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あるちゅはいま日記

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エトナ山爆発

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よく聞くイタリアの火山だ。
シチリアにあるヨーロッパ最大の火山、標高はおよそ3,325m。
2013年には世界遺産に自然遺産として登録された。
60万年前から活動を開始したと言われているが今もなお、年に数回から十数回の爆発を繰り返している。
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sicilia clubという団体名で運営されているホームページがある。
「エトナ山が噴火すると、なぜか大々的にマスコミに報道されますが、地元の人は全く危険だと思っていません。なぜならば、エトナ山は玄武岩質マグマを持つ火山であり、マグマの流動性が高いため、熔岩ドームができないので、火砕流は発生しません。ガス(火山性ガスの事?)がスムーズに抜けやすいため...爆発的で危険な噴火はしないのです。」
「山の傾斜がなだらかなので、溶岩流はゆっくり流れます。溶岩流にのまれて亡くなる人はいません。溶岩流が流れて来るまでに、十分な対策を打つことができます。火山灰の量も、極端に多いわけでなく、アルカリ玄武岩質の火山灰土は、ミネラルをたくさん含んでいるのでいずれは農作物の肥料になります。肥沃なエトナ山脈では、ワイン用葡萄、ピスタチオ、オリーブ、桃、りんご、イチゴ等いろいろな農作物が栽培されていて、火山はまさに大自然の恵みをもたらしてくれるのです。」
「したがって、エトナ山が噴火すると噴火活動を少しでも近くで見たいと、エトナ山に登る観光客が一気に増えます。噴火しているときのエトナ山観光は、地球が生きているのを感じられてお薦めです。」
まあ、この表現が良いのか悪いかは別にして、なんともイタリア人らしい陽気な、前向きの発想が生き生きと感じられますね。
火山の噴火警戒警報発令で「風評被害だー、お客が来ない、損害賠償だー。」なんて騒いでいるどこかの国の観光業者とはなにか違います。
こんなエトナ山が3月17日に爆発を起こした。
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爆発の際の噴石などで10人が負傷したが、いずれも重傷は負っていないという、が...
自然はなかなか侮るわけにはいきません。
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by hanaha09 | 2017-03-31 15:48 | 田舎暮らし | Comments(0)

江戸の時代にもあった大食い選手権

一時流行った大食い選手権、まだテレビでやってるのだろうか?
なにが面白くってこんなことやるんだろうかねぇ。
と、思ってたら江戸の時代にも大食い大会をやってたみたい。
大食い大会の中でも特に有名なのが、文化14年に両国の柳橋の万八楼で行われたものだそうだ。
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まずはお菓子の部。
参加者がそれぞれ自分の食べたいものを自由に選んで、その量を競い合った。
八丁堀に住む伊予屋清兵衛さん65歳は、まんじゅう30個、うぐいすもち80個、松風せんべい30枚、たくあん5本まるかじりの記録。
まんじゅう、もち、せんべいはまだわかるんだが、なんでたくあん5本丸かじりなんだろうかね。
65歳でたくあんを丸かじりできる立派な歯を持ってたんだ。
次にご飯の部。
浅草に住む73歳の和泉屋吉蔵さんは、ごはん54杯、青唐辛子58本という結果。
青唐辛子はご飯のおかずだったんだろうか、ごはん1杯に青唐辛子1本の勘定だ。
蕎麦の部では二八蕎麦の杯数勝負だ、一番が池之端仲町に住む山口屋吉兵衛さんが63杯。
そして、酒の部では芝口に住む30歳の鯉屋利兵衛さん
3升入る盃に酒をなみなみとついで6杯を飲み干し、7杯目を飲んでいる途中に意識を失った。
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これは壮絶な戦い、ゲロをやってる輩も多数。
文化14年のころとは町人文化の全開期、生き生きとした江戸町民がうかがわれます。
だが、書物の後には「後から聞いたらどうやら嘘だったようだ」とも書かれている。
まあ、大げさなのは、サービス精神旺盛の江戸っ子だ。
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by hanaha09 | 2017-03-30 22:11 | 田舎暮らし | Comments(0)

