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あるちゅはいま日記

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これもミヤマカラスアゲハ?

ずいぶん傷んだ翅だ。
厳しい生活をしてきたに違いない。
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これもミヤマカラスアゲハに違いない。
ノアザミの花がこんなに好きだとは知らなかった。
それにしてもきれいな翅だ。
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by hanaha09 | 2017-07-31 18:01 | 田舎暮らし | Comments(0)

やまくじら

『名所江戸百景 びくにはし雪中』広重の錦絵。b0126549_20113706.jpg
現在の八重洲付近だそうだ、橋の向こう側は銀座1丁目。
「やまくじら」処の看板だ。
山に鯨がいるわけはない、肉は肉でもイノシシの肉だ。
江戸時代はまだ、獣肉を食べることを良しとしない風潮が強く、表だって肉を食べることは一般に避けられていた。
海に泳ぐ鯨は鯨でも魚の仲間と考えた。
ならば「やまくじら」は食べてもOK、堂々とこの看板が登場したようだ。
猪肉を「山くじら」「ぼたん」、鹿肉を「もみじ」、馬肉を「さくら」と呼んだ。
この例えは、肉食忌避文化を表面上取り繕ったものに他ならない。
実は、彦根藩(井伊家)は将軍家に牛肉を献上していたのである。
それは食用でなく養生用、つまり、薬なのである。
牛肉を食べたものでは無い、と言う都合の良い解釈。
それが今の近江牛だ。
世界をのぞいてみると、宗教上の理由から特定の肉を食べないという国がいっぱいある。
江戸に生きた人たちの建前と本音の使い分け、驚くべき柔軟性をもった食文化だ。


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by hanaha09 | 2017-07-30 20:34 | 田舎暮らし | Comments(0)

お伊勢まいりの代参犬

今、日本は外国からの旅行ブーム、インバウンドと言うそうだ。
二百数十年前の江戸時代にも国内の大旅行ブームがやってきた。
伊勢神宮への集団参詣、お蔭参りと呼んだ。
江戸からは徒歩で10日の長旅。
一生に一度は伊勢へという思いで、中には仕事を無断でさぼって行ってしまう人もいた。
1830年には実に500万人がこのお蔭参りに参加した。
国内総人口が3000万人程度の時代のこと、実に国民の6人に1人が伊勢参りをしたことになる。
その中には、「おかげ犬」と言う、お伊勢参りの代参犬もいた。
旅がどうしてもできない人が、自分の代わりに犬にお金を持たせお伊勢参りをたのんだのだ。
伊勢までたどり着いた犬は伊勢神宮を参拝し、お札をもらって帰ってくるのだ。
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この「おかげ犬」、代参の書き付けと共に、お賽銭や路銀の餌代の銅銭を包んだ風呂敷を首に巻いていた。
餌をもらう茶店や途中で出会った人たちが「これは感心」とさらにお賽銭を入れてやることもあったらしい。
そして、銅銭で風呂敷が重くなり、難儀をしている犬のため、軽い二朱銀に両替をしてやる人もいた。
上の広重の錦絵も、まさに夫婦づれの旅人が両替してやっている場面のようだ。
日本人には犬の風呂敷からお金を盗もうなどという不届きな人間はいなかった。
お札をもらった「おかげ犬」は書き付けに書かれた住所を見た旅人が、「俺が途中まで連れてってやろう」なんてリレーしながら家元までかえって来たに違いない。
長野原の大津交差点にも「お伊勢参り」に出かけた犬の記念碑がある。




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by hanaha09 | 2017-07-29 21:59 | 田舎暮らし | Comments(0)

下駄の用途

高校生の頃、学校に下駄をはいていっておこられた。
生意気な高校生のせめてものイイカッコッシーだったのかもわからない。
下駄の歴史は結構古い。
暮らしの中の生活道具として考え出され、足に履く全ての物を言ってたようだ。
弥生時代の遺跡から田下駄が発見されている。
水田か深田の耕作に使われたとされている。
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奈良・平安時代には下駄の前身足駄(あしだ)が庶民の間でも履かれるようになった。
江戸時代に入って、泰平が続くにつれ、下駄の発達が著しく見られた。
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だが、一般の人たちが普段に下駄を履くということは未だ数は限られていたようで、文政一年に刊行された「江戸買物独案内」をみると、草履屋や雪踏屋は記載されているが、下駄屋という専門店は一軒もない。
このころ草履・雪踏が一番多く履かれていたようだ。
下駄はまだまだ値段が高く、「二束三文」と言われるわらじ(草鞋)が幕末まで重宝されてたようだ。
下駄はいろんな用途に使われた。
鎌倉時代に描かれたと言う、「餓鬼草子」にはこんな絵がある。
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破れかかった築地塀を背景に往来にしゃがんで用を足している。
彼らがはいているのが高足下駄。
この下駄は普段履きの履き物というより、
排泄のときだけ使われた「専用履き」だったようだ。



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by hanaha09 | 2017-07-28 20:49 | 田舎暮らし | Comments(0)

