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あるちゅはいま日記

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今年の夏は暑い

嬬恋村の浅間高原も暑い。
昼間の気温が27℃にもなった。
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扇風機もエアコンのなかった江戸での過ごし方はどうだったのだろう。
話は簡単だ、「夏のクソ暑いさかりに、汗水たらして働くなんざ野暮」という事だった。
大半の江戸人は、言わば社長兼販売員の自営業、「暑いからパァーッと休んで、秋の涼しくなった時分に一気にとりかえしゃいいや」てな事だった。
当時は生活費自体が格段に安かった、暖房、衣料費のかからない夏のひと月の生活費をなんとかしてやり過ごせばよかったのだ。
夏には用のない夜具布団を質屋へ担ぎこんだ。
また寒くなれば必ず請け出しに来る間違いない質草、質屋も喜んで金を貸し出した。
江戸町民も考えた、寒くなり請け出す金がなくなっても今度は冬にいらない蚊帳を代わりに質入した。
暑いさなかは湯屋の二階サロンでお菓子をつまんだり、本を読んだり、昼寝をしたり...それが終われば下階に降りていって入浴。
夕方になれば路地に並べられた床机で囲碁・将棋、たまには川端に出て花火見物。
とうもろこしやスイカをかじりながらのあちこち散歩。
やっと得られた休暇になけなしの蓄えをはたいて混んだ高速道路や満員の飛行機でひたすら地方や海外にと奔走する現代人には程遠い発想だ。
ただ、江戸の時代は小氷期、天明3年には浅間山の噴火で大量の火山灰が成層圏に滞留、夏にはいつもの暑さがやってこなかった、作物が採れずに飢饉もやってきた、こんな自然に翻弄される時代でもあった。
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by hanaha09 | 2015-07-31 22:15 | 田舎暮らし | Comments(0)

これはまずいぞ、オリムピックエンブレム

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先日、テレビのニュースで見てからなんとなく違和感を持っていた。
北京、リオデジャネイロのエンブレムとまったく異なるお役所的な、優等生的な、面白みのまったく感じられないものだった。
と、思えばやはり出てきた。
2チャンネルではただいま大論争。
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ベルギーとスペインを真似た大作?
これでは我ながら日本人として孔があったら入りたい。
かつては、パリの印象派絵描きたちをとりこにした歌川国貞をはじめとする浮世絵画家たち、世界中のアールヌーボー作品に大きく影響を及ぼした柔らか頭の尾形光琳らのRINPAの面々。
最近のグローバル化が日本人の感性をダメにしたのだろうか...
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by hanaha09 | 2015-07-30 19:15 | 田舎暮らし | Comments(0)

福神漬け

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グリコワンタッチカレーに福神漬け、昔から夕食の定番だ。
ラッキョウと共に真っ赤なやつを山盛りにして食べた。
ここ十年は食べた覚えがない、なつかしの味だ。
7種の下漬けした野菜類を塩抜きして細かく刻み、醤油と砂糖やみりんで作った調味液で漬けたもの。
中でもナタマメのこりこりとした感触がなかなかオツだった。
「ご飯のお供にこれさえあれば他におかずは要らない。食費がかからず金が貯まる(=家に七福神がやってきたかのような幸福感)」ということで福神漬けと名づけられたとか。
明治初頭の話である。
大正時代になり、日本郵船の欧州航路客船で、一等船客のためにカレーライスに添えられたのが福神漬け、たちまち日本中に広まったとされる。
真っ赤な福神漬けは世界に飛躍を始めた日本人の心でもあったに違いない。
近年は人口色素で染められた真っ赤なのは次第に人気が無くなった。
自然色だという茶色の福神漬けはもう一つ食欲が沸いてこない。
7月29日は福神漬けの日、七つの野菜の入った福神漬け、つまり七福神(729シチフク)の語呂あわせだ。
いつものようにまったくばかげた記念日だ。
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by hanaha09 | 2015-07-29 18:02 | 田舎暮らし | Comments(0)

