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あるちゅはいま日記

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フェスティバル次の日

さすが「寒」、今朝の最低気温は-16.0℃を記録してました。
確か作冬の最低とタイ記録。
昨日も結構寒かったんですが、がんばってフェスティバルのスノーシューツアーに参加してきました。
受付は冬季閉鎖中のゴルフ倶楽部入り口。
玄関のたたずまいはまるで廃墟、屋根の端っこには車の荷台がぶっつかた跡。
春の開業までに直るんかいな?
スノーシューのコースはなんとゴルフコース、18番ホールから。
さくさくの新雪にはウサギ、キツネの足跡だけ、気分爽快です。
参加者のおかあさん、自分のつけた足跡を見て、「せっかくの新雪、なんだか悪いね...」。
おねえさんは「せっかくのパウダースノー、思いっきり足跡つけていこ!」
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このゴルフ場、へたくそはボールが無くなるなんて聞いてましたが...
この11番ホールもかなり狭まそう。
右の白樺の向こうはがけっぷち、思い切り打ち込みそうですね。

一番ホールでは子供たちがスノーラフティングやら傾斜を利用したそり遊びやら。
ゴルフ場も考えればいろいろ利用方法があるものです。
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by hanaha09 | 2011-01-31 10:33 | 田舎暮らし | Comments(0)

ウインターフェスティバル

北軽井沢地区の冬は閑散としています。
お店で開いているのはコンビニ、ガソリンスタンド、郵便局くらい。
瀟洒なレストラン、おしゃれなカフェ、人気の蕎麦屋さんは店を休んで避寒を決め込んでいます。
そして、「冬住みの里」を持たない気の毒な人はじっと凍える寒さに耐えてしのびます。
こんな北軽地区の冬を元気つけようと開かれるのが浅間高原ウインターフェスティバルです。
この週末に3日にわたり開かれました。
夜のイベントに出掛けてまいりました。
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雪の舞台、雪像、氷のキャンドルスタンド...すべて手作りです。
そのほかにも太鼓の出し物、若者向けのバンド、鹿沢温泉足湯、地の食べもの。
バンコックでも話題になってた人気のアイスバー、これも池の自然氷を切り取ってきた手作り。
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花火があがると、周り一面の雪であたりがぱっと明るくなります。
元気がいっぱい湧き上がるような歓声が上がりました。
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昨夜の話です。
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by hanaha09 | 2011-01-30 20:38 | 田舎暮らし | Comments(0)

TEPCO熊川発電所

先般訪れた熊川水系群馬県営狩宿発電所の下流に東京電力の2ヶ所の発電所があります。
たどり着く道は狭くて凍結、おまけに山側には側溝、谷側は急ながけでガードレールもありません。
ちょっと季節を間違えましたね。
まずは熊川第一発電所。
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1922年(大正11年)完成、最大出力2,400kw、水量2.23m3/s。

そしてその上流の熊川第二発電所、積雪で道路を下って行けません。
熊の足跡らしきものもてんてんと続いてます。
新聞ネタになるのも嫌なのでこの辺で止めときました。
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1923年(大正12年)完成、最大出力1,600kw、水量2.23m3/s。
熊川電気会社によって建設が始まったが完成を待たずに東京電燈へ、その後は東京電力。
この二つの発電所はもともと横川ー軽井沢間の碓氷線電化向けに建設が計画されたとのこと。
50サイクル、60サイクル共用の発電機が設置された。
ということは当時の碓氷線向けの電力源は関西仕様の60サイクルであったようで特別設計を必要としたようだ。

碓氷線の電化は1911年(明治44年)に始まり、横川には国鉄自営の石炭火力発電所が建設されていた。
ボイラー8基からなる出力3000kwの当時としてはまさに巨大火力発電所です。
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ところが1927年(昭和2年)には東京電力よりの買電に変更され、1929年(昭和4年)には閉鎖されたそうだ。
短命の原因は劣悪な石炭品質にあり急増する列車、電力需要に対応が出来なかったらしい。
こんなのが今でも残ってたら世界遺産認定間違いなし、残念です。
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by hanaha09 | 2011-01-29 17:19 | 田舎暮らし | Comments(0)

シメがやってきた

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この鳥は「シー」と鳴くそうだ。
「メ」とは鳥を意味する接尾語であった。
よって「シメ」と名づけられた。
万葉集にも「比米(ヒメ)」として出てくるそうで奈良時代からの話です。
残念ながら泣き声をまだ聞いたことがありませんのでなんとも言えません。