サムライが見たアメリカ

幕府は、1860(万延元)年、使節をアメリカに派遣し、日米修好通商条約の条約批准書を交換させることにした。
2月13日、総勢77人の遣米使節団正使が、アメリカから差し向けられた軍艦ポーハタン号に乗り込み、横浜を出港した。
この時の使節の随行艦として、咸臨丸を派遣することにした。
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遣米使節団先立つ2月4日には、「咸臨丸」が品川沖を出帆した、正使一行の護衛もさることながら、もし事故があったときの「身代わり」だったのだ。
咸臨丸の責任者は木村喜毅、勝海舟が艦長、福沢諭吉をはじめ通訳のジョン万次郎、瀬戸内海・塩飽諸島の水夫ら総勢96人だ。
この年の太平洋は大荒れ、勝海舟も福沢諭吉も船酔いで何もせずに閉じこもり、船の中では誰の指示もなく、操縦も大荒れだったらしい。
3月18日、使節団正史一行より一足早く、無事にサンフランシスコに入港、勝も福沢も途端に元気になったとか。
マストに翻った「日の丸」が、初の太平洋横断航海成功の壮挙をたたえているようだった、と。
後に福沢諭吉は咸臨丸による単独航海の決断と勇気と技量は、「日本国の名誉として世界に誇るに足る」と称賛しているのだが...
同船したアメリカの海軍士官は「日本人が無能で帆を十分にあげることができない」などと、その操船ぶりを手厳しく批判、船酔いの指揮官を嘆いていたようだ。
使節団正史はその後ワシントンまで、当時のブキャナン大統領と批准書の交換。
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咸臨丸は修理などの後、日本に引き返した。
ワシントンでの国務長官主催の舞踏会では、「こま鼠ねずみの廻まわるが如く、女のすそには風をふくみ、いよいよひろがりてめぐるさま、いとおかし」。
大統領が商人と同じ服装で何の飾りもないのを見て、「こちらは盛装できたのに」と愚痴をこぼしたり。
亜米利加人たちの「口吸い」(キス)には開いた口も塞がらない。
毎日が野牛とか豚とか四つ足ばかり、小刀とか突き刺すフォークとか言う「野蛮な箸」での食事はとまどうばかり。
「豚の仔の丸煮」が出てきたときには、これは「安達ヶ原」(伝説の鬼婆)と吃驚した。
まずい生暖かい白い汁をわざわざ皿に入れて匙ですくって飲まなければならないのか、椀に入れればよい。
イリコや昆布、鰹節で出汁をとってない、旨くないのも当然だ。
春なのに、シャンパンのコップに氷が浮いていた、思わず吐き出したり、かじって食べたり...
初めての馬車に乗れば、奇妙な箱に乗り込むと突然動きだしびっくりした。
部屋に入ると絨毯が敷き詰められていた、アメリカ人はその上を土足で歩き回るのだ。
サムライたちの見た西洋社会だった。b0126549_12424951.jpg
咸臨丸は1860年の6月23日に相模湾に帰ってきた。
目の前の富士山に向かって一同は「やっぱり日本が一番じゃ」、と。
勝海舟は「今日からが日本丸の航海の始まりじゃ...日本は欧米に負けぬほどの実力をつけねば...」
日本の歴史がグーッと動く瞬間であったようだ。
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by hanaha09 | 2017-03-29 12:45 | 田舎暮らし | Comments(0)

