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あるちゅはいま日記

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ニッコウキスゲが咲いた

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ニッコウキスゲが咲いた。
毎年咲くようになったのであんまり珍しくなくなった。
もうかれこれ10年になろうか、ニッコウキスゲの群生で有名な野反湖に行った。
夏も終わりのころ、できてた種を10粒ばかりいただいてきたのだ。
それが芽を出し、株が大きくなって、花が咲くようになった。
今年はこの株の種から育った苗を植えてたプリンスランドで花をつけるまでに育った。
「ニッコウキスゲ」でもない「ノゾリキスゲ」でもない、この土地の名をとって「カンバラキスゲ」だ。
このニッコウキスゲ、英語名では「Broad dwarf day lily」。
良くわからんが、day liliyとあるから一日だけ咲く百合の仲間のようだ。
まだ咲きかけたばかりで花は一つ、どうも一日で自家受粉を試みるようだ。
出来た種からの発芽率は結構良い、苗も寒さに強い。
陽当たりさえ良ければ野反湖並みのニッコウキスゲ群生も夢ではない。
残念ながら、森の中の我が家には日当たりの良い場所はもうないのだ。。。
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by hanaha09 | 2017-06-30 17:13 | 田舎暮らし | Comments(0)

光るヒカリゴケ

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今年も梅雨時に妖艶に光るヒカリゴケが現れた。
安物のデジカメは便利なのだが、ここぞというときの写真が撮れない。
どうしてもヒカリゴケのエメラルドグリーンが旨く写らない。
ネットで素晴らしい写真を見つけたのでお借りした。
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今までは良くわからなかったのだが...
ヒカリゴケの植物体は光っておらず、光っているものはその周囲に散らばっている原糸体のレンズ状細胞なのだそうだ。
蘚類(せんるい、苔類ではない)は胞子から発芽すると、一方向に細胞分裂を繰り返し、糸状に伸びていく、これが原糸体。
植物体というのはこの長く伸びた原糸体のあちこちにできる細胞の塊。
普通の蘚類は成長と共にこの原資体は消えていくのだそうだが、ヒカリゴケの原糸体は残存性が高く、そこにレンズ状細胞と呼ばれる球形の細胞が混じる。
顕微鏡で見ると、
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こんな具合だ。
このレンズ状の細胞が光を反射し光って見える。
そして細胞の中には葉緑体がある。
レンズ状細胞に白色光を当てると反射光には葉緑体の緑色が混じり、エメラルドグリーンに光るのだ。
一つ賢くなった今日の日だ、感謝。
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by hanaha09 | 2017-06-29 17:01 | 田舎暮らし | Comments(0)

セミの寿命

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「ミョーキン、ケケケケ、ケ~」の羽化したばっかりのコエゾゼミだ。
セミの成虫の寿命は1週間ほどとされている。
しかし、実はこれちょっと違ってて...
羽化後、天敵(鳥やカマキリ、人間など)に襲われなければ、3週間~1ヶ月程度はいきてるらしい。
なぜ1週間ほどと言われてきたか?
セミの成虫は樹液だけしか食べない、捕まえてきても1週間ほどで死んでしまう、この辺から1週間という話が出回ったようだ。
それと、春とか秋の季節外れに土から出てきたセミは1ヶ月~2ヶ月程長生きする。
セミは実は暑さに弱いのだ。
じゃあなんで夏に出てくんねんっていう話だけど...セミだからねぇ。
も一つ、セミは長い期間を幼虫として土の中で暮らす。
期間は3-17年に達する。
短命どころか昆虫類でも上位に入る寿命の長さをもつのだ。
羽化したセミは人生の最後。
別の個体を残すため、鳴いて鳴いて鳴く空蝉(この世)のならわし...
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by hanaha09 | 2017-06-28 16:19 | 田舎暮らし | Comments(0)

日本分水嶺

分水嶺とは分水界になっている山脈、もしくは雨水を異なった水系に分かつ山の峰々のことをいう。
降った雨水が、それぞれ異なる川に流れていく境界線境界線なのだ。
日本分水嶺が湯の丸の地蔵峠にあった。
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この食堂の屋根の軒先になんか看板のようなものが見える。
大日本分水嶺の標識だ。
この屋根の右側に降った雨・雪は嬬恋村に流れ、吾妻川を東へ下って渋川へ。
渋川からは利根川に合流して一つは銚子から太平洋へ、もう一つは江戸川を下り東京湾へ流れてゆく。
屋根の左側に降った雨・雪は、南、長野県へ下り千曲川に入る。
千曲川は善光寺平をへて、新潟を横切り日本海へ流れてゆく。
ほんの少し違えばとんでもない方向に行ってしまう分水嶺。
天下分け目、人生の分かれ目のような大日本分水嶺だ。
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by hanaha09 | 2017-06-27 20:08 | 田舎暮らし | Comments(0)

