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あるちゅはいま日記

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今年はうるう年

今日は2月29日のうるう年、漢字で書くと閏年。
太陽を1回まわる日にちが365.24日、この調整をするための余分の一日。
そういえば今年はオリンピックの年。
実はオリンピックの年がうるう年とは限らない。
明治の法令で、神武天皇即位紀元年数(いわゆる皇紀で、西暦に660を加えた数。)が4で割りきれ、その中で100で割り切れる年は平年、しかし400で割りきれる年はうるう年とした。
今後しばらくは4年ごとにうるう年がやってくるが、西暦2100年は平年になる。
2月29日生まれの人は4年に1回しか年をとらないかというとそうでもない。
「年齢計算ニ関スル法律」によれば平年には2月28日24時で1歳の加算、お誕生日は3月1日になるそうだ。
道路交通法によれば2月29日生まれの人は平年に更新すれば2月28日生まれの人と同じ扱いになるそうだ。免許の有効期間が一日損するわけである。
コンビニ、航空会社などなど閏年にはいつもの2月より売り上げが伸びるのでにこにこ顔。
コンピューターの世界では時々プログラムミスが出る。
2月29日は無いと、工場の装置が全部止まってしまったこともあるそうだ。
考え込まないと理解不可能なこの宣伝。
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"4年に一度、閏年には肉(29)食べ放題に福(29)袋のお土産付き"だそうです。
2月を除けば毎月29日はやってくるんですが...
もう一度寝よーっと。
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by hanaha09 | 2012-02-29 09:00 | 田舎暮らし | Comments(0)

電気代が上がる

今朝は放射冷却効果も合わせ今冬最低気温-16.0℃を記録した。
空は快晴。
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話がころっと変わって...
4月には電気代が自動的に上がるらしい。
がんばってる節電効果が削減される。
燃料費の増加、ソーラー発電買い取り費の増加が理由。
だがだが、待ってください。
この辺にはTEPCO水力発電所がいくつか、燃料費は要らないはずですが?
ソーラー発電なんてどこの家にもついてません。
そして、あちこちの原発は操業停止、燃料棒取り換えの際に必要な核燃料税はもう払わなくても良い?
粉々になった福島第一原発はすでに建物ではない、固定資産税はもう要らない?
近隣町村への協力費用、役場もどこかへ移ったので必要ない?
今回の事故で原発の損害保険契約は打ち切り、保険料の支払いはもうない?
経費減少要因はいろいろあるとおもうのに...
おまけに発電所から飛び散った放射性物質は「無主物」で一切関知しないとか。
発電所を出て電線の端から電位差で勝手に流れてくる電気も「無主物」か?

「価格.com」には一番安い電気はどこの電力会社と、出てこない。
東京電力の電線、ひもつきなのだ。
と、ぶつぶつぶつ...

煮炊きはかまどに火鉢に練炭に、風呂はドラム缶に焚火、夜は菜種油の行燈かろうそく、パソコンは無し。
山のなかといえどもそこまではちょっとつらいんだなぁ。
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by hanaha09 | 2012-02-28 17:52 | 田舎暮らし | Comments(0)

えのき氷その後

えのきたけ全国一の生産量を誇る信州JA中野市の理事長さんが考案したといわれる「えのき氷」。
ただいま人気絶頂のようだ。
小諸市のスーパーを覗くと冷凍食品売り場には「品切れ」の札。
どうも、「ためしてがってん」とか「はなまるまーけっと」とかの宣伝効果がいきわたったみたい。
我が家でも試してもう1カ月とちょっと。
残念ながら効果のほどは見えてこない、体重は増えも減りもしてません。
また、だまされた。
今までのえのきたけの消費量はぜんぶで10袋、たぶんもっともっと買わなきゃご利益はむつかしい...と言われそう。
しかし、おくさまには評判が高い。
味噌汁はなんだかこくが出てきておいしい。
鍋にも入れても結構おいしい。
魚の煮物にも良い。
と、いうことで今回は一ひねり。
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スピードカッターでつぶしたえのきに「いりこ」の粉末をまぜこんだ。
ついでに味の素とみりんも放り込んだ。
あとは製氷皿に入れて外へ放りだしておいた。
冷え込んだ今朝にはかちこち、省エネルギー製造法だ。
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これで鍋の湯に2,3個放り込めばダシをとる必要はない、キノコキトサン健康味噌汁だ。
なんだか武田信玄の兵糧係の様な気分になってきましたね。
実用新案が登録される前にお試しあれ。
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by hanaha09 | 2012-02-27 12:00 | 田舎暮らし | Comments(0)

