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あるちゅはいま日記

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ツタウルシ

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ツタウルシは葉の様子がちっともウルシらしくない。
漆が採れるわけでもない。
何の利用価値もない嫌われ者。
しかし、この時期には実に美しい姿となって山の人を楽しませてくれるのである。
まるで真っ赤な紅葉の樹木、と思うのだが一種の寄生樹だ。
ツタウルシは「気根」でもって太い樹木などの幹にしがみつきながら上へ上へと成長をしていく。
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嫌われ者の正体は強力なかぶれ成分を持つ所以にある。
漆成分のウルシオールに付け加えてラッコールという成分も含む。
このツタウルシの成分は揮発性があるそうで葉や茎に触らなくてもそばを通るだけでじんわりやられることがある。
顔などが腫れ上がると眼もあかなくなってしまう、10日ほどは苦しむこととなる。
そして、肝腎なことはこのかぶれ成分は水に溶解しないことだ。
間違って手などに樹液がついた時には水で流しながらこすり落とさないと完全に落ちない。
そんな適当に洗った手のままでオシッコに行くとこれが大変なことになる。
一人で苦しむこととなる。
ご注意あれ。
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# by hanaha09 | 2017-10-11 22:45 | 田舎暮らし | Comments(0)

銭湯の日

江戸で銭湯(湯屋)が初めてできたのが1591年(天正19年)のことだと言われている。
徳川家康が江戸に幕府を開いたのが1603年(慶長8年)、12年も前のことだ。
蒸し風呂スタイルの湯屋で、100円ほどの激安価格。
当時江戸の「天下普請」に集まった人々の人気となった、一仕事の後のさっぱりひと風呂であったに違いない。
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江戸っ子は風呂好き、朝に夕なに湯屋にやってきた。
どうも江戸特有の砂埃で全身ほこりまみれになった、そして何度も風呂に入ると肌は乾燥「垢ぬけた」と粋がる江戸っ子だった。
当初の湯屋にはきれいなお姉さんがいっぱいいた。
「湯女」と呼ばれて背中を流したり、着替えの手伝いなどをしてくれた。
江戸には出稼ぎにきた男衆や参勤交代でやってきたお侍さん、繁盛するはずである。
女性の背中を流す「三助」と呼ばれたサービス係りもいた。
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江戸時代後期には江戸市中に600件の湯屋があったそうだ。
そのころには湯船が登場、幕府のたびたびの混浴禁止令にもかかわらず明治に入るまで混浴風呂が続いた。
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湯屋はいろんな人々が気軽に語らえる社交の場であり憩いの場でもあったようだ。
今日は10月10日(1010)、千と十で銭湯の日だ。
ばかばかしいねぇ。
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# by hanaha09 | 2017-10-10 20:15 | 田舎暮らし | Comments(0)

平床大噴泉

志賀高原を長野県側から結構上がったところにあるほたる温泉の源泉。
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平床大噴泉と呼ぶそうだ。
1991年(平成3年)に奇跡的なことが起こる。
近くの志賀プリンスホテルの社長さんの夢枕に父親が現れた。
湯殿山の神様のお告げを聞いたという。
そのお告げに従い掘ったところ温泉が噴き出した、翡翠色の温泉だった。
まさに神がかり的な温泉だ。
1999年には日本最高所に生息するゲンジボタルに因んで硯川温泉からほたる温泉へと改称。
ホテルの経営はこれで順風満帆と思いきや、志賀プリンスホテルは2011年の11月事業を停止し、倒産した。
スキー人口の減少、東日本大震災の影響、設備投資に伴う多額の借入金が重なり事業継続を断念。
今も平床大噴泉は勢いよく蒸気を噴出、近くの地面からも噴煙を上げていた。
ここにも兵どもの夢の跡が...
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# by hanaha09 | 2017-10-09 11:12 | 田舎暮らし | Comments(0)

りんご狩り

今日は3連休の中日、朝から天気快晴。
長野県の旧三水村までリンゴ狩りに出かけた。
狩りそのものだ、りんごを取る採る採る。
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リンゴ園のおじさんは...
「今年はねぇ、夏の天候が悪くてねぇ...リンゴの採りごろも少し遅れてんだよねぇ。天候、これだけはどうしようもないんでねぇ。」
今年のリンゴ「秋映」、「シナノスイーツ」は少し小ぶり、甘さももう一つかなぁ。
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けれども、リンゴ畑でガブリとかじるとなんともいえぬおいしい味わい。
悪条件にも関わらず冬の剪定から、花摘み、摘果、肥やしやりに、消毒...1年間の汗と信念がたっぷりとにじんだ味のようだった。
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# by hanaha09 | 2017-10-08 21:22 | 田舎暮らし | Comments(0)

