測されている。
b0126549_17215599.jpg
地震発生後、引き伸ばされた地殻の圧力は下がり、マグマの中に溶け込んでいた水分や火山性ガスがガス化する。
何かのトリガーで、この挙動が連鎖的に生じるとその圧力は一挙に増大し火道からマグマが一挙に上昇、噴火になる。
震災後の黄色に塗り分けられた、引張応力のかかった地殻の地域を見ると不思議と活発化している火山に突き当たる。








[PR]
# by hanaha09 | 2018-02-21 17:37 | 田舎暮らし | Comments(0)

破局噴火

カルデラ噴火は、火山活動で出来たカルデラにおいて「その窪地の面積ごとマグマが噴出する」という大規模な噴火のことだ。
b0126549_16090264.jpg
九州のおよそ50km南にある巨大カルデラ、鬼界カルデラを探査、研究を行ってきた神戸大学海洋底探査センターの発表によると...
この「鬼界海底カルデラ」内に、大規模な溶岩ドームの形成が確認された。
b0126549_16105227.jpg
b0126549_16114431.jpg
その容量は32km3を超える世界でも最大級、およそ7,300万年前の巨大噴火の後に急速に形成されたものと考えられる。
活発な海底熱水活動の存在が予想される。
今も大規模、かつ活発なマグマ溜まりがあると想像される。
7,300年前の噴火は直径20kmの噴火口から一挙にマグマを吹きだすという巨大噴火だった。
噴煙柱は高度3万メートルまで達し、それが崩壊した火砕流は、四方の海面を走り、100 キロ離れた薩摩半島にまで達した。
「アカホヤ」と呼ばれる、鬼界カルデラ火山灰は、数メートルも降り積もって九州や四国の縄文人を死滅させた。

火山灰に覆われた面積は約200万km2、体積は約100km3にもなる。

偏西風に乗って東北地方にも到達した。

b0126549_16442866.jpg

2011年に浅間山の南麓石尊山付近のボーリング調査では、深さ4.3-4.6m の土壌からは約 7,300 年前のアカホヤと考えられるバブルウォール型 ガラスを持つ火山灰粒子が見つかった。
ちょうど仏岩活動期の終焉と前掛山の活動が始まったころだ。
縄文人にとっては「破局噴火」であった。
しかし、現代の九州、四国にも立派な文化が栄えている。
自然と共に生きた縄文人の頑張りの復活があった。
現代の人類は破局に立ち向かうことができるのか?





[PR]
# by hanaha09 | 2018-02-20 13:52 | 田舎暮らし | Comments(0)

雨水

今日は雨水。
雨水(うすい)とは、二十四節気の一つ。
太陽黄経が330度のときで、この日から、次の節気の啓蟄前日までの期間も言う。
「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となればなり」、空から降るものが雪から雨に変わり、雪が溶け始めるころ。
春一番が吹き、鶯の鳴き声が聞こえ始める地域もある。
しかし、このあたりではとてもとても。
まだまだ、朝はー10℃の世界。
3月になっても4月になっても雪は降る。
でも、太陽の高度はどんどん高くなっているので、まぶしい。
雪景色の外から家に入ると、視界はしばらく真っ暗になる。
季節は何も言わずに進んでいるのがわかる。
シジュウカラやゴジュウガラ、ヤマガラなどが頻繁にえさを求めてやってくるようになる。
b0126549_18575307.jpg
そして、キツネも頻繁にやってくるのがこの季節だ。
b0126549_19054436.jpg

[PR]
# by hanaha09 | 2018-02-19 19:06 | 田舎暮らし | Comments(0)

江戸川柳

俳句も川柳も五・七・五の17音。
俳句には季語が必要だが、川柳はこだわらない。
俳句は文語調、川柳は口語調。
対象のとらえ方が大きく違う、俳句は風景をとらえるが川柳は人ごとをとらえる。
そして、江戸の町では出題された七・七の短句(前句)に五・七・五の長句(付句)をつける前句付けが庶民の間に大流行。
これがのちの川柳。
庶民作者は、与えられた前句または冠題に附句を作り、1句につき銭一六文を点料(投句料)を添えて取次に提出する。
集まった句と点料は選者の元へ届けられる。
選者が選んだ「高番」句(高尚な内容の句)に入選すると木綿一反もしくは524文が貰える。
現代風に換算すれば、400円ほどの投句料でうまくすると13,100円を得る事ができる計算となる。
高番句に入るのはわずか3%ほどのかなり難関、しかし選外佳作のような「外フシ」というものがあり、投句料の二倍が帰ってきた。
下手な庶民作者にも再度の投稿意欲を掻き立てる仕組みだった。
この選者が柄井川柳と名乗った。
後々前句付けが川柳と称されることとなった理由だ。
b0126549_19004547.jpg
「高番」句の他に「中番」(世態人情の句)、と下品な内容も含む「末番」という選もあった。
なかでも最もひどいのを「破礼句(ばれく)」と呼んだ。
  内裏雛  寝床へ落ちる  新所帯(江戸の新世帯ではとかくお元気だったようだ)
  伊勢の留守  女房の岩戸  明放し(亭主もお伊勢参りはお楽しみだった)
  あべこべさ 長命丸で 死ぬという(長命丸とは江戸は四ツ目屋の自慢の強精丸薬)
  越前は 肥後の加勢を たのむなり(夜の戦には肥後特産の芋蔓が強い味方だった)
  あとそうじ こまるこまると はやこぼし(もう説明のしようもない)
  門口で 医者と親子が 待っている(医者は薬指、それに親指小指...これ以上はもう限界だ!)
まだまだあるが品が無いのでこの辺で...
 





