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あるちゅはいま日記

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浅間山も春?

今日は暖かかった、といっても朝佐久に出かけるときにはマイナス5℃(佐久に下ると10℃)だった。
六里ヶ原からの浅間山はもう春の陽射し。
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よく見ると大雪なのだが岩肌も見える。
地熱の影響もあるそうだ。
山の頂上から左斜面に見える川の様に見えるのが今から290年前に大噴火を起こした際に流れ出た溶岩流の跡だ。
両側に土手のように見えるのは流れの遅くなった溶岩が固まってできた土手そのものだ。
その量は1.7億m3ともいわれている、火口からこんな量のマグマが噴き出してきたとは想像を絶してしまいます。
もともと、この地域はフォッサマグナの東縁部の中央。
簡単に言うと地球表面を形成するプレートの境目だ。
割れ目ちゃんから噴き出したマグマでできたのがこの浅間山。
まだまだ若い元気な地球だ。
それなりのお付き合いが必要です。
また、明日は春の大荒れの天気になるそうだ。
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by hanaha09 | 2013-02-28 18:59 | 田舎暮らし | Comments(0)

江戸の商売

このところの円安で、ガソリンが高騰、これでは家にじっとしてるか、歩け歩けだ。
100円ショップも大変らしい、120円ショップでないとやってはいけないとか。
この100円ショップ、今や世界で大流行、28か国に進出を果たしているそうだ。
タイ王国にもあちこちにあった、100円ではなく確か60バーツ(当時で200円ほど)均一価格。
しゃもじとか割り箸を買うのに便利だった。
100円ショップの日本での元祖は江戸時代にあったらしい。
享保八、九年(1723、1724年)にできたという十九文均一店である。
十九文均一店では木櫛、三つ櫛、離し櫛など女性物の小間物類を掛け値なしの現金販売、その他に小刀、はさみ、糸類、将棋の駒、三味線道具、鼻紙入れ、緒締(おじめ)、盃、塗り物、煙管、剃刀、人形、墨、筆など日用品から趣味のものまで様々、ただちに江戸中に広まった。
二八蕎麦が16文、ちょうど蕎麦一杯分の均一価格だ。
いろんな商品の安値安定供給の裏には武士の内職が貢献していたのかもわからない。
同じ時代に松阪の商人、三井高利が江戸日本橋に「三井越後屋呉服店」を開業。
狭い店であったが、店頭にたくさんの商品を並べて現金販売を原則とし、大衆相手の多売薄利の革命的な商売をはじめた。
従来の商法は各家庭に持ち込まれた見本の中から商品を選び、後から商品が届けられるというシステムだった。
店頭に足を運ぶ必要があるが、店には多くの品物が並び、しかも値段は安いとあって江戸中に大人気となった。
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現代に続く三越百貨店だ。
大江戸時代の商人もすごいものだ。
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by hanaha09 | 2013-02-27 11:17 | 田舎暮らし | Comments(0)

江戸の旅

幕府による封建体制が確立して平和な時代を迎えた。
これは世界史上でも珍しい長期にわたるいたって平穏な時代だったそうだ。
そして、元禄時代を境に農業技術の発展とともに農民たちの生活にはゆとりさえできてきた。
また町人や商人達も経済の発達によりますます豊かなものとなった。
庶民の中には日常生活から抜け出した開放感を得ようと考えた、まだ見ぬよそを訪ねる旅行だ。
大ブレークしたのがお伊勢参りだった。
当時の領主たちも信仰のための参詣旅となればダメダメというわけにもいかず寛容に扱われた。
幕府によって街道筋、宿場町が整備され交通環境が整った。
各地に関所も設置され街道筋の安全も確保された。
金貨、銀貨の流通も大きな要因になった、重い低額の銅銭を大量に持ち歩くことも無くなった。
各宿場で少額貨幣に両替ができた(いまでも路銀と呼ばれる所以だ)、後期には為替を用いることも可能になっていたとか。
庶民には「講」なる相互扶助的な集まりができ、たくわえの無い者にも旅に出るチャンスができた。
江戸からは習わしで日本橋が各地に向かう街道の出発点となった。
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「お江戸日本橋七つ発ち...」、七つ刻とは朝の4時ころ。
江戸時代の人たちはなかなかの健脚、朝早くから一日に40kmほども歩いたとか。
旅人達はせっかくの機会と旅先の名所旧跡見学、芝居鑑賞、地域の名物料理を楽しんだ。
中には宿場町で「飯盛り女」につかまり路銀を使い果たすものもいた。
参詣目的を果たすことなく隠れるように村に帰らざるを得なかった輩だ。
一説には数百万人にも上る民衆がお伊勢さん、また善光寺などへとお参りの旅を続けたといわれている。