昨年はつがいでやってきてましたが今年はオス一羽です。
野鳥たちにもえさの食べ方にそれぞれ癖がありまして...シジュウガラ、コガラ、ヤマガラはひまわりの餌をえさ台からちょいとつまんで離れたところの木の枝へ飛び去ってゆきます。
そこで種をくちばしでつついては二つに割って中身を取り出します。
食べた後にはまたえさ台に飛んできます。
えさ台には一羽づつ、混んでれば近くの木の枝に止まって順番を待っています。
このシメは近くの木の枝でしばらく様子をうかがいます。
そのうちによっこらしょとえさ台にやってきては居座ります。
えさ台で落ち着き払ってひまわりの殻をがりがりと細かく噛み砕いて割って食べます。
そのうちにコガラたちがいい加減にしろとやってきます。
そういえば飲み屋でもきゅーっと引っ掛けてはさっと出ていく人、いつまででもちびりちびりと飲みながら居座る人。
人それぞれ、鳥もそれぞれ、おもしろいですね。
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by hanaha09 | 2011-01-28 15:24 | 田舎暮らし | Comments(0)

いのししが出た

長野原の大津、国道145号線から草津温泉方面へ向かう分岐点。
ここにはスーパーがあって駐車場があって車も人も結構出入りがあります。
国道の向こうの民家の庭になんだかごそごそ、白昼どうどうといのししが出てまいりましたよ。
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いのししは夜に出てくると思われてますがもともとは昼行性だそうです。
昼間は人間が怖いだけのようです。
縄文時代や弥生時代の遺跡から魚や貝に混じっていのししの骨も出てくるそうです。
「イ」の一番に美味しい肉「シシ」であったらしい。
古墳時代に入ると食用として飼育までされたようです。
江戸時代に入っても殺生禁断の令にもかかわらず「山くじら」と称して食べ続けたとか。
「しし食った報(ムク)い」なんてことも言われてましたが「しし食って温(ヌク)い」が本音。
この前にはいただきもののしし肉をすきやきでいただきました。
ちょっと獣らしくってなかなか美味で温もりました。
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by hanaha09 | 2011-01-27 14:21 | 田舎暮らし | Comments(0)

曹洞宗雲林禅寺

このところ長野原の散策が続きます。
なぜかといえば答えは簡単、おくさまが週一で出掛けるためであります。
先般の長野原町役場のすぐお隣が雲林寺、なんと明治の時代には役場の事務所に使われてたこともあるらしい。
弘長3年(1263年)に白砂川を少し北上した場所で臨済宗雲林寺として創建され300年にわたり非常に栄えていた。
しかし、大火で消失。
永禄2年(1559)に曹洞宗大洞山雲林寺となり現在地に移転、再建。
吾妻川の北岸高台にあります。
この雲林寺にも天明の浅間やけによる大泥流が押し寄せ、柱2本を残して流されてしまったそうだ。
こんな高台まで、と思われます。
大泥流は吾妻川を堰き止め巨大な水溜りとなり、これが一挙に崩れ去ってより大きな泥流になったと考えられている。
おとなりの長野原町役場前の下水道工事の際にどこからか流されてきた石碑が出土されています。
出土場所は現在の吾妻川水面よりは少なくとも20mほど高い位置になります。
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村人たちの犠牲も多大なものであった。
人口の半分に当たる200名もの犠牲者、71軒の家屋流失、田畑の8割が被害にあったそうだ。
この雲林寺も1813年には村人立ちの協力で再建され、石地蔵も建立され犠牲者の供養もされている。
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本堂は山門からまだ階段を上がったところに在ります。
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学ぶにつけなんとも大変な災害だったようです。
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by hanaha09 | 2011-01-26 21:57 | 田舎暮らし | Comments(0)

群馬県営狩宿発電所

発電所めぐりの続きです。
吾妻川水系には東京電力の他、群馬県営発電所が9ヶ所。
吾妻川の支流熊川の最上流位置になる狩宿第一(完成平成8年)、第二発電所(完成平成16年)が設けられています。
群馬県は県営発電事業が大規模に実施されています。
豊かな水系には常に影が伴うもので、カスリーン台風による大被害に見られるように治水が県としての最大の要件。
多大な治水投資をまかなうための発電事業、近代産業の誘致が必要だった。
また、首都圏の水甕としても重要な機能を持ち合わせることとなった。
第一発電所は最大出力1200kw、水量2.1m3、落差72.8mの中規模発電所となっています。
新しいだけあって発電所の建物は山小屋風のかわいらしいものとなっています。
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第一発電所の水路をおよそ3kmほどさかのぼると狩宿第二発電所があります。
わずか7m強の水路の途中の落差を利用した小型発電、新エネルギー活用の一つの手段でもあるそうです。
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最大出力61kw、水量1m3/s、一般家庭120軒が充分にまかなえる。
総工費は6,600万円となっていました。
何もかも電気なので、いま電気料金が大体1ヶ月1万5000円程度ですので5-6年ほどで120軒あわせれば設備費は償却できる勘定になります。
余力分を売電して稼いで見たり、電気自動車の充電スタンド自販機なんてなかなか面白そうです。
いろんなややこしい法規制を整理すれば道は開けることと思うんですが。
家を建てるときにソーラーパネルを頼のんでみましたが「雪がパネルに積もったらどうやって雪下ろしするの?おまけにここの寒さではパネルがもたない。」の一言でペケ。
この辺はやはり水力です、頼りになるのは。
                                                              
