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あるちゅはいま日記

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地震が揺すったが寝てた

今朝ほど長野県南部で結構大きな地震が起こった。
この辺は震度1だったそうで、おまけに寝てたので全く感知せず。
江戸時代後期の安政年間には日本各地で地震が連発した。
荒川河口付近を震源とするM6.9とされる安政江戸地震が江戸を襲ったのが1855年。
1万4千戸の家が全壊し、4千7百人余りの町方衆が亡くなった。
この地震後にはおびただしい数の瓦版や鯰絵が江戸の町中に出回った。
復旧事業が一時的な経済効果になったとも言われる大地震、災害が世の乱れをただすべく天が凶兆を以て警告するのだ、とも信じられていた。
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鹿島神宮の神様がまな板の上に大ナマズをひっくり返し腹に剣をつきたててる図、「腹立ち」を引っかけたシャレ。
上段にいるのは地震で儲けて笑いの止まらない大工、とび職、材木屋、佐官など。
下段にいるのは地震で大損し泣き顔の旅籠、茶店、寄席など。
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復興景気で懐があたたかくなった職人たちが吉原遊びに繰り出した図。
何人(匹)かナマズがいる。
職人たちが世話になったナマズたちを連れて来た?
b0126549_20203463.jpg江戸前かばやき「鯰大火場焼(なまずおおかばやき)とある。
恵比寿さまによって今まさにさばかれようとしているナマズ、蒲焼にされる運命のよう。
画面左、縁台に座ってナマズの蒲焼を食べているのは災害復興で儲けた大工たちなのだそうだ
ペリー率いる黒船が来航した幕末、それなりのユーモアで笑い飛ばし、風刺をきかせてうっぷんを晴らし、それをお守りにする、それが鯰絵だった。
この鯰絵、瓦版、約2か月の間しか世に出回らなかった。
幕府に対する世の不安と「世直し」に対する強烈なマニフェスタシオンと見た幕府によってきつく取り締まられたのだ。
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# by hanaha09 | 2017-06-25 20:38 | 田舎暮らし | Comments(0)

ハクサンイチゲ

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ハクサンイチゲといただいた苗が広がり花が咲いた。
山の上で見るハクサンイチゲとはちょっと違うような...気がするんだが。
花びらの先が丸っこい、葉のギザギザがちょっと違うような、よくわからん。
少々名前が違おうが、園芸種が少々混ざっていようが、きれいな花だから、なんでも良いいんだ。
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# by hanaha09 | 2017-06-24 18:36 | 田舎暮らし | Comments(0)

蝶々はすごい

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この蝶々はヤマキマダラヒカゲというのだそうだ。
止まってるのはまだ真新しい牛の糞。
きれいな蝶々が行ったいなぜ?
これは給水行動の一つ...
多くの蝶は吸水しながら、おしりから水を排出しているのが観察されるのだそうだ、が、よくわからんかった。
蝶は、体温を上げるときに羽を開いて日光を精一杯浴びる、だが上がりすぎた体温を下げる機能は備えていないのだ。
どうするか?温度の低い水を吸水し、排出することによって体温を下げるのだそうだ。
なまの牛の糞はべとべとだ、これを間違って踏むと大変なことになる。
だが、この給水行動をとる蝶々はオスばかりなのだ。
このオスの蝶々は動物の排泄物などに吸水しに集まるのは、どうもその主成分であるナトリウムを摂取しようとするものらしい。
筋肉の運動に必要なナトリウムイオンを、この様な吸水によって補給し、メスの蝶々をあちこち探し、追っかけるための活力の源となる。
牛の糞は蝶々の強壮剤なのだ。
もう一つ、蝶々の行動に得意なものがある、吸い戻しと呼ばれる行動だ。
動物の糞にとまり、その上におしっこをして、そのおしっこをまた吸い戻す行動。
つまり、固形物におしっこをかけることによって、栄養分を溶かし、それを吸い戻すことによって栄養を得るというものだ。
きらびやかな蝶の世界は昼も夜もなかなか大変だ。
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# by hanaha09 | 2017-06-23 18:44 | 田舎暮らし | Comments(0)

