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あるちゅはいま日記

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ハロウィンって

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アメリカでは子どものためのイベントだったハロウィンだが、日本では大人の「巨大仮装イベント」として盛り上がっているのだそうだ。
今年のハロウィーンの市場規模は1220億円となり、昨年のバレンタインデーを超え、クリスマスに次ぐ規模となった。
実はこの仮装が世界中のあちこちで事件を起こしているらしい。
魔女やお化けに仮装した子供たちが近くの家を1軒ずつ訪ねては「トリック・オア・トリート(Trick or treat) 「お菓子をくれないと悪戯するよ」と言ってお菓子を集める。
一番の記憶は日本人留学生の「フリーズ」事件、言葉の違いに歴史の違いが重なった痛ましい事件だ。
黒ずくめの仮装をしてハロウィンパーティの参加してた9歳の女の子が親類にスカンクと間違えられて撃たれた、なんともはや...という感じ。
仮装し家々を回っていた12歳男児が強盗に間違われ、自動小銃で30発近く銃撃され死亡した。
撃ったのは1年前に強盗の被害にあった家の主人だった。
日本の北海道にも似た習慣があるらしい。
子供たちが夏の一月後れの七夕の夕方〜夜にかけて、「ろうそく だ〜せ〜 だ〜せ〜 だ〜さ〜ないと かっちゃくぞ〜 かみつくぞ〜」と言ってお菓子(ろうそくがいつの間にかお菓子になったらしい)を集めるそうだ。
お菓子の用意が出来てない家では、家の戸や窓、カーテンまで閉め切って、いないふりを装うのだそうだ、居留守ってやつ。
もともとは、古代ケルト人が起源と考えられている祭り。
秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事であったのだそうだ。
何でも受容できるマルチ宗教の日本人、変な事故などが起こらぬようにしてほしいものだ。
山の中はストーブが欠かせない寒さになった。
ちょっと遅れて蒔いた植えた野沢菜が育たなくなった。
しょうがないので間引き菜の白和えで寂しい収穫の祝いだ。
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by hanaha09 | 2015-10-31 18:33 | 田舎暮らし | Comments(0)

豪商の館

天気が良いので須坂まで行ってみた。
須坂は北国街道の脇道、大笹街道の分岐点。
千曲川沿いに育てられた菜種などの集積地、用水が豊富なことから水車を利用した油の加工、精製業者もこぞって寄り集まってきた。
ちょうど江戸で需要の高まった灯火用菜種油は大笹街道を馬の背に乗せられ江戸へと運ばれていった。
嬬恋村を通過するこの街道は別名油街道とも呼ばれていた。
この油を一手に扱ったのが田中本家、豪商の館の主だ。
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須坂の山際の村、仁礼の百姓の次男として生まれた田中新八が須坂の町に穀物問屋を開いたのが享保18(1733)年。
折からの貨幣経済への移り変わりの時期でもあり、1760年代に入り田沼意次の重商主義政策が佳境に至った。
一方、須坂藩は1万石の外様大名、何とか準譜代の呼称をもらったが財政は逼迫。
須坂の殿様、田中家の思惑が一致したに違いない。
田中新八は菜種油のほか煙草・綿・酒造業等にも進出、須坂藩の御用達を勤め、名字帯刀を許される身となった。
田中家は3代目以後、士分を得て藩の財政に関わる重責も果たし、近隣の松代藩や上田藩への大名貸し(大名向けの金融、後には踏み倒しも出る様にもなり名字帯刀などの様々な恩典で誤魔かそうともしたようだ。)も行ない、その財力は須坂藩主を遥かに上回る北信濃屈指の豪商となった。
そして、江戸時代も終りを告げ、明治3(1870)年12月、近隣で相次いでいた農民の暴動の影響を受け須坂騒動が勃発、須坂中心部の約120戸が焼き討ちにあった、豪商田中本家の館も例外ではなく焼失してしまった。
ところがどっこい、品質の優れた日本の生糸が諸外国の注目を集める頃にあった。
須坂では自慢の用水を用いた機械式製糸業が一挙に広まっていった。
豪商田中本家も製糸業に参入して興盛を極め、豪邸をたちまち再建。
これが今も現存する豪商の館だ。
豪商の館は田中本家博物館として、豪華絢爛たる所蔵の家具調度品、漆器、陶磁器、玩具、文書が見学できる。
入場料金は大人一人八百円だ。
同行したおくさま曰く、「今の時代にも儲かる仕組みになってんだね...」
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by hanaha09 | 2015-10-30 21:09 | 田舎暮らし | Comments(0)