今日も雪でつまらぬ大江戸物語

平成24年2月最後の日曜日も雪。
ちょっと気温も下がってきた、マイナスの5℃。
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暇なのでまたまた「大江戸雑学事典」をひもといた。
本日も大江戸エコリサイクル物語。
幕末の1865年、シュリーマンという実業家が日本にやってきた。
トロイの遺跡を発掘したというこのドイツ人が日本旅行記を残している。
その旅行記の中で彼は
「スカーフやハンカチーフではない。日本人は洟 ( はな ) をかむための和紙〔懐紙〕を持ち歩いている。 日本人ははわれわれが洟をかんだ同じハンカチーフを何日も持ち歩いているのに、ぞっとしているのだ。」
また、「日本には布の手ふきはない。紙は樹皮で作られ、吸取紙(懐紙のこと)は使用後洗うことができるほど耐久性をもっている。」
大江戸では紙は庶民の生活の隅々にまで行き渡り、また使用済みの紙を回収する専門の業者もちゃんといたのだ。
回収された紙、手紙や文書などはふすまの下張りにも再利用された。
古文書がふすまの下からあらわれる所以である。
懐紙などは、今と同じように溶かされ、新しい紙によみがえった。
再生された紙はねずみ色の紙だった。
大江戸では 「浅草紙」、京では 「西桐院紙」、大坂では 「港紙」 という名で売られていた。
もっぱら用を足した後始末の紙として使われた。
びっくりしますね、江戸時代のはなしです。
そしてこの幕末期、日本からヨーロッパに大量に陶磁器が輸出された。
当時の浮世絵は今の夕刊「フジ」の様なもの。
大江戸町民はお楽しみの後は放り捨てた。
強靭な和紙で出来た浮世絵は回収され、陶磁器を包む緩衝材として利用されたのだ。
到着した荷物を開けたヨーロッパの人々、このしわしわの緩衝材を広げて見てはニヤニヤ。
印象派の大画家モネまで自分の家の階段に大切に飾った。
ヨーロッパに一大ジャポニズム旋風を巻き起こした立役者はなんと大江戸の古紙回収業者だったのだ。
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by hanaha09 | 2012-02-26 17:33 | 田舎暮らし | Comments(0)

雪の日は川屋の話でも

昨日と一転、雪模様となった。
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もう春の雪でべたべた、気温は0℃。
車の前の雪をどかしたが汗がたっぷりと出てきましたね。
終われば雪がちらつく中、することがないので「厠物語」でも。

厠の語源は川屋。
縄文時代には川岸に杭を打って板を渡して用をたした。
飛鳥時代には川を建物内にひきこみ用をたすようになった。
厠の語源はここから出てきた。
奈良の平城京では都大路の側溝から引き込んだ。
人口が増え側溝に戻された用済みの水と捨てられた塵がたまりたまって平安京遷都計画の大きな引き金になったとか。
そのせいか、平安時代に厠は消え去った。
その代わりに登場したのがおまる、「樋筥(ひのはこ)」であった。
十二単では裾が乱れて用をたすのは大変と工夫されたのが「樋筥(ひのはこ)」の背中側に作られた上に丸い棒がついた板。
これに装束の裾をかけて無事に用をたせたのだ。
その名を「衣掛け」、現代に伝わる「金隠し」の原型とか。
時代は江戸に入りその価値は急上昇した。
大江戸は関東一円の作物の下肥え供給基地となった。
青々と実った野菜、くだものは大江戸町民に届けられた。
葛西からやってきた葛西船が江戸城、長屋から買い集め川を登ったり、下ったり。
江戸城からのお下がりを積んだ葛西船にはすべての船が水路を譲ったそうだ。
まことにエコなリサイクルシステムが成り立ったのも、輸送のための漏れ散ることの無い軽量頑丈な桶それに緻密な木造造船技術、日本人の匠の技の賜物だ。
その頃のパリ、ロンドン。
肥料に利用をしなかったヨーロッパ人は後始末に困ってしまった。
街中の3階建て、4階建ての住民たちは面倒くさいのでもっぱら「おまる」を利用した。
闇夜を見測り窓から投げ落とす、これではたまったものでない。
ご婦人のハイヒールは大通りの糞尿を踏みつけないためのアイデア。
殿方のマントは上から落ちてくる「おまる」の中身から身を守るもの。
ベルサイユ宮殿にトイレがないのも有名な話。
大舞踏会の翌日の庭掃除はまことに大変なものであったらしい。

こんなことで雪の一日が暮れてしまいました。
外国人誰もが驚きの声をあげるといわれる日本のトイレシステム。
やはり、歴史が物語っています。
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by hanaha09 | 2012-02-25 18:43 | 田舎暮らし | Comments(0)