ブルーベリーが熟した

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今年のブルーベリーは裏年、でも一つ摘まむとさわやかでおいしい。
ブルーベリーはテレビの健康食品通販の主役だ。
アントシアニン(色素のアントシアンの一部、アントシアニジンの配糖体)を多量に含む。
このアントシアニンは、ポリフェノールの一種、青紫色の天然色素。
ポリフェノールは、紫外線やウイルスなどの外敵から実(身)を守るために植物がつくり出した成分。
抗酸化力が非常に強い、なにやら紅葉の話と同じだ。
アントシアニンの持つ生理機能についての研究が進められるきっかけとなったのは、第二次世界大戦中に、「イギリス空軍のパイロットがブルーベリーのジャムを毎朝食べていたところ、暗い所での視力が改善し、闇夜でもはっきりと遠くの敵機が見えた、敵機撃墜に大戦果を挙げることが出来た」という話だった。
目が見える仕組みは、まず目に入ってきた映像を目の網膜に映し出す。
網膜には「ロドプシン」というたんぱく質が存在し、ロドプシンが分解されることにより発生する電気信号が脳に伝わり、「目が見える」と感じるわけだ。
分解されたロドプシンは再合成され、再び分解されてという流れを繰り返すのですが、疲れや加齢により、ロドプシンの再合成能力は低下していく。
アントシアニンは、このロドプシンの再合成を助けるため、年齢や目の疲れからくるしょぼつき・かすみ・ぼやけを予防・改善できる。
そのほかにアンチエイジング効果、整腸作用・便秘解消、尿路殺菌作用で感染症の予防、大腸がん予防まで効果がある、と健康食品の広告に。
だが、国立健康・栄養研究所の論文調査によるとブルーベリーに含まれるアントシアニンの視力改善効果は認められていないという事だ。
実は、イギリス空軍の視力改善の話は、ひそかに開発実用化された敵機探索用のレーダー装置を敵に悟られたくないためのウソ話というおちもある。
薬理作用は完全には解明されておらず、日本ではアントシアニンを薬効成分とした医薬品も認可されていない。
ただ、尿路感染症に効果があり、膀胱炎などの治療・予防に利くそうだ。
事の後、ブルーベリーを詰め込んで感染を予防するような乱暴なことは控えた方がよさそうだ。
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by hanaha09 | 2015-07-28 17:59 | 田舎暮らし | Comments(0)

女郎花が咲いた

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万葉集に、
「あきののに さきたるはなを およびをり かきかぞふれば ななくさのはな はぎのはな をばなくずばな なでしこのはな をみなへしまたふじばかま あさがほのはな」
とあるように、オミナエシは秋の七草のひとつだ。
そして、源氏物語では「女郎花」の漢字があたえられた。
「女郎花しほるゝ野辺をいづことて一夜ばかりの宿を借りけむ」
ヘシは(圧し)であり、オミナ(なよなかな美女)を圧倒するような花だというのが名前の由来の一つ。
戦国時代がおわり、新生の江戸の町には男があふれかえっていた。
もともと江戸は労働力としての男たちを集めた人口都市、その上に地方の侍が参勤交代でやってきた。
それに輪を掛けて、農家の次男、三男たちが職を求めて大挙として詰め掛けた。
その結果、さびしい男たちは夜の街に繰り出した。
湯屋(ゆうや)には「湯女風呂」が登場、夜になるときれいどころが酌をしたり、客を誘ったり。
麹町あたりには娼家数十が軒を並べ繁盛、たちまち江戸中に広がっていった。
ついに、幕府は吉原の囲いの中の遊郭のみでの売春を公認した。
決まりがなかなかおもしろい。
「遊女は囲いの外で商売をしてはならない、遊女を買って遊ぶのは1昼夜に限る、吉原の囲いの中に侍、町人風に関わらず怪しいものが徘徊していたら住所を確かめ、それでも怪しかったら奉行所に訴えることなど...」
秩序のある遊郭を目指した吉原以外は岡場所と呼ばれ、売春行為はすべて違法で取締りの対象となった。
ところが、幕府公認の遊郭だけでは江戸の男たちの需要にはこたえられなかったのだ。
犯罪や騒動を抑止するガス抜き効果も鑑み、取締役、取り締まられる者たちの持ちつもたれつの関係が続くことになった。
かくして、女郎花はますます輝く花になっていった。
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by hanaha09 | 2015-07-27 17:41 | 田舎暮らし | Comments(0)

はや紅葉

台風がやってきて、梅雨があけて、夏がやってきた。
このあたりは冷涼な気候で夏にはセミ(油セミやミンミンセミなど)が鳴かないと言われていたのだが...
今年は平気で鳴いている、暑い証拠だ。
そして、こんな紅葉も見られる。
山もみじ。
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ナナカマドの幼木。
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カクミノスノキ。
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紅葉の仕組みは...葉の中で光合成によって合成された糖分が葉脈、葉と樹の間の離層を通過して幹の師管へ供給されるが、離層を通過できなくなると葉にとどまる。
この糖分から赤色色素アントシアンが合成される。
離層が通過できないということは葉に水分も補給されない。
葉緑素は機能しなくなり葉は枯れて落ちる。
なぜ、葉は枯れて落ちるのか?
植物は根から必要なものを吸収するが、間違って吸い込んだ不要なものや老廃物を葉に蓄えておいて捨て去るのだ。
樹のおしっこだ。
夏に生じる紅葉、何らかの樹の不都合で不要物質、危険物質かもわからない成分を排出してるに違いない。
カクミノスノキの紅葉は少し違う。
紅葉と同じくアントシアンの合成の結果なのだが...
どうも、このアントシアンの赤い色素は紫外線から葉、そのものを守る働きをするのだそうだ。
紫外線が多いと葉の中に活性酸素が生じて葉の組織が壊されるのだそうだ。
1枚の葉といえどもすさまじい生き方をしてるのだ。。
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by hanaha09 | 2015-07-26 23:21 | 田舎暮らし | Comments(0)