三年寝太郎

昔々にも引きこもりが居たようだ。
長門の国は厚狭の里にいたものぐさな若者、毎日、毎日、寝てばかりいるので、 いつか村じゅうのものに「寝太郎」とよばれていた。
三年三月を、まるまる寝て暮らし、ある日、ひょっこり起き上がると、庄屋のおとっつあんに「千石船を一そう作っちょくれ」と。
千石船ができると、寝太郎は、「船いっぱいのわらんじを買うちょくれ」と、いう。
寝太郎の言うなり放題になって、千石船の寝太郎は厚狭川を下ってどこかへ消え去った。
四十日経った日の明け方、ぶらりと寝太郎の千石船が帰ってきた。
船の中にはまっさらのわらんじに変わって泥付きのわらんじが山積みだった。
寝太郎はまたまた大桶を集めて来るよう無心した。
桶に水を一杯貯めて泥付きのわらんじの泥を洗い落とした。
すると桶の底にはピカピカる金の砂、砂金が山盛りになっていた。
「寝太郎め。佐渡に着くなり、新しいわらんじと古いわらんじをただで取り替えちゃげる・・・と、島中にふれ歩いて仰山、ボロボロのわらんじを集めよった」、と佐渡まで同行した船乗り達。
寝太郎は三年三月誰にも知れず、寝て思案したお金儲けの策だった。
寝太郎は、こうして儲けたお金で厚狭川をせきとめ、潅漑用水路を作った。
すると、それまで荒れ地だった野っ原が、いっぺんに豊かな水田に変わったんだ、とさ。
この寝太郎、今も寝太郎祭りとして伝えつづけられれている。
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今朝の吾輩の朝寝の理由にした。
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by hanaha09 | 2017-06-26 17:52 | 田舎暮らし | Comments(0)

地震が揺すったが寝てた

今朝ほど長野県南部で結構大きな地震が起こった。
この辺は震度1だったそうで、おまけに寝てたので全く感知せず。
江戸時代後期の安政年間には日本各地で地震が連発した。
荒川河口付近を震源とするM6.9とされる安政江戸地震が江戸を襲ったのが1855年。
1万4千戸の家が全壊し、4千7百人余りの町方衆が亡くなった。
この地震後にはおびただしい数の瓦版や鯰絵が江戸の町中に出回った。
復旧事業が一時的な経済効果になったとも言われる大地震、災害が世の乱れをただすべく天が凶兆を以て警告するのだ、とも信じられていた。
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鹿島神宮の神様がまな板の上に大ナマズをひっくり返し腹に剣をつきたててる図、「腹立ち」を引っかけたシャレ。
上段にいるのは地震で儲けて笑いの止まらない大工、とび職、材木屋、佐官など。
下段にいるのは地震で大損し泣き顔の旅籠、茶店、寄席など。
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復興景気で懐があたたかくなった職人たちが吉原遊びに繰り出した図。
何人(匹)かナマズがいる。
職人たちが世話になったナマズたちを連れて来た?
b0126549_20203463.jpg江戸前かばやき「鯰大火場焼(なまずおおかばやき)とある。
恵比寿さまによって今まさにさばかれようとしているナマズ、蒲焼にされる運命のよう。
画面左、縁台に座ってナマズの蒲焼を食べているのは災害復興で儲けた大工たちなのだそうだ
ペリー率いる黒船が来航した幕末、それなりのユーモアで笑い飛ばし、風刺をきかせてうっぷんを晴らし、それをお守りにする、それが鯰絵だった。
この鯰絵、瓦版、約2か月の間しか世に出回らなかった。
幕府に対する世の不安と「世直し」に対する強烈なマニフェスタシオンと見た幕府によってきつく取り締まられたのだ。
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by hanaha09 | 2017-06-25 20:38 | 田舎暮らし | Comments(0)

ハクサンイチゲ

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ハクサンイチゲといただいた苗が広がり花が咲いた。
山の上で見るハクサンイチゲとはちょっと違うような...気がするんだが。
花びらの先が丸っこい、葉のギザギザがちょっと違うような、よくわからん。
少々名前が違おうが、園芸種が少々混ざっていようが、きれいな花だから、なんでも良いいんだ。
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by hanaha09 | 2017-06-24 18:36 | 田舎暮らし | Comments(0)