春の陽気

この前からの寒さは何だったんだろう。
と、思わせるような穏やかな暖かい一日になりました。
散歩に出かけると汗が出る。
空もうっすらとかすんで春の雰囲気。
煙の多かった浅間山もすっかりおとなしくなってます。
雪解け水も陽に輝きとうとうと流れ出ています。
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かすんだような青空に四阿山も雪がぎらぎらと輝いてます。
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外でコーヒーを飲んでるとうとうと...
こんな陽気になればちょっと困ったことが。
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家の周りにこんな水たまりができてしまうんです。
この辺の土は浅間山から流れてきた火山砂。
水はどんどん浸透するので雨水はそのまま、溝はありません。
ところが今頃は土壌がまだ凍結したまま。
で、雪・氷の表面で融けた水は地中に浸み込まず凍土の上にたまってしまうわけです。
これで雨でも降ってくると床下浸水にぎりぎりまで。
しかもこの状態で気温が下がり凍ってしまえば、アイススケート場。
下界では想像もできなかった自然現象です。
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by hanaha09 | 2012-02-24 14:06 | 田舎暮らし | Comments(0)

噴火予知のこころみ

20世紀初頭には浅間山は噴火を繰り返していた。
明治の地震・火山の草分け研究者であった大森房吉博士、浅間山で地震の観測を始めたのが今から100年前。
浅間山のふもとに自ら開発した地震計を設置、山中から伝わるマグマの動きを探ってきた。
昭和に入り地元経済界の後押しもあり東京帝国大学地震研究所の付属施設として峰の茶屋に浅間火山観測所が設けられた。
火山噴火予知最前線として活躍し続けてきたのだ。
峰の茶屋、小浅間山登山口にあるおなじみの建物。
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日本有数の地震・火山学者が集い築き上げた成果が実ったのが2009年2月1日13:00にだされた噴火警戒情報。
研究者たちは火道を上昇するマグマの振動、GPSによる地殻のわずかな変動、そして山腹に設置された傾斜計による浅間山火口付近のふくらみ..を見過ごすことはなかった。
2月2日午前2時前に鳴動、空振とともに小爆発(水蒸気爆発)を起こした。
実は、この時に予想されたのはもう少し大規模なマグマ噴火であった。
しかしマグマは火口の途中でふんつまり、水蒸気、火山ガスだけが噴出した爆発であった。
「浅間山の火口の内部、火道のマグマの様子を一目みることができれば...」じくじたる思いが火山学者の心の中に残った。
その実現を目指して東京大学地震研究所により、宇宙線由来のミューオン(素粒子の一種)を用いて火山の内部構造を画像化しようとする試みがミューオトモグラフィーだ。
10年にもわたる研究を積み重ねついにとらえた浅間山のレントゲン映像だ。
TV番組「ガリレオチャンネル」からの画像です。
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密度の大きいマグマがオレンジ色の火道部分を上昇してくるのをこれでとらえることが出来るのだ。
こんなの見るともうおったまげます。
ただ、もう少し下部の火道の様子を観測するには受像機を山中深く埋め込まなければならないこと。
撮像装置の高感度化で受像時間を短縮することが課題だそうだ。
浅間山山麓住人にとっては思わず拍手したくなるとっても心強い研究です。

福島第一原発もこのミューオトモグラフィーを利用すれば核燃料棒のありかは一目瞭然なのでは、と素人の発想。
ちなみにこのTV番組のスポンサーはかのTEPCOでありました。
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by hanaha09 | 2012-02-23 15:33 | 田舎暮らし | Comments(0)

岩村田の酒蔵

中山道、碓氷峠を越えて軽井沢宿、追分宿...を通って佐久の岩村田宿に至る。
岩村田藩の城下町でお固いところが旅人には人気がなかったそうだ。
往来のお殿様もお寺さん泊まり。
承応二年(1653年)、こんな宿場町に駿河の国からやってきた初代戸塚平右衛門。
駿河で覚えたどぶろく作りを始めたところ宿場で評判になった。
余分の年貢米を利用した百姓酒蔵に始まり今や400年にもわたる老舗酒蔵。
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そして、天明3年(1783年)浅間山の大爆発で大量の火山灰が成層圏までまき散らされた。
日照不足と低温続きで農作物は全滅、国をも揺るがす一揆騒動も持ち上がった。
中仙道を軽井沢から高崎に至る途中の磯部宿、中仙道碓氷峠は降灰で閉ざされ物資輸送を担う馬引きの収入も閉ざされてしまった。
米は収穫がかなわず、唯一信州佐久地方から運ばれる米は穀屋に買い占められて高騰を続けた。
「此の節至って米価高値に相成り、末々の者難儀至極に付き、下仁田、本宿両村の穀屋(米屋)を打潰し、続いて信州穀物囲い置き処(御蔵)の富人、並びに買置きの者共を打ち潰し米価豊かに仕るべく候以上」
600人とも800人ともいわれた農民たちがときの声をあげた。
世直し一揆というよりも切羽詰った騒動でもあった。
暴徒と化した群集はむしろ旗を掲げ、ほら貝を吹き鳴らし横川の関所を破って、軽井沢を抜け上田の街まで、商人の館に押し込み、米蔵を打ちこわして狼藉を繰り返した。
信州佐久の岩村田宿では酒蔵も襲われ、大通りで酒桶から茶碗で酒を酌み交わしたとか。
どうもこの一揆騒動に出てくる酒蔵がここのようだ。
店頭には歴代総理大臣の「国酒」の揮毫色紙。
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日本酒を「国酒」と呼ぼうと決めたのは30年前の大平内閣。
忘れ去られたような「国酒」、今どきになって各国の在外公館主催パーティでの乾杯を日本酒ですることに決めたそうだ。
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by hanaha09 | 2012-02-22 22:32 | 田舎暮らし | Comments(0)