スズメバチの逆襲

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なんともいたたまれない事故のニュースを見た。
87歳の女性が車いすで福祉施設から家に帰ってきた。
女性の自宅近くの空き家付近でハチに襲われた。
まず同行職員が刺され、女性の車いすを約1メートル動かしたが、周囲に多数のハチが現れた。
連絡を受けた施設関係者数人が駆けつけて女性に雨具をかぶせようと試みたが、救助は難航したという。
15分後には救急隊員3人が駆けつけたが、救急隊員は防護服などがなかったため、レスキュー隊員の出動を要請。
そして、45分ごろにはハチが少なくなり、救急隊員が女性を救助して病院に運んだが、翌日、多臓器不全で死亡した。
この女性45分間も動けぬまま、大勢の人たちに見守られながらスズメバチになんと150か所も刺され続けたことになる。
8年前にスズメバチに頭のてっぺんを刺された、経緯は..
窓ガラスを外から拭こうと思った。
窓の上の屋根の終いが袋戸のような格好になっており、そこからスズメバチが何匹か出入りをしていた。
危ないので殺虫剤を思い切り吹き込むと何匹かのスズメバチが出てきて死んでいった。
やれやれ、としばらくした後、手にぞうきんを持って大きく動かし窓ガラスを拭き始めた。
手を動かしたその時、1匹のスズメバチが頭のてっぺんの止まるやいなや、ちくっとするともう刺されていた。
頭はズッキンズッキン、しばらくすると頭のてっぺんがぷっくり膨れてきた。
スズメバチの生き残りが居た、窓を拭こうとして大きく手を動かしたのを生き残りのスズメバチは再度攻撃されると感ずいたのだ。
殺虫剤攻撃の逆襲を受けたのだ。
スズメバチは近くに飛んできてもまず攻撃してくることは無い。
手で追い払ったり、その場を逃げたりすると興奮して攻撃を仕掛けて来る。
飛び回るハチをしばらくじっとして飛び去るのを待つか、体を低くしてそろりとその場を立ち去るのが良い。
と、いうことでこの8年間スズメバチに刺された事は無い。
スズメバチも自分の生き残りをかけた戦いなのだ。
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# by hanaha09 | 2017-10-07 13:45 | 田舎暮らし | Comments(0)

干俣の廃墟?

干俣集落のほぼ中心部、こんな建物が残されていた。
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ヤマタ旅館付属体育館とある。
ネットには「専用体育館のあるバラギ高原の合宿施設」とある。
すごい旅館があったんだ、奥に見えるのが今も残る体育館。
料金表もまだ残されていた。
googleのストリートビューで見るとこんな立派な建物だ。
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つい最近まで健在だったようだ。
この施設も廃墟になりそうな感じだ。
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# by hanaha09 | 2017-10-06 12:51 | 田舎暮らし | Comments(0)

干俣諏訪神社の湧水

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「昔なぁ、源頼朝と言うえらい将軍様がなぁ、木曽義仲という武士と戦をして勝ったんだと、そしてその残党を追って浅間山の六里ガ原で巻狩をしたんだそうだ。その時に今の干俣村で陣馬をはったんだと。村の衆はなぁ、将軍様が川の音がうるさくて良く眠れねぇと聞いたもんで、二またになっている川の片方をせき止めたんだと、そうしたらいい具合にいっぺぇヤマメが取れたんで将軍様に献上したんだと、将軍様は、えらく喜んで川の俣を干したこの地を干俣とし、村の衆に干川っていう名字をくれたんだと。それからなぁ、干して水の行かなくなった方の川を音の無い川、音無し川、水の流れる川を干俣川と呼ぶようになっんだと。
それからなぁ、よく将軍様が陣馬で蹴鞠をして遊んでいたもんで、将軍様が帰った後地に神社を建てて、その名を「蹴鞠神社」と呼んで大切にしたんだと。」上信民話集より。
この蹴鞠神社が干俣村にある干俣諏訪神社。
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神社看板には建久年間(1190年~1198年)に源頼朝が泊まったとあるが、実は諏訪神社の創建は古く、『日本書紀』の持統天皇5年(691年)8月に「信濃須波」の神を祀るというのが初見だそうで、国内で最も古い神社だという説もあるのだそうだ。
神社の脇には「音無しの清水」がこんこんと。
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飲んでみるとほのかに甘いような感じ。
四阿山山系の湧水は軟水が多く、そのせいかもわからない。
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# by hanaha09 | 2017-10-05 07:55 | 田舎暮らし | Comments(0)