つまごいまつり

嬬恋村の夏祭りだ。
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朝からマスのつかみ採り、中学校の運動場には焼きそばなど屋台などなど。
そして、〝真田の赤備え〟の甲冑姿で、火縄銃を持って真田鉄砲隊の登場だ。
先ず全員で同時に火縄銃に点火、発砲する「一斉射撃」。
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戦国武将、真田幸村は武器改良などの、ハイテク技術を重んじ、少数軍勢で敵を撃退する事に長けた。
火縄銃は銃口から黒色火薬と弾丸を詰め込み、火薬の勢いによって弾丸を発射する。
黒色火薬は衝撃では発火しない。
火縄につけた生火を用いる。
”口火を切る”、口火とは火縄の先についた火のことだ。
いよいよ戦闘開始との慣用句になった。
”火蓋を切る”、これも同義語。
火蓋とは火縄で着火させる黒色粉火薬の着火剤を入れておいた火皿のふたのことだ。
このふたを開けることは発射のための最初の動作。
火縄銃には、馬上から打つ小銃から大砲級の大筒まである。、
発射の際の号砲、すごい音がする。
思わずデジカメを持つ手がぶれてしまう。
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火縄銃は音で敵をびっくりさせるものなどと述べた書物があるが、なかなか殺傷能力も高かった。
演武にはもちろん弾丸はない、代わりに紙を丸めたものを用いる。
轟音の後に散らばる紙はちょっと興ざめだ。
子供たちにも優しい真田武将たちだ。
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by hanaha09 | 2015-07-25 23:23 | 田舎暮らし | Comments(0)

土用の丑の日

今年は2回もやってくる、土用丑の日だ。
7月24日、本日と次の8月5日。
実はこの「土用丑の日」、夏だけやってくるのではない、春にも秋にも冬にもやってくる。
ちょっとこれからがややこしい。
土用とは土曜日のことではない、立春、立夏、立秋、立冬の前の約18日の期間のこと。
夏でいえば、立秋(8/7あたり)の前約18日間なので7/20から8/6の間のことだ。
この間の土用のうち、12日周期でやってくる十二支の「丑の日」が、『土用丑の日』になる。
よって、18日間も土用があるので丑の日が2回やってくる年も当然出てくる。
江戸時代、旬ではない夏にうなぎが売れなくて困っていたうなぎ屋が平賀源内に相談したそうだ。b0126549_2236387.jpg
この讃岐国寒川郡志度浦(現在の香川県さぬき市志度)に生まれた源内、天才、異人と称されていた。
有名なのが「エレキテル」、蘭学に長けた技術者かと思えば実は本草学の第一人者。
蘭学者としては油絵や鉱山開発など外国の文化・技術を紹介した。
と、思えば文学者としても戯作の開祖とされ、人形浄瑠璃などに多くの作品を残し、また平賀焼などの焼き物を作成したり、多彩な分野で活躍した。
源内の肖像画からも想像できるように、妻を娶らぬ男好きでもあったそうだ。
そして、かのうなぎ屋の要請には「”本日丑の日”という張り紙を店に貼る」、と一言。
当時、「丑の日にちなんで、“う”から始まる食べ物を食べると夏負けしない」という風習があったそうなのだ。
歯磨き粉『漱石膏』の作詞作曲を手がけたり、餅の広告コピーを手がけたり、日本におけるコピーライターのはしりともいわれている。

ときは流れて、源内によって広められたうなぎは日本人によって貪欲に食べつくされ、絶滅危惧種に指定されてしまった。
年金生活者になってかれこれ7年余り、もう手の届かなくなったうなぎ。
b0126549_2243360.jpg印旛沼の脇のちっぽけなうなぎ屋の「うな重」が懐かしい。
現在のお品書きによると1人前が2520円らしい、昔の値段の2倍だ。


今日の我が家の土用の日の食卓には、うなぎではない秋刀魚の蒲焼がのっていた。
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by hanaha09 | 2015-07-24 23:04 | 田舎暮らし | Comments(0)

浅間焼けと蜀山人(しょくさんじん)