一粒金丹

b0126549_1810444.jpg年長けて、かつての精力はどこへやら。
「美しい手で提灯の皺伸ばし...」
と、若い妾は一生懸命になるが、
「あたかも提灯で餅を搗くが如し...」
と、情けないこととなる。
江戸時代の絵図にはバイアグラを凌駕するほどの閨房薬(秘薬・惚れ薬)が登場する。
その一つが「一粒金丹(いちりゅうきんたん)」、どうも津軽藩に伝わる秘伝の調合方法でつくられたものらしい。b0126549_181966.jpg
その効能とは...「諸虚を補ひ精気を益。 大抵ハ半月十日に一丸を服す、鉢さかんの人ハ、四季に一丸を服す。性交を強くし、夢精をもたらす。」とある。
何が含まれてるかというと、膃肭臍(オットセイのあれ)、阿芙蓉(阿片)、龍脳(南洋産の薬草)、麝香(ジャコウ鹿の生殖腺嚢の粉末)、朱砂(水銀と硫黄を化合したもの)、原蚕蛾(中国蜀地方の一番蚕)、これを焼酎で煎じた射干(アヤメ科の多年草)エキスで練って丸薬とする。
こんなものを毎日でも飲んだら、それはもう大変なことになる。
幕末近くの値段が一袋(粒数不明15粒位?)二十五銭、今の価格で2-3000円。
現代のバイアグラと同じくまがい物があちこちで見られたらしい。
江戸のご隠居さんには引っ張りだこであったに違いない。
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# by hanaha09 | 2017-06-22 18:11 | 田舎暮らし | Comments(0)

江戸時代の百姓

江戸時代に描かれるお百姓のイメージは、「苦しかった」「貧しかった」...
5公5民の割合で年貢がかけられた。
作った米の半分を納めるということになる。
この年貢を決めるのが検地、田畑の面積と収量の調査のことである。
現在の課税台帳のことである。
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そして、百姓には幕府より「禁令」がでた。
ー、麻布と木綿以外の衣服は着てはいけない。
一、男は農業、女は機織と遅くまでしなさい。
一、麦・あわ・ひえなどを食べ、米を多く食べてはいけない。
一、酒や茶を買って飲むな。
一、たばこをすうな
しかし、実際には山を切り開いて検地をされていない新田が増えたり、農業技術や治水の発達により収穫の量が増えたりした。
各藩での特産物奨励(上州の養蚕、山形の紅花、阿波の藍、紀州のミカンなどなど)により、非課税の生産物がどんどん増えた。
百姓一揆などを恐れ、各藩では増税ははるかに難しいものとなっていた。
下々の百姓の可処分所得は増えていった。
そして、百姓たちへの贅沢「禁令」は何度も出されることとなった。
つまり、この「禁令」だれも守らなかったから何度でも出されたのである。
かくして「禁令」は、
一、麻布と木綿以外の衣服を「どんどん着ていた」
一、男は農業、女は機織りとおそくまでは「仕事をしなかった」
一、麦・あわ・ひえなどを「食べず」米を多く「食べていた」
一、酒や茶を買って「飲んだ」
一、たばこを「すった」
となった。
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全国の百姓・庶民が伊勢参りにかこつけた物見遊山に出かけた。
百姓を含めた庶民階層には資本が蓄積され、それが維新の原資となり、外国に借金しなくてよかった。
日本が欧米の植民地にならなくて済んだのである、と解説されている。
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# by hanaha09 | 2017-06-21 20:07 | 田舎暮らし | Comments(0)

九輪草が咲いた

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九輪草が咲いた。
つぼみが見えてからなかなか咲かなかった。
このところ天気は良いのだが気温が上がらない。
長い花茎を出して花を輪生状に咲かせる。
「九輪草」という名前は寺院の五重塔の屋根の上に立つ九輪になぞらえたもの。
9段まで花輪が咲き誇る、ということでこの名がついたが...これはうそ。
精々4段が良いところ。
「九輪草
  四五輪草で 仕舞けり」
   小林一茶
ということです。
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# by hanaha09 | 2017-06-20 17:05 | 田舎暮らし | Comments(0)

オトシブミ

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今年もオトシブミが落ちる季節になった。
江戸時代に他人にばれないように手紙を道端に落とし、他人に渡したという「落とし文」。
これにそっくり。
本日は学術的に迫ってみよう。
オトシブミとはゾウムシ-象の鼻のような長い口(口吻といいます)を持った虫-に近縁な昆虫。
沖縄を除く日本全国いたるところで見ることができる。
5-7mmくらいの小型種が多い、大は10mm、小は3mmくらい。
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メスは初夏のころ、コナラやヤマハンノキなどの若葉を巻いて揺籃を作る。
揺籃とはゆりかごのこと、この揺籃が「落とし文」にそっくりなのだ。
メスが葉に飛来すると葉の表側を何度か巡り歩く。
葉の状態(葉の大きさ,鮮度,虫食いの有無など)を厳しくチェックする。
お気にめした葉が見つかると主脈に沿って葉の基部の方に上がってゆく、これは葉を切り始める位置を測っているのだそうだ。
そして、葉の縁に移動して葉を切り始める。
葉を切り終わると葉の裏に移動し、切り始めた側とは反対側に主脈に沿って細かい噛み傷をつけていく、これによって葉がしおれやすくなると同時に 折り癖が容易に付くようにするためなのだそうだ。
葉がしおれ始めると、オトシブミは主脈にまたがるようにして足に力を入れて葉を挟んでゆく。
折り目がついてゆく、しかも主脈を少しずれて折る。
次に葉をくるくる巻いてゆくのだが、途中でほどけるようなことは無い。
折り紙を折るように押し込みながら巻いてゆくのだ。
葉を2-3周巻くと表面から穴をあけ、中心部分に卵を1個産み込む。
最後は内側にある葉を引っ張り出して、ひっくり返して巻き付けると蓋になる。
葉を切り始めてから2時間ほど、これでオトシブミの完成だ。
この揺籃、食料の確保と幼虫の保護の役目をする。
葉をきっちりと巻いておくと内部は直接外気にさらされないので、乾燥しにくく湿度が保つことができる。
卵、幼虫の保護となる、外敵に食べられることもない。
そして、腐朽菌類によって揺籃内部の葉のセルロースが分解され、アミノ酸が作られたりして食料としての栄養が確保できる。
無事に成虫、オトシブミに育つことができるのだ。
と言っても、万全ではない。
オトシブミ類の卵や幼虫に寄生するハチ、ハエがいる。
この揺籃が恰好の寄生の目印になってしまう。
そうでないと世の中オトシブミだらけになってしまう。
誰が作り上げたかはわからない、自然の法則なのだ。
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# by hanaha09 | 2017-06-19 17:24 | 田舎暮らし | Comments(0)