浅間山噴火情報

6月19日の噴火以来、本日も活発な活動が続いているようだ。
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26日気象庁発表の観測情報。
火山活動はやや活発な状態で経過しています。
本日(26日)実施した現地調査では、二酸化硫黄の放出量は1日あたり600トン(前回:10月15日2000トン)とやや多い状態でした。
6月19日に山頂火口でごく小規模な噴火が発生した以降は、噴火は観測されていません。
今期間、噴煙の状況は、火口縁上600メートル以下で推移しています。
4月下旬頃から山頂直下のごく浅いところを震源とする体に感じない火山性地震が多い状態が続いています。
火山性地震の発生回数は以下のとおりです(速報値を含む)。
               火山性地震  火山性微動
10月23日           35回     0回
   24日           46回     0回
   25日           27回     0回
   26日(15時まで)    19回     0回
週間観測情報では、
傾斜計による地殻変動観測では、6月上旬頃からの穏やかな変化が継続しています。国土地理院のGNSS3)の観測でも、5月頃からわずかな伸びがみられます。これらは浅間山の西側のやや深いところを膨張源とする変化によるものと考えられます。

まだまだ地中のマグマは活動中のようです。
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by hanaha09 | 2015-10-29 17:23 | 田舎暮らし | Comments(0)

渋峠

長野県と群馬県の県境だ。
群馬県側は吾妻郡中之条町、長野県側は下高井郡山ノ内町。
国道292号線の最高地点、2,172mだ。
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芳が平、草津温泉が見下ろせる。
25日にはこのあたりは初雪、もうすっかり冬だ。
11月15日から5月の連休近くまでは閉鎖、動物たちの天国となる。
そして草津白根山、その向こうには浅間山。
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いずれの山もただいま活動中、噴火警戒レベルは2のままだ。
草津までの292号線は4時半で次の朝まで閉鎖、途中の道では駐停車禁止だ。
出会ったのは車が2台とバイクが1台。
君子危うきところには近づかない、昔からの教えであります・
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by hanaha09 | 2015-10-28 22:19 | 田舎暮らし | Comments(0)

天道虫

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テントウムシの名前の由来は...
この昆虫は太陽に向かって飛んで行くことから、太陽神の天道からとられた、のだそうだ。
収穫した大豆の鞘を干してた中から這い出してきた。
「カメノコテントウ」という名前らしい。
普通、体長は数mm - 1cm程度の小型の昆虫。
これはちょっとでかい、10mm以上はある。
刺激を受けるとんだふりをして、さらに関節部から体液を分泌する。
この液体には強い異臭と苦味があり、外敵を撃退するのだそうだ。
そして、虫などを食べる肉食動物だ。
作物を傷めるアブラムシなどを食べにやってくる、お百姓さんたちとっては益虫だ。
この「カメノコテントウ」はハムシの幼虫を食べるのだそうだ。
この文様が亀の甲に似てるので「カメノコテントウ」なのだそうだ。
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by hanaha09 | 2015-10-27 21:05 | 田舎暮らし | Comments(0)