きのこ三昧

ちょっと見ぬ間にきのこがいっぱい出た。クリタケに
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ナメコに
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シイタケだ。
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今年は全部いっぺんに出た。
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シイタケはラーメンシイタケに。
それと焼いてポン酢で。
クリタケは砂糖と醤油で炒めた、残りはクリタケごはんにしよう。
昼間から酒盛りだ。
ラーメンもいける、焼きシイタケはみずみずしくて生生の香りだ。
クリタケはなんと言おうか、シコシコとしたところがなんとも言えないおいしさだ。
そして、ナメコは味噌汁になった。
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キノコ三昧の酔っ払いになってしまった。
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# by hanaha09 | 2017-10-04 20:38 | 田舎暮らし | Comments(0)

これはトリカブト?

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軽井沢の歴史資料館の傍にヤマグリを拾いに行った。
ヤマグリの落ちてる前にあったのがこれ、トリカブト。
もうちょっと花の色が紫色だったような...
トリカブトは種類が多いらしいのでこれもトリカブトにしておこう。
食べると嘔吐・呼吸困難、臓器不全などから死に至ることもある。
経皮吸収・経粘膜吸収され、経口から摂取後数十秒で死亡する。
半数致死量は0.2~1グラム。
トリカブトによる死因は、心室細動ないし心停止である。
解毒剤もない。
根を乾燥させたものは漢方薬や毒として用いられる。
毒は毒を持って制す、ということだ。
生薬名は「ぶし」、毒に使うときは「ぶす」と呼ばれる。
俗に不美人のことを「ブス」と言うが、これはトリカブトの中毒で神経に障害が起き、顔の表情がおかしくなったのを指すという説もある。
何しろ怖い代表的な有毒植物だ。
このあたりに観光にやってくるブスではないお姉さんたち、知ってるのかなぁ。
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# by hanaha09 | 2017-10-03 21:55 | 田舎暮らし | Comments(0)

サクマドロップス

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このカンカンに入ったドロップ、子供の頃の最高のおやつだった。
缶をカラカラ振って、はっかとチョコのを探した、たぶんそんなに数が入ってなかったのだろう。
写真をよく見ると、「サクマドロップス」と「サクマ式ドロップス」と名前が違ってる。
見覚えのある缶の図柄は「サクマ式ドロップス」、チョコが入ってるのがこれだから間違いあるまい。
実は「サクマ式ドロップス」の製造会社は「佐久間製菓株式会社」、「サクマドロップス」はサクマ製菓株式会社、会社が違う。
明治41年に佐久間惣次郎氏が当時輸入品だったドロップを研究開発、サクマ式製法と称し操業を開始した。
5年後には「夏でも溶けにくい」「見た目に透明感がある」缶入りドロップを発売した。
そして、製造を拡大しつつ昭和を迎えると、太平洋戦争の激化に伴う原料砂糖の調達もむつかしくなり、ついに東京池袋の本社工場、大阪工場、海外の満州工場も戦火のために焼失、廃業に至った。
戦後昭和21年に、佐久間製菓と関係の深かった横倉信之助が佐久間製菓(株)を再興、池袋に工場を再建しサクマ式ドロップスの販売を再開した。
次いで、昭和22年佐久間惣治郎氏の三男隆重氏が同じくサクマ式ドロップをサクマ製菓(株)の名称で製造を始めた。
2社の商権の争いの結果、サクマ製菓にはその社名を名乗る事、佐久間製菓には「サクマ式ドロップス」の商標を使うことが認められた。
で、「サクマドロップス」と「サクマ式ドロップス」の二つの商品が世に登場することとなった。
佐久の工業団地リサーチパーク内を行くと甘ーい香りが漂ってくる工場がある。
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看板を見ると「サクマ製菓株式会社浅間工場」とある。
佐久間惣治郎氏の三男殿が興した「サクマドロップス」の方だ。
佐久の晴天率の高い天候、八ヶ岳の雪解け水を源流とした水、キャンデーづくりに最適な環境が、サクマ製品のおいしさを生み出しているのだそうだ。
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# by hanaha09 | 2017-10-02 17:29 | 田舎暮らし | Comments(0)