ゴゼンタチバナ

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ゴゼンタチバナ(御前橘)、これも絶滅危惧種に指定されてる県が多い。
奈良県においては絶滅となっている。
花が咲くのは葉っぱが6枚になってから。
我が家のゴゼンタチバナはいつまでも4枚のまま、よって花が咲かない。
花の後に赤い実がつく、これがまた山の中で眼に焼き付くように鮮やかな美しさだ。
まさに御前さまのような出で立ちだ。
と、思っていたらこの名前の御前は白山の最高峰「御前峰」に由来しているから取られた名前らしい。
橘は古くに名前がヤマタチバナ(山橘)と呼ばれていたヤブコウジに実の様子が似ていることからつけられたようだ。
優雅な名前と花、葉の様子だ。



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by hanaha09 | 2017-07-27 08:30 | 田舎暮らし | Comments(0)

ミヤマカラスアゲハに違いない

ノアザミの花にはいろんな蝶がやってくる。
今日はこんな蝶がやってきた。
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蝶々図鑑で見る限りミヤマカラスアゲハのようだ。
どうも♂の夏型。
花に留まると翅をバタバタ、蝶々だ。
蝶マニアによると「蝶の人気コンテスト」の類の企画ではほぼ確実に首位を占める種類なのだそうだ。
分布は狭くはないのだが、多数採取するのは容易ではないと言われている。
飼育がまた大変なようだ。
食樹となるキハダ、ハマセンダン、カラスザンショウを植えることから始めなけれなならない。
2年がかりで食樹を整えたのちに、ようやく母蝶を捕まえに行く。
8月の終わりに♀蝶を捕まえに行くのだが、♀を見つけたら1頭だけを採取して速やかに退散、用意しておいた食樹に袋を駆けて卵を産ますのだそうだ。
家の中では飼育が困難、病気になってしまう。
国蝶になりそこなったこの美しさ、まさに魔物なのだそうだ。




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by hanaha09 | 2017-07-26 13:25 | 田舎暮らし | Comments(0)

ニワトコ酒説

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ニワトコ(接骨木)の実が赤くなった。
この実は小さいつぼみの時にはてんぷらにする、味も何にもないのでおいしいとは思わない。
この赤く熟した実は果実酒にしたり、西洋ではジャムにしたりするそうだが、そのままでは食べられたものでは無い。
毒があり、下痢をするとも言われている。
縄文遺跡の代表格である青森の三内丸山遺跡の低地からは大量の植物種子が出土した。
時の縄文人が利用し、捨てたものだと言われている。
クリやクルミなど様々な種類の種の中、最も量が多いものがニワトコの種。
お酒をこよなく愛する縄文研究家が、説くのがニワトコ酒説だ。
実を収穫し、乾燥した後決まった配合で煮出し、それを発酵させた。
捨てられた大量の種子はこれらの絞り滓と考えられる。
しかも、発酵した果実に集まるショウジョウバエのさなぎもたくさん出土した。
何かしら発酵生成物を造っていた可能性は非常に高い。
また、縄文土器はぶくぶく泡が出る酒造りには最適の格好をしてるという人もいる。
縄文の美食家にはやはり美酒もなければ完璧とは言えなかったに違いない。






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by hanaha09 | 2017-07-25 10:55 | 田舎暮らし | Comments(0)

鹿沢園地は花いっぱい

鹿沢園地の野草園、花盛りだった。
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手前右がギボウシ、黄色いのがキンバイソウ、向こうの方の白いのがカラマツソウ。
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クガイソウ。
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これはコオニユリだろう。
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ノアザミ。
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オカトラノオ。
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キリンソウ。
まだまだあるが飽きてしまうので、このへんでお終い。



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by hanaha09 | 2017-07-24 13:00 | 田舎暮らし | Comments(0)

タダモンキ

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ミヤマモンキチョウではない。
この辺には幼虫の食草、クロマメノキはない。
ミヤマモンキチョウは少し小型、これは少し大きい。
翅の縁取りがきれいなピンク色ではない。
タダモンキと呼ばれるモンキチョウだ。

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by hanaha09 | 2017-07-23 17:01 | 田舎暮らし | Comments(0)

梅雨が明けると暑くなった

ここは22℃を少し超えるくらいだけど...日本全国暑いねぇ。
猛暑だねぇ。
時をさかのぼった江戸時代は「小氷河期」、平均気温は2から3℃ほど低かったようだ。
と、いっても扇風機もクーラーも冷蔵庫もない。
暑い夏をどう過ごしたのだろうか。
江戸時代の人たちは基本的に暑い日中には働かない、涼しい朝の内や夕方に仕事を済ませた。
ご飯は涼しい朝の内に一回だけ焚く。
夕方になれば庭にたらいを出して行水。
その後は浴衣1枚で夕涼み。b0126549_12044681.jpg
団扇が虫よけを兼ねて大活躍。
栄養のある「ウナギのかば焼き」などが好んで食べられた。
「冷やしそうめん」、「ところてん」なども定番だ。
甘酒も夏のもの、滋養強壮の栄養ドリンクだ。
風鈴を軒先に掛け、耳からの涼しさも取り入れた。
竹の棒にコケを縛り付けて「しのぶ」を這わせた「釣りしのぶ」、これは自然のクーラーそのものだ。
「水かけて 夜にしたりけり 釣荵(つりしのぶ)」と、一茶もお気に入り。
夜に出かける花火大会やお化け屋敷は夏のレジャー。
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なんとも粋な江戸の夏の過ごし方だ。




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by hanaha09 | 2017-07-22 12:14 | 田舎暮らし