小諸義塾

しなの鉄道小諸駅の東、懐古園方面へ行くと小諸城址「大手門」がある。
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1612年に築城されたといわれる国指定重要文化財だ。
一階は質実剛健、堅固な城門、二階には畳敷きの部屋が二つあるそうだ。
明治に入って廃藩置県の後、様々な用途に使われた。
その一つが「小諸義塾」の校舎として利用されたそうだ。
「小諸義塾」とは、宣教師でもあった木村熊治によって1893(明治26)年に、当時の小諸町内の耳取町にて開学した私塾、翌年の1894(明治27)年にはこの大手門に移り、多くの向学の志を持った近在の塾生がこの門を登って行った。
この木村熊冶がまたすごい。
江戸末期に出石そばで有名な出石藩の儒学者の子として生まれた。
八歳で江戸に遊学したのだそうだ。
そして明治三年に渡米、十二年後に帰国熱心なキリスト教的教育者として、東京において明治女学校を創設、またその後移った長野県小諸で「小諸義塾」を開設した。
明治29年には新校舎が開設された、場所は小諸駅南のここ。
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現在は懐古園前で小諸義塾記念館。
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その3年後にはかの島崎藤村が国語教師としてやってきた。
東京では木村熊冶が藤村に洗礼を授けた、つながりがあったのだそうだ。
藤村は小諸駅の北、ここに住んでたようだ、近くには水汲みに通った井戸の跡がある。
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この当時の“小諸義塾”や塾生の様子は、藤村の著書“千曲川のスケッチ”に生き生きと描かれている。
藤村以外にも内村鑑三、柳田国男、有島生馬など錚々たる面々がここを訪れているところからも、当時の“小諸義塾”の教育レベルが窺える。
藤村が職を辞した翌年、明治39年になると財政難により閉校、13年間の短い歴史の幕を閉じたのだそうだ。
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by hanaha09 | 2015-10-26 08:56 | 田舎暮らし | Comments(0)

吾妻渓谷

当初の八ッ場ダム計画ではこの吾妻渓谷もダム湖に沈むことになっていた。
実はこの渓谷の真ん中に長野原町、東吾妻町の境界がある。
当初計画ではダムは東吾妻町側に出来る、長野原町には地元に還元できる固定資産税が入らない。
昭和40年に入って、建設省はダムの位置を600mほど上流側に移動させると表明した。
渓谷のほとんどが水没を免れ、ダムの位置も長野原町にひっかかることとなった。
お役人は頭がよいですね。
本日は東吾妻町側から旧国道を行って渓谷を楽しむことにした。
とたんにこの看板。
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歩いてゆくことにした。
ここは吾妻渓谷。
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耶馬溪は行ったことは無いが何しろすごい渓谷なのだ。
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随一の名勝「鹿飛橋」(鹿が飛ぶことの出来るほど狭い渓谷...と勝手に解釈したが...)からの渓谷。
今日の終点はもうちょっと行ったここ、汗がにじみ出てきましたね。
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この先には見事な滝。
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帰り道には渓谷の反対側に日本で一番短かった鉄道トンネル(過去形でここは旧吾妻線、付け替え線路が出来てもう電車は通らない)。
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駐車場近くまで帰ってくると観光バスでやってきたオバさん、「この先、何があるの???」だって。
答えは「耶馬溪をしのぐ渓谷美が楽しめますよ」。
ここも八ッ場ダムが完成すれば年間57万人もの観光客が押し寄せる予想なのだそうです。
なぜか水の色が青くにごってますよね。
水の中に細かな粒子が混ざってる証拠。
草津温泉下流の品木ダムの中和剤が流れ込んできたのではないでしょうね。
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by hanaha09 | 2015-10-25 10:16 | 田舎暮らし | Comments(0)