蝶々はすごい

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この蝶々はヤマキマダラヒカゲというのだそうだ。
止まってるのはまだ真新しい牛の糞。
きれいな蝶々が行ったいなぜ?
これは給水行動の一つ...
多くの蝶は吸水しながら、おしりから水を排出しているのが観察されるのだそうだ、が、よくわからんかった。
蝶は、体温を上げるときに羽を開いて日光を精一杯浴びる、だが上がりすぎた体温を下げる機能は備えていないのだ。
どうするか?温度の低い水を吸水し、排出することによって体温を下げるのだそうだ。
なまの牛の糞はべとべとだ、これを間違って踏むと大変なことになる。
だが、この給水行動をとる蝶々はオスばかりなのだ。
このオスの蝶々は動物の排泄物などに吸水しに集まるのは、どうもその主成分であるナトリウムを摂取しようとするものらしい。
筋肉の運動に必要なナトリウムイオンを、この様な吸水によって補給し、メスの蝶々をあちこち探し、追っかけるための活力の源となる。
牛の糞は蝶々の強壮剤なのだ。
もう一つ、蝶々の行動に得意なものがある、吸い戻しと呼ばれる行動だ。
動物の糞にとまり、その上におしっこをして、そのおしっこをまた吸い戻す行動。
つまり、固形物におしっこをかけることによって、栄養分を溶かし、それを吸い戻すことによって栄養を得るというものだ。
きらびやかな蝶の世界は昼も夜もなかなか大変だ。
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by hanaha09 | 2017-06-23 18:44 | 田舎暮らし | Comments(0)

一粒金丹

b0126549_1810444.jpg年長けて、かつての精力はどこへやら。
「美しい手で提灯の皺伸ばし...」
と、若い妾は一生懸命になるが、
「あたかも提灯で餅を搗くが如し...」
と、情けないこととなる。
江戸時代の絵図にはバイアグラを凌駕するほどの閨房薬(秘薬・惚れ薬)が登場する。
その一つが「一粒金丹(いちりゅうきんたん)」、どうも津軽藩に伝わる秘伝の調合方法でつくられたものらしい。b0126549_181966.jpg
その効能とは...「諸虚を補ひ精気を益。 大抵ハ半月十日に一丸を服す、鉢さかんの人ハ、四季に一丸を服す。性交を強くし、夢精をもたらす。」とある。
何が含まれてるかというと、膃肭臍(オットセイのあれ)、阿芙蓉(阿片)、龍脳(南洋産の薬草)、麝香(ジャコウ鹿の生殖腺嚢の粉末)、朱砂(水銀と硫黄を化合したもの)、原蚕蛾(中国蜀地方の一番蚕)、これを焼酎で煎じた射干(アヤメ科の多年草)エキスで練って丸薬とする。
こんなものを毎日でも飲んだら、それはもう大変なことになる。
幕末近くの値段が一袋(粒数不明15粒位?)二十五銭、今の価格で2-3000円。
現代のバイアグラと同じくまがい物があちこちで見られたらしい。
江戸のご隠居さんには引っ張りだこであったに違いない。
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by hanaha09 | 2017-06-22 18:11 | 田舎暮らし | Comments(0)

江戸時代の百姓

江戸時代に描かれるお百姓のイメージは、「苦しかった」「貧しかった」...
5公5民の割合で年貢がかけられた。
作った米の半分を納めるということになる。
この年貢を決めるのが検地、田畑の面積と収量の調査のことである。
現在の課税台帳のことである。
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そして、百姓には幕府より「禁令」がでた。
ー、麻布と木綿以外の衣服は着てはいけない。
一、男は農業、女は機織と遅くまでしなさい。
一、麦・あわ・ひえなどを食べ、米を多く食べてはいけない。
一、酒や茶を買って飲むな。
一、たばこをすうな
しかし、実際には山を切り開いて検地をされていない新田が増えたり、農業技術や治水の発達により収穫の量が増えたりした。
各藩での特産物奨励(上州の養蚕、山形の紅花、阿波の藍、紀州のミカンなどなど)により、非課税の生産物がどんどん増えた。
百姓一揆などを恐れ、各藩では増税ははるかに難しいものとなっていた。
下々の百姓の可処分所得は増えていった。
そして、百姓たちへの贅沢「禁令」は何度も出されることとなった。
つまり、この「禁令」だれも守らなかったから何度でも出されたのである。
かくして「禁令」は、
一、麻布と木綿以外の衣服を「どんどん着ていた」
一、男は農業、女は機織りとおそくまでは「仕事をしなかった」
一、麦・あわ・ひえなどを「食べず」米を多く「食べていた」
一、酒や茶を買って「飲んだ」
一、たばこを「すった」
となった。
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全国の百姓・庶民が伊勢参りにかこつけた物見遊山に出かけた。
百姓を含めた庶民階層には資本が蓄積され、それが維新の原資となり、外国に借金しなくてよかった。
日本が欧米の植民地にならなくて済んだのである、と解説されている。
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by hanaha09 | 2017-06-21 20:07 | 田舎暮らし | Comments(0)