嬬恋米

日本のチベットと言われていた嬬恋には水田はほとんどない。
昔から川原湯(話題の八ヶ場ダムの付近)から西、つまり嬬恋村の米は食べられない、と言われていたそうだ。
まずは寒くてイネが育たない。
水は豊富だが、湧水は冷たくイネには不向き。
じゃがいも、キャベツ、穀類ではアワ、ヒエの栽培が中心であった。
では、コメは食べなかったのか、というとそうでもなさそう。
中世以降、嬬恋村の大笹、鎌原集落は信州街道の宿場町としての機能を果たしてきた。
北国街道の裏街道として北部信州、加賀、また越後から江戸への年貢米輸送の拠点でもあったのだ。
村人たちはこの地域の特産であった硫黄、炭、その他の山々の産物との交換がなされていたようだ。
今でも水田はほんの一部の地域でしか見当たらない。
今年は農協スーパーで嬬恋村産のお米を売り出していた。
「嬬恋コシヒカリ」と「嬬恋ヒトメボレ」、10kgの紙袋を買ってみた。
食べてみると、なかなかおいしい。
値段も手ごろ。
米粒が大きくて、お米の甘みがする。
このあたりの人は昔からコメどころのお米の味を知っていた?
と、いうことであらためて農協スーパーで玄米30kgの袋を3袋も仕入れた。
精米はコイン精米所があちこちにあるので問題なし。
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これだけあれば秋まで飢え死にすることはない。
ただ、ひとつだけ難点が...
お米の中に石が混ざってる。
この辺の米はすべて天日干し、農協に乾燥設備、その他の処理設備がない。
ご飯を炊く前には眼を凝らして取り除かなければなりません。
昔のことを思えばどうということはないんですがちょっと贅沢な悩みです。
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by hanaha09 | 2012-02-21 10:58 | 田舎暮らし | Comments(0)

氷の結晶

浅間山麓を南から北へ走り抜ける有料道路、鬼押しハイウエイ。
標高が1400mの地点に料金所がある。
風の吹きぬけるブースにおじさんがいて料金を支払う。
わたし:「冷え込みますね」
おじさん:「うん、寒い寒い。いま何度と思う?」
わたし:「-10.5℃。(最近の車には温度計がついているのだ)」
おじさん:「ぴんぽーん、あたりー。気をつけていってらっしゃーい。」
ここのおじさんとの会話です。

このところ朝起きると無風で快晴で冷え込む。
最低気温が-15℃を記録してました。
車のセンターピラーの部分に氷霜がくっついていました。
「雪印」のようなみごとな六角形の結晶が見られました。
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氷の結晶はなぜ六角形に成長するのか?
こたえは簡単、水の分子が凍ると六角形に規則正しく配列するからだ。
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じゃ、なぜこの六角形の結晶が成長してゆくのか?
これも簡単だ。
水が凍るには氷点下の温度、氷のもとになる核、そして水分が必要。
霜ができるには空気中の過飽和になった水分、これが六角形の先端出っ張り部分に集中的に流れ込み凍って結晶を成長させる。
空気中の水分過飽和度が大きいと急速に樹枝状に成長する、霜羊歯と呼ばれる。
過飽和度が小さいと六角形を維持しながらゆっくりと成長する。
気温、水分過飽和度によって形成される結晶の構造は「中谷ダイアグラム」によればこのようになるそうだ。
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けさほどの結晶の様子からは水分の過飽和度はほぼ飽和、気温は-15℃前後とみられます。
光輝く氷の結晶には生い立ちのメッセージが込められてるわけです。
このメッセージを読み解いてあげるのも自然とともに生きる我々の役目でもあります。
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by hanaha09 | 2012-02-20 15:07 | 田舎暮らし | Comments(0)