しばらくぶりに山の中から下りて行って見た太平洋。
まるで江戸庶民の気持ちでしたね。
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by hanaha09 | 2013-02-26 19:35 | 田舎暮らし | Comments(0)

隣町の温泉へ行った

寒波襲来で気温はまだまだ低いのだが...
薪を運んでて腰が痛くなった。
天気がよくなったので、久しぶりに六合村(今は中之条町)の温泉まで出かけることにした。
十数年前に入った事のある応徳温泉。
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ちょっと硫黄を含むかけ流し温泉だ。
湯には黒い湯の華が浮かぶ、ついでに白い浮遊物も見えた。
湯加減は草津の湯みたいに熱くない、のんびりと1時間ほど浸かっていた。
誰もいないので入湯料400円で独り占め。
腰もほどほどに良くなった。
出てくると階段の横には「福寿草」。
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もうすぐ春ですね。
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by hanaha09 | 2013-02-25 17:29 | 田舎暮らし | Comments(0)

嬬恋村は吹雪

昨日の大洗近辺はもう春。
気温は10℃を超え、車の中は冷房が必要。
川の土手には野生の「カラシナ」が黄色い花を咲かせてました。
ついでにPM2.5に杉花粉に...空はスモッグ模様、目がしょぼしょぼしてきましたね。
そして、帰ってきた今日嬬恋村は猛吹雪、気温は-9.5℃。
と、いっても部屋の中は大洗の宿よりあったかい。
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今日は今冬最大の寒波の到来らしい。
スモッグではない吹雪の景色だ。
青森県の酸ヶ湯温泉では600cmの積雪になるかもと。
この辺でも積雪量は100cmくらいになってるところもある。
と、思えば来週に入ると春一番が期待できるらしい。
杉花粉も一挙に飛び始める可能性もあるとか。
嬬恋村に帰ると目のしょぼしょぼもすっかり消えた。
吹雪はあるがスモッグもない、信号待ちも交通渋滞もない。
もうすっかり山のヒトになってしまいました。
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by hanaha09 | 2013-02-24 12:48 | 田舎暮らし | Comments(0)

香取神宮

旅の最後は伊能忠孝の故郷の佐原ノ近く、香取神宮にお参りをして帰えりました。
下総国一宮、旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社という位置づけ。
昔々は〇〇神宮と名がつけられたのは、伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮だけだ。
金曜日の日だったけど、お参りの人が次から次へと。
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重要文化財の本殿の大屋根修理がはじまっており、寄進受付一千円なり、となってましたがお賽銭だけで勘弁していただきました。
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お賽銭箱にはおおそれおくも菊の御紋が。
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あと、すごいのがご神木。
樹齢1千余年といわれる大杉であります。
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家族安全無病息災をお願いしましたがお賽銭はたりたかな...
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by hanaha09 | 2013-02-23 19:03 | 田舎暮らし | Comments(0)