狂歌とは五・七・五・七・七の31音で構成した短歌(和歌)であり、ユーモアと反骨、洒落と滑稽、機知と頓知のつめこまれたものであった。
江戸中期、天明年間(1781-1789)頃に大流行をみた。
その第一人者が大田南畝(おおたなんぼ)、別号が四方赤良(よもあから)、蜀山人(しょくさんじん)などなど多数。b0126549_20303119.jpg
昼間はれっきとした勘定所勤務の幕府官僚、夜になれば知識人などの宴席などから引く手あまたのスーパースター。
この蜀山人、酒もほどほどに好き、あの方もなかなかお盛ん、吉原の遊女を家の近くに囲ったりしてた。
そして、詠んだ狂歌が...
「朝もよし昼もなほよし晩もよし
           その合々にちょいちょいとよし」
この大田南畝、四方赤良先生は毎晩宴会とか、その他いろんな人に招かれては話が弾んでこんな感じ、
「酒のめばいつも慈童の心にて
           七百歳もいきんとぞおもふ」
そして、ついつい帰りは夜更け。
こんな時、いちばん困るのは次の日の朝早くから仕事が待ってる奉公人たち、こんな狂歌を詠まれてしまった。
「いつ来ても 夜ふけて四方の 長ばなし
           赤良さまにも 申されもせず」
この蜀山人、大笹村の名主、黒岩長左衛門の招きで嬬恋の地を訪れたらしい。
その際に耳にしたのがこんな話。

9月(文化12年、天明3年の浅間焼け大災害から33年後)頃聞いた話だが、夏の頃信州浅間ヶ嶽辺りの農家で井戸を掘った。2丈余(約6.5メートル)も掘ったけれど、水は出ず瓦が2、3枚出てきた。こんな深い所から瓦が出る筈はないと思いながら、なお掘ると屋根が出てきた。その屋根を崩してみると、奥の居間は暗くて何も見えない。

しかし洞穴のような中に、人がいる様子なので、松明をもってきてよく見ると、年の頃5、60才の二人の人がいた。このため、二人に問いかけると彼らが言うには、

“幾年前だったか分からないが、浅間焼けの時、土蔵の中へ移ったが、6人一緒に山崩れに遭い埋もれてしまった。4人の者はそれぞれの方向へ横穴を掘ったが、ついに出られず死んでしまった。私共二人は、蔵にあった米三千俵、酒三千樽を飲み食いし、天命を全うしようと考えていたが、今日、こうして再会できたのは生涯の大きな慶びです”と。

農夫は、噴火の年から数えてみると、33年を経由していた。そこで、その頃の人を呼んで、逢わせてやると、久しぶりに、何屋の誰が蘇生したと言うことになった。

早速、代官所に連絡し、二人を引き上げようとしたが、長年地下で暮らしていたため、急に地上へ上げると、風に当たり死んでしまうかも知れないといい、だんだんに天を見せ、そろそろと引き上げるため、穴を大きくし、食物を与えたという。

この話は「浅間嶽下奇談(あさまだけしたきだん)」として蜀山人が25巻にまとめた随筆集「半日閑話」に掲載された。

蜀山人は、天明3年の大災害の碑の建立を志した黒岩長左衛門からのたっての願いで「大笹駅浅間碑」の撰文と染筆を行った。
それには..
「前略
 いにし年この災いを恐れて速にたちさりしものはからき命をたすかり
 おくれもして止まれる者はことごとく死亡せり、これより後にいたりて
 又も大きにやけ出んもはかりがたければ里人この碑をたて、後の戒めとなす事しかり
 後略」
とある。

とある日、村の古老とこの二つの話をした。
大災害を見据えた普段からの十分な備え(米三千俵、酒三千樽)と遭遇した際の心がけ(速にたちさること)、まるでこの前の東日本大震災の際に言われてたこととまるで同じだ、とお互いにうんうんとうなづいた。
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by hanaha09 | 2015-07-23 20:45 | 田舎暮らし | Comments(0)

マイズルソウに実がついた

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台風が過ぎて、雨が上がって、日差しがきつくなって、梅雨明けが発表された。
ハルザミがまったく鳴かなくなった。
夏が来た。
館林とか熊谷とか気温が38℃を超えたらしい。
ここ嬬恋村の浅間高原でも26℃を越えた。
マイズルソウに実がついた。
地球儀のような実だ。
秋が深まり、完熟するとこの実がすべて真っ赤なルビー色になる。
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ヒトが住む地球の上にも厄介なことが日常茶飯事におきる。
これがすべて解決すると透き通るように熟れた実に成る。
こんな日が来るのだろうか。
来ないのだろうね、これがヒトのなりわいかもわからない。
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by hanaha09 | 2015-07-22 23:30 | 田舎暮らし | Comments(0)