乳の日

もう40をとっくに超えた娘から酒を送ってきた。
本日は父の日なのだそうだ。
こんなプレゼントもあるそうな。
乳、つまり牛乳。
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そして、乳タオル。
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最後はこれ。
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夢牧場からのプレゼントだそうだ。
父の日なんて誰が考え出したのかねぇ。
バカバカらしいねぇ。
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# by hanaha09 | 2017-06-18 20:14 | 田舎暮らし | Comments(0)

湯の丸高原は牧場だった

湯の丸高原のレンゲツツジは国指定の天然記念物。
総面積272ヘクタール、レンゲツツジの本数は60万本。
火山灰の上にできたツツジの群落、自然の恵みに牧場の牛がお手伝いをした。
牧場に放たれた牛は、笹などの草を食べるとともにカラマツやズミの幼苗を食べた。
大木には育たず陽当たりが確保できた。
レンゲツツジは葉から幹から花まで神経毒を含むため、牛が食べ残した。
草などを食べた牛は有機物をいっぱいの糞を残した。
かくして、60万本ものツツジが育つこととなった。
が、明治から続いたこの放牧場、牛肉の自由化などで放牧数はどんどん減ってしまった。
カラマツが大木となり影が出来、笹がはびこり土が固くなってしまった。
一時は群落がなくなるかと思われた。
そして、牛の役目を人間が変わることとなった。
手作業で草を刈り、木を切り倒し、保護を積み重ねた。
今、レンゲツツジの花の最盛期には一日数万人が訪れる一大観光地になった。
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放牧されている牛は観光用、今年は花の開花が少し遅く見ごろはもう少し。
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# by hanaha09 | 2017-06-17 17:11 | 田舎暮らし | Comments(0)

常林寺を訪れた

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群馬県吾妻郡長野原町応桑547にある常林寺。
鎌原氏の開基と言われる曹洞宗の名刹だ。
その歴史は古く、少なくとも13世紀前半(南北朝初期)にまで遡る。
もともとの常林寺今の場所より少し小宿川をさかのぼったところにあった。
この常林寺の伽藍は、天明3年の“浅間押し”によって跡形も無く消失してしまった。
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その碑には、
「當山常林寺にあっては狩宿村黒源宅に斎出向中の歓鳳住職と田代村に檀用泊まり込みの龍道僧を残し、折しも吾妻川から逆流した浅間泥流によって留守居の六人と川向う大地にあった堂宇一切を奪い去り全村流出の小代 小宿両村と命運をともにした。」
泥流は吾妻川から3kmほど離れた小宿川まで逆流したようだ。
寺も集落も畑もすべて押し流された。
災害後、常林寺は、流失跡の山際に仮家(草庵)を結び、荒廃した地域の救済に励んだが、寒風には耐えがたく、寛政2年(1790)今井村に仮の堂を建てそこに据拠を移した。
「斯くて今井村仮寺から二十余ヶ村檀信徒の汗血を注いだ伽藍再建の熱願みのる文政年間まで四十余年の苦難の歩みを辿った。」
そして、文政7年(1824)現在地に、間口九間、奥行き七間の本堂を中心とした伽藍を再建した。
常林寺再建を志した信徒たち各戸5人半のオテンマ(奉仕活動)と、542文の寄付金、別に毎戸日々2文ずつ3ヵ年にわたる拠出金を募ったのだそうだ。
堂の再建には、信州上諏訪の矢嵜国太郎が大棟梁としてあたり、「上棟銘」には、再建への苦心と造営の喜びが記されている。
嬬恋村の重要文化財に指定されている「享禄の経筒」も本堂に大切に保管されている。
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# by hanaha09 | 2017-06-16 22:31 | 田舎暮らし | Comments(0)