八ッ場ダムその後

長野県の軽井沢・佐久方面が何かと便利なので中之条・渋川方面にはしばらく来たことが無かった。
天候が良いので吾妻渓谷でも...と思ってやってきたのが八ッ場ダムの現場。
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この谷間にダムが出来る。
昭和27年に建設計画が発表された。
利根川改修計画の一環として、カスリーン台風級の水害から首都・東京及び利根川流域を守るのが目的とされた。
その後、草津・万座温泉に端を発する強酸性の流入水の問題、長野原町民の強力な反対運動などがあり、紆余曲折。
最近では民主党政権によるマニフェスト・事業仕分けでいったん中止宣言、自民党政権に変わるや否や再度出発進行となった。
完成は2019年を目指す。
テレビで一躍有名になった付け替え県道のT字型橋脚も立派に完成。
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ダム湖に沈む川原湯温泉も高台に移転、工事用宿舎、駐車場の横に真新しい建物がたたずんでます。
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年間の観光客数を57万人(一日あたり観光バス30台くらい)を見込んだ新川原湯温泉だ。
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by hanaha09 | 2015-10-24 18:01 | 田舎暮らし | Comments(0)

赤岩弁財天

ちょっとしばらくサボリましたね。

火山はマグマを源とする火山噴出物が降り積もって出来上がるものが多い。
時がたつと風化や火山体の中の熱水などによってもろく崩れやすくなる。
海岸で作る砂山とよく似たものだ。
そして、強い地震や噴火活動がきっかけとなって火山体の一部などが崩れる山体崩壊を起こす。
崩壊した火山体がふもとに向かって一気になだれ落ちる岩屑なだれ(がんせつなだれ)を発生する。
比較的稀な現象ではあるが、これまで多くの火山で発生している。
浅間山でも発生したと考えられている。
2万4千年ほど前の話、元の浅間山が山体崩壊を起こした。
現在の黒斑山を残して2,000m(3,000mともいわれている)ほどあった山がまるごと崩れてなくなった。
北へ流れた土砂は嬬恋村、吾妻川を経て前橋、高崎へ流れていった。
前橋県庁の下には10mもの浅間山の土砂が堆積してるそうだ。
最近では群馬大学医学部横にある「岩神飛石」はこの山体崩壊による大石が流れ着いたという説が有力だ。
血のような赤い色をした「赤石」が特徴だ。
南へ流れた土砂は軽井沢を覆いつくした後、今の新幹線佐久平駅付近まで流れていった。
このあたりの地名を取って「塚原土石流」と名づけられた。
この近くにあるのが「赤岩弁財天」。
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大きな赤石の上にお堂が出来ている、この石が浅間山の山体崩壊の際の赤石なのだそうだ。
この弁財天、説明書によれば1690年代に完成したようだ。
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お堂の入り口にもでっかい赤石。
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そして、お隣のお宅の石垣も赤石。
おまけに、さほど遠くない「飯綱神社」の階段の積み石も大きな赤石。
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五穀豊穣に商売繁盛、浅間山のすさまじい力を感じつつ恐れつつも、その力に願いを込めたのかもわかりません。
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by hanaha09 | 2015-10-23 12:16 | 田舎暮らし | Comments(0)

紅葉散歩

本日午前5時の田代「アメダス」の記録によりますと最低気温は1.2℃でありました。
寒いので9時ころまで寝てた。
天気がよいのでデジカメをもって紅葉散歩。
これは「リョウブ」の紅葉。
普通はこんなに赤くならずに茶色になってかれて落ちるのが多い。
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しばらく村道を行くと植木屋さんの圃場、「モミジ」の紅葉真っ盛り。
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どんぐりの木「コナラ」も見事に黄葉。
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今度は浅間山方面に引き返すと山の中には「ヤマウルシ」、真っ赤っか。
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山の中を掻き分けたところにも「ツタウルシ」、こんな小さいやつでも見事に紅葉。
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嬬恋村村営水道の水源地へ行き着けば、これは西洋風の「カエデ」の仲間。
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取水場に植えられた「ニシキギ」も真っ赤。
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そろそろ歩くのも疲れてくると、いつもの「モミジ」、今年は葉っぱが少し少ない。
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気持ちのよい朝の散歩でした。
昼のビールが旨かった。
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by hanaha09 | 2015-10-15 21:29 | 田舎暮らし | Comments(0)