幕末の外交

「太平の 眠りを覚ます 上喜撰 たったしはいで 夜も眠れず」
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嘉永6年(1853年)アメリカ合衆国のペリーが2隻の蒸気船を含む4隻の軍艦を伴い浦賀にやってきた。
宇治の高級茶葉の銘柄「上喜撰」を蒸気船、「しはい(4杯)」を4隻と掛けて当時の幕府の狼狽ぶりを表わした川柳だ。
この砲艦外交に始まり、不平等条約と言われる「日米通商条約」引き続き「日英通商条約」が安政5年(1858年)に結ばれた。
ペリー等は軍艦の全砲門を開けたまま入港したり、空砲を発砲するなどの威嚇外交を展開した。
これに対し幕府は「無念いわんかたなし」「無念の歯かみなしたるのみ」と言いながら「穏便すべし」との指示を出した。
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なぜか...当時幕府の所有する大砲は鉄の玉を打ち出すだけのもの、それに対しアメリカの大砲は着弾する際に爆発する炸裂弾であった。
圧倒的に有利な武力の下にイギリスが清国を打ち負かした天保11年(1840年)の阿片戦争の情報を詳しく分析していたのだ。
幕府は天保13年(1842年)、それまでの「異国船打ち払い令」を撤廃し、外国船に対する「薪水給与令」まで発布している。
そして、幕府は当時制定されていた国際法「万国公法」を入手、翻訳の上熟知していた、つまり米国はこの国際法に著しく反する行為はできないということを頭に入れていた。
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また、仙台藩士大槻平次は「補給線を持たないアメリカには戦争はできっこない」と幕府に説いていた。
かくして、「幕府は日本海岸に接近し、遭難した外国船に大砲を打ち込む、この方針を変えない限り戦争に訴える覚悟である」と、のたまうペリーに相対した幕府の林大学頭は「ことと次第では戦争もやむを得ない、日本は人命を一番としてきた、その証拠に300年間も平和が続いている」と切り返した。
「日米通商条約」では治外法権・関税の自主権放棄(関税は決められていた)を認めたものの、アメリカ人には開港地の限られた範囲内での居留という条件を付けた、これは外国商人の日本全国での活動を制限し国内産業の保護に大いに役立った。
そして、日米通商条約には「阿片の輸入厳禁たり もし亜米利加商船三斤以上を持ち渡らは日本役人是を取り上へし」と、阿片に毒され衰退していった清国国民のような苦痛は日本にはやってこなかった。
続いて結ばれた「日英通商条約」税則にも同様の条項が盛り込まれている。
「...夜も寝られず」との幕府の重鎮・交渉役たちは狼狽どころか用意周到、柔軟かつ巧みでしたたかな交渉をこなしていたことになる。
現在のなんだかへんてこなアメリカにしっぽを振りに行く外交、一度締結された合意を実行されなくても何もしない外交、20年たっても国家犯罪の犠牲者が帰ってこれない外交...
どうなるんでしょうかねぇ。
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by hanaha09 | 2017-03-28 19:18 | 田舎暮らし | Comments(0)

また雪が降った

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また南岸低気圧が太平洋上を横切った。
恒例のべたべた雪が積もった。
朝がちょっと大変だった。
車が埋まってしまった、掘り出すのが結構大変だった。
べた雪は重い、腰が痛くなった。
屋根の雪も次から次へ落ちてきてこれを取り除くのも大変だった。
まあ、汗がじっとり、朝風呂にビールを二本も空けちゃった。
この雪で喜んだのは一体誰だ?
スキー場、この雪で遅くまで開業できる、儲かる。
雪かきをアルバイトとする建設会社さん、冬の一番の稼ぎだ。
道路の凍結防止に撒く塩化カルシウムも良く売れる。
雪かきスコップも需要が高い、結構高い割にはよく壊れるのだ。
一番喜んだのは、犬と町からやってきた子供たち。
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平和だねぇ。
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by hanaha09 | 2017-03-27 17:01 | 田舎暮らし | Comments(0)

ローテクジャパン

バカみたいに次から次へとテレビに出て来る、「瑞穂の国 小学校」。
海外ではこんな報道が...
米ニューヨークタイムスでは焦点になっている首相夫人付き職員からのファックス(ファクス or ファックス どちらだろう?)の話題。
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米記者の注釈には「ファクスは日本では、しばしば欠かすことのできない、コミュニケーション手段だ」、と。
英BBCは「世界初の非接触型ICカードや新幹線、ソニー・ウォークマンを世界に先駆けて開発した国」が、いまだに「FAXやカセットテープを使っているのはなぜか?」と問いかける。
FAXが今もオフィスで現役であることは、多くの外国人ビジネスマンを驚かせているようだ。
FAXメーカーのシャープは「FAXはパソコンとスマートフォンの普及で使用頻度は落ちましたが、新しい技術に親しみのない60歳以上の人々は、FAXを好んで使っていますよ」と答えている。
芸能人が不祥事を起こした際、必ずと言っていいほど、「報道各社にFAXされた手書きの謝罪文」がワイドショーで紹介される。
アメリカではとっくに衰退したDVDレンタルが、日本では今、ご老人に大流行なのだそうだ。
しかもレンタル店のAVコーナーは老人だらけなのだそうだ。
少子高齢化により、しぶとく生き残る日本の「ローテク」、古来からの伝統を重んじる日本文化でもあるようだ。
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by hanaha09 | 2017-03-26 17:41 | 田舎暮らし | Comments(0)