[PR]
# by hanaha09 | 2018-02-18 19:08 | 田舎暮らし | Comments(0)

西洋画のような北斎

b0126549_20141551.jpg
b0126549_20393556.jpg
日本に西洋医学を伝えたドイツ人医師、シーボルトが持ち帰りオランダのライデン国立民族学博物館が所蔵していた絵画が6枚あった。
和紙に江戸の街並みを描いた風景画で大きさは横約40センチ、縦約30センチ。
タイトルはなく、「日本橋」「品川」などを題材に人々や川、橋、富士山を描いている。
遠近法に加え、船が水面に映る様子や影、大きく描かれた空は当時の日本画にはない西洋画の特徴という。
今まで、オランダの博物館員は「西洋人が描いたと思っていた」そうなのだ。
しかし、シーボルト直筆の作品の目録をシーボルトの子孫が所蔵しており、研究員などのチームがその目録と照らし合わせたところ「北斎が我々のスタイル(ヨーロッパのスタイル)で描いたもの」という記述が発見された。
江戸の浮世絵師、北斎の肉筆画の可能性が限りなく高くなったそうだ。
シーボルトは江戸参府紀行の中に、「出羽の国、秋田付近ではフキはもっと大きくなるということで、日本画家北斎は彼の画集の中で、農夫がフキの大きな葉の下、雨宿りしている有様を描いている」とある。
シーボルトは北斎に大いなる興味を引いていたようだ。
そして、北斎がシーボルトと会ったのが1826年とみられ、シーボルトの持ち帰った水彩画は北斎が60歳を超えたころの作品とみられる。
この年になり、西洋の画法を貪るように取り入れた。
「私は絵を描く気違いである」と宣言し、名前を“画狂老人卍”と称した北斎でもあった。









[PR]
# by hanaha09 | 2018-02-17 21:01 | 田舎暮らし

江戸の酒合戦

どこかの国ではスポーツの祭典がにぎやか。
江戸時代にはスポーツなんてのは無かった。
相撲は神技、剣道・柔道は武芸、速足・水隠は忍術、羽子板は遊び...
でもいろんな競争、合戦はあった。
江戸時代、文化十二年(1815年)のこと、江戸の千住の宿で「酒合戦」なるものが開かれた。
千住の宿の諸家飛脚宿、中屋の隠居六右衛門の還暦祝いの余興に「酒合戦」を開くことにしたのだ。
b0126549_16280896.jpg
大田蜀山人(当時の狂歌の第一人者)はこの合戦の模様を実況レポート、谷文晁(松平定信に仕えた絵師で弟子には渡辺崋山等)がこの模様を絵に描き、亀田鵬斎(書家であり儒学者であり、天明の浅間押し出しの際には所蔵の蔵書をすべて売り払い避難民の救済金とした)が漢詩を書くという、大勢の文化人達が参加した。
b0126549_16290616.jpg
会場には五合入る「厳島杯」から三升盛った「丹頂鶴杯」までの六種類のさかずきが用意された。
これを小さい杯から順に開けてゆき、飲み干した合計を競うという合戦だ。
金メダルに輝いたのは、千住の宿の住人松堪。
「厳島杯」から「丹頂鶴杯」まで六つの杯すべて呑み干した、合計なんと九升と一合。
変り種は新吉原の住人、大門長次、彼は水、醤油、酢、各一升を酒一升を混ぜて飲み干したらしい。
また、飛び入り参加の通りすがりの会津の旅人河田某は酒六升五合を飲み干し、まだ立ち寄るところがあるので急がねばならず三升いりの「丹頂鶴杯」を飲めないのが残念と言って立ち去ったそうだ。
各競技者が四人の芸妓にお酌をされて次々に杯を空ける、この模様を審査員である文化人達が即興で絵に描いたり、実況レポートを書いたり、漢詩を作ったり...
訳の分からぬフィギュアの採点やら、曲芸まがいのスノボやら、フランスのペタンクみたいなカーリングなどよりよっぽど面白そうだ。








[PR]
# by hanaha09 | 2018-02-16 16:32 | 田舎暮らし | Comments(0)

浅間大滝冬景色

b0126549_14131188.jpg
東京から観光バスを仕立てて写真撮影にやってくるそうだ。
浅間高原、北軽井沢で最大の滝、といわれている浅間大滝だ。
信州との国境付近を源流とする熊川、北軽井沢から二度上峠方面に向かう途中にある滝だ。
この熊川は下流に発電所もある結構水量の豊かな川でこの浅間大滝も結構迫力がある。
滝のしぶきで氷の滝もできている。
b0126549_14262473.jpg
修行の滝でもある。
こんな真冬に滝行をやるお姉さんもいるそうだ。
b0126549_14443059.jpg
気温は氷点下3℃、滝から出て来ると耳からつららがイヤリングのようにぶら下がってた。
また、天気のよい朝などにはこのしぶきがミストとなって漂い、斜めに射し込む太陽の光で光芒ができる。
「光芒の滝」とも呼ばれている、写真マニアの垂涎の被写体でもあるようだ。
東京からやってくる滝行のお姉さんも写真マニアもなかなか大変だ。



[PR]
# by hanaha09 | 2018-02-15 14:53 | 田舎暮らし | Comments(0)