那珂湊の魚市場

那珂湊のアンコウ鍋民宿に泊まった。
夕食に食べたのはこんなやつ。
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鍋は柚子入りの味噌仕立てでとてもおいしかった。
鍋に残っただしでの雑炊がこれまた顎が落ちるぐらいのおいしさ。
地魚(名前は忘れた、ホウボウもみたいな魚)の刺身もおいしかった。
しばらくぶりに食べる活魚にビール、もうたまりませーん。
魚市場にはほかにもこんな魚がいっぱい。
ヒラメ、アイナメ、アワビ、ハマグリにアサリ...みんな買って帰りたかったんですが先立つものが心配でやめました。
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by hanaha09 | 2013-02-22 18:28 | 田舎暮らし | Comments(0)

太平洋を見た

1年半ぶりに山の中を下りてきた。
朝早く嬬恋村を出て一般道路をしこしこ走ってきた。
高崎から館林を通って笠間、そこから水戸を通って大洗海岸までやってきた。
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高速道路を通らないのであちこち迷い迷い...
太平洋の海岸にたどり着いた時には夕日。
海岸の夕日はこんなにまぶしかったのか。
途中の笠間では人間国宝松井康生の練り込み技法もじっくりと見ることができた。
自家醸造ビールをいただくマグカップも買った。
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残念ながらカメラとパソコンを接続するケーブルを忘れてきた。
写真は家に帰ってからアップするしかない。
お粗末結果となってしまいました。
おわり。
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by hanaha09 | 2013-02-21 18:37 | 田舎暮らし | Comments(0)

幕府天領地

嬬恋村を中心とする浅間山麓一帯は幕府天領地であった。
地方の天領などで年貢の徴収や知行地の石高管理のなどのお役目をいただいた武士がお代官さまだった。
「越後屋殿、お主も悪よのぉ」
「いえいえ、お代官さまほどでは…」
「ガッハッハ」
こんな幻のお菓子もある。
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悪代官が悪の代名詞として有名なのだが...
お代官さまは担当地域で相当な権限が付与されたけれど、実際には、150俵(今でいうと年収600万円程度)のかなり貧しいお侍さんだったようだ。
年貢を収める時期になると、当時の農民は、代官所で、舛(ます)で米を計って米を収めた。
このとき、舛(ます)からこぼれた米は、お百姓さんが持ち帰っていいってことになっていた、お目こぼしだ。
おめこぼしが多くても文句を言わないお代官さまが“良いお代官さま”。
反対に、お目こぼしを認めないでしっかり舛(ます)の通りに年貢を徴収するお代官さまは、、「今度のお代官さまは、ひでえ奴だ。悪代官だ」ということになったのだ。
お代官は、くまなく領内をまわり、田畑の石高を調査してまわり、これを帳面につける。
すべての田畑に、上中下と区別をつけて、その収穫予測高を事前に掌握する。
このとき、実際には収穫高の多い上田でありながら、中田として登録してくれたりする。
すると年貢高もすこしになる、これもおめこぼしで、「良いお代官さま」になるのだ。
悪代官は、実はまじめすぎる貧乏武士だったのだ。
鎌原村の天明3年の大土石流災害の普及にあたっても年貢のたねの天領地だけに手厚い保護がなされたといわれる。
そして天領地の農民たちは年貢計算でごまかされ無いように読み書き、算術に長けていたそうだ。
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by hanaha09 | 2013-02-20 21:03 | 田舎暮らし | Comments(0)

サラリーマン川柳

今年も恒例のサラリーマン川柳秀作がノミネートされました。
4月には投票にてベスト10が発表されます。
まず一句。
"受験生 神もお手上げ 絵馬の誤字"
佐久の新海神社に奉納された絵馬の中にもあります、あります。
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奉納された方の名誉にも関わりますので拡大はいたしません。
いろんな願い事を頼まれる神様も困ったものです。
日本人の識字率は99.8%といわれている。
江戸時代後期の識字率は武士階級は100%、庶民階級でも49~54%だったとか。
寺子屋で培われた高い識字率が明治期の発展につながったとされている。
現代の寺子屋復活が必要なんでしょうかね。
別の川柳、もう一句。
"タニタより 我が家の食事 低カロリー"
身につまされる一句であります。
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by hanaha09 | 2013-02-19 19:29 | 田舎暮らし | Comments(0)