天明の打ちこわし

江戸時代も半ばを過ぎたころ、田沼意次の重商主義政策により、農民が都市部へ流出、冷害・多雨と重なり飢饉が起こった。
更に1783年(天明3年)に入ると、3月12日(旧暦)には岩木山が更に7月6日(旧暦)には浅間山が噴火し、各地に火山灰を降らせた。
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東北地方の農村を中心に、全国で数万人(推定で約2万人)が餓死したと、杉田玄白の著書『後見草』が伝える。
そして、1787年(天明7年)5月、江戸・大坂で米屋の打ち壊し事件が起こり、その後全国各地へ打ち壊しが広がる。
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大飢饉で多くの国民が貧困の最中にあったにもかかわらず、一部の商人たちが米相場の上昇を見込んで米を買い占め、江戸では大変な食糧危機になっていた。
困った江戸町民たちは深川の彦四郎など7人を代表にたてて、米商人たちに安く米を分けてもらえるよう交渉した。
しかしぼろ儲けの見込める米を安く放出する米商人などあるはずがなく、当然交渉は決裂。
怒った町人たちは、米問屋に上がりこむと、抗議のため米屋の家財や建物を叩き壊した。
町人たちは確かに米問屋を襲撃はしたのだが、店の者に暴力を振るうこともなく、しかも金品はおろか米粒ひとつ略奪しなかった。
深川で始まった打ち壊しは翌日には江戸全土に広まり、わずか4日間の間に5000人以上に膨れ上がった。
最終的に北は千住から南は品川に至る四方4里の米商人や富豪宅などがことごとく打ち壊され、その被害は米屋だけでも980軒にも及んだが、なんとこの騒動で死者、けが人ともゼロ。
また暴動にありがちな火災もゼロ。
帰るときにはちゃんと米代を払って米を持ち出したりしたらしい。
鎮圧のために出動した先手組(警察)はその様子を見て「誠に丁寧礼儀正しく狼藉つかまつり候」と呆れたという。
一帯なんだったのだろう?
反老中田沼意次派によって意図的に行われたものであった。
いわば政治マニフェスタシオン。
権勢を誇った老中田沼意次は、城下の治安を守れなかった責任を問われて失脚。
政敵松平定信にその地位を譲ることになったのだ。
現代でも反大統領派と大統領擁護派が激しく殴り合うなどの様相を見せるどこかの国とはまるで大違い。
日本人に生まれててよかった。
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by hanaha09 | 2017-03-25 22:27 | 田舎暮らし | Comments(0)

佐渡の金銀は嬬恋村を通って江戸に運ばれたか?