    
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by hanaha09 | 2011-01-25 23:51 | 田舎暮らし | Comments(0)

今井発電所

吾妻川上流から数えて鹿沢発電所、西窪発電所に続く3番目の発電所になります。
嬬恋村から長野原へ向かう国道144号線沿いに落ち着いたたたずまいを見せてます。
供用開始が大正14年、発電出力7900kw、最大13ton/sの水量。
地鎮祭を行ったのが大正12年9月1日、関東大震災のその日。
工事労働者が帰郷してしまい工事が一時中止となった逸話も。
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なかなか重厚な風格のある建屋になってます。
嬬恋村ではその後鹿沢、西窪と発電所建設が続いた。
草軽電鉄は大正8年に新軽井沢駅から嬬恋駅(現在のJR吾妻線万座・鹿沢口駅の近く)までの開通を果たしており、建設資材の輸送の大動脈になったそうだ。
また、嬬恋駅周辺は拠点として工事関係の出張所、住居も増え一般商店に加え、運送屋、カフェ、芸者置屋に映画館まで空前の賑わいとなった。
しかし、昭和10年には省営自動車(元祖JRバス?)吾妻線が営業を開始し、草軽電鉄の新駅が吾妻川対岸の三原に新設され、交通の拠点はしだいに三原に移り嬬恋駅はもともとあったひなびた集落に帰っていった。
昔がしのべるのはこの看板と温泉旅館だけの集落です。
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by hanaha09 | 2011-01-24 18:45 | 田舎暮らし | Comments(0)

冬住の里

JR吾妻線草津長野原口から渋峠に向かう国道292号線を白砂川に沿って北上します。
元六合村、今は中之条町字小雨に「冬住の里」があります。
大正時代以前には冬場の草津温泉への道は閉ざされていた。
温泉は訪れる人も無く閉ざされ、草津温泉の旅館の経営者はこの字小雨まで降りてきては冬場を過ごした、それで「冬住み」。
草津温泉の標高はおよそ1200m、小雨地区はおよそ700m。
日当りの良いこの地区が避寒地として選ばれたようだ。
小雨の名主であった市川家の住まいがそのまま「冬住の里」資料館になってます。
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どうも草津と同じ旅館つくり、道路の向かい側にも立派な3階建て。
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冬場はここで湯治客の生活用品とかみやげ物の準備をしていたそうです。
なんとも優雅な生活だったことでしょう。
当時からの草津温泉のにぎわいが想像できます。

近くの龍澤寺、樹齢850年といわれる「妙全杉」のたもとにも冬住みの猿が。
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道の真ん中で止まった軽トラの見回りおじいさん。
「今朝は川の下のほうから50頭位来たみたい。畑で悪さするからね、困るんだよ。こんな花火で追い払うんだけどこれにも許可が要る。たいへんたいへん。」
反対側から対向する乗用車が来て待ってるんですが話を止めようとしません。
山の中の冬住みは時間を気にすることはなさそうです。
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by hanaha09 | 2011-01-23 14:32 | 田舎暮らし | Comments(0)

凍み豆腐と高野豆腐

昨日から豆腐をざるに並べて外へ放り出しておいた。
今朝みると見事にあめ色に凍ってしまいました。
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ふるさとの軒端の月の凍豆腐
                                                        
そういえば、今朝方は青い月の光がこうこうと差し込んでました。
まさに凍み豆腐日和でした。
豆腐屋さんの資料によれば、
凍み豆腐は武田信玄が戦時の携帯兵糧として信州佐久地方で生産を奨励したものといわれています。
豆腐をわらにくくりつけ、凍結と融解を繰り返しながら自然乾燥を行います。
もうひとつのルーツが高野山。
これも鎌倉時代頃から高野山の修行僧によって広がっていった。
自然に凍ってしまった豆腐をいったん湯で戻して絞った後、かまどの火にかざして乾燥をした。
厳しい修行と勉学に励む僧侶たちの貴重なタンパク質源として活躍した。
面白いのが凍み豆腐と高野豆腐、関が原を境としてそれぞれ関東、関西と庶民の食卓に普及していったそうだ。
前回の試みでは凍み豆腐の製法を踏襲、ところが結構時間がかかり完成したのは春先。
その間の季節の雨風は表面を埃だらけにした。
食品衛生上どうかと思ってしまいましたが、食べると大変美味しかった。
と、いうわけで今年は高野豆腐の製法に挑戦して見よう。
10日ほど凍結熟成の後、乾燥作業を進めることとします。
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by hanaha09 | 2011-01-22 22:48 | 田舎暮らし | Comments(0)