上越北陸と江戸を結ぶ北国街道と中山道の裏街道が嬬恋村を通過する大笹街道(城主街道からは仁礼街道と呼んだ)だった。
江戸まではおよそ40kmほど短い経路だ。
それと荷物の中継ぎとなる宿場が少ない。
時間の短縮と経費の節減で多くの商用貨物がこの経路を使った。
参勤交代には荷物だけをこの経路で運んだとの記録もある。
当時最盛期を迎えていた佐渡金山で採れた金銀は貨幣に鋳造された後、江戸まで運び込まれた。
ひょっとすればこの金銀も経路の短い大笹街道を通ったのでは?との推測も一部ではささやかれているのだが...
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佐渡奉行所(佐渡・相川町)の御金蔵から運び出される金銀荷は、木箱に入れて封印し、対岸の出雲崎まで運んだ。
その距離は海上72㌔。
海峡を渡るのは御座船とも呼ばれる奉行船、船のまわりに幔幕が張られ、白地に紺色の葵の御紋ののぼりが舳先に、また船尾にはくれないの吹流しを立てたのだそうだ。
出雲崎からは陸路で江戸までの距離はおよそ92里(368㌔)。
出雲崎では支度のため2泊、それからの泊まりは、原則として鉢崎、高田(新潟県)野尻、屋代、小諸(長野県)、坂本、高崎(群馬県)の順で、埼玉県に入って熊谷と浦和。最終日が江戸の板橋泊まりとなる。
1日37㌔のペースで早ければ10日間かかって江戸へ着く。
享保7年、当時の記録によると銀702貫(2,632.5kg)を70箱に詰め、馬70頭で出立したのだそうだ。
これは大変だ。
こんな大行列は嬬恋村の宿場町では抱えきれない、馬のほし草だけでも大変だ。
ましてや急な山道で1頭でも立ち往生するとにっちもさっちもいかなくなる。
江戸入り前日には、板橋にて金銀の箱の荷造りをきれいにしたり、家来たちの身支度を整えたりし江戸の坂下御門に向かう。
御門前に金銀の箱を積み上げ、引き渡すとお役目終了となる。
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江戸時代に佐渡金山で産出した金銀は、金41トン、銀1780トン、銅も含めて時価にすると、およそ2000億円にのぼるとされる。
この半分ほどが佐渡から江戸へ運び込まれた。
この他に出雲崎から三国峠を越えていったルート、船で大坂から運び込まれたいう話、また、10人がかりで荷車で運んだなどという話もある。
残念ながら、金銀のお運び人が大笹街道を通って行った事はなさそうだ。
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by hanaha09 | 2017-03-24 19:08 | 田舎暮らし | Comments(0)

トイレあれこれ

最近のトイレは白色ばかり..なんでだろう?
トイレ会社さんによれば今最も売れているのが白色よりももっと白色「ピュアホワイト」らしい。
やはり「清潔感」が重視されるのと、トイレ内の装飾にマッチしやすい、のだそうだ。
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昔の料亭とか旅館に行くと見事な「アサガオ」があった。
おしっこをひっかけるのがもったいないほどだ。
こんな木製のものもあった、なんとなく匂ってきそうな感じだ。
パリの飛行場へ行くとトイレの背が高い、短小のおち〇ち〇では届かないので思い切りつま先立ちをしなければ届かない。
場末のホテルに行くと部屋にはビデしかない、夜中は面倒くさいからそこにオシッコをした。
シンガポールのインドカレー屋さんのトイレにはバケツが置いてある。
用が済んだ後はこの中の水を小さな桶ですくってバシャバシャ流す、なかなか合理的。
江戸時代の大奥のトイレは穴を十数メートル掘った。
はね帰りもやってこない、においもやってこない究極のトイレかもわからない。
タイのトイレはたいていが手持ちのシャワー付き、あちこち洗えて結構便利で使い勝手が良かった。
リゾートホテルに行くとこんなのがあった。
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何回でも入ってみたい小川が横を流れる安らぎトイレだ。
トイレ会社さんも言ってた、「トイレを応接間にしたい!」。
いつまででもトイレに居座られると、おしっこが近くなってきたじいさんにはつらいものがあるんだがねぇ。
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by hanaha09 | 2017-03-23 10:28 | 田舎暮らし | Comments(0)

you key fool

バカみたいなタイトルを考えるのは閑を持て余すバカ。
青空の下に雪が眩い。
今頃の季節にはいつも雪が降る。
昨年は3月23日、その前の年は3月19日。
嬬恋村の浅間高原付近では南岸低気圧が太平洋沖を北上すると雨雲がやってくる。
まだまだ寒気が残っているので上空では雨が雪になる。
昨日の地上気温は0℃。
よって雪はベタベタ、木の枝に纏いつくように引っ付くのが特徴。
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雪かきをしてもスコップが重い。
東京ではもう桜の開花宣言。
「名残雪」と言いたいところが、このあたりはまだまだ雪が降る。
スノータイヤの交換は5月の連休後だ。
それにしてもあっという間に冬が過ぎ去ったようだ。
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by hanaha09 | 2017-03-22 10:22 | 田舎暮らし | Comments(0)