ブログトップ

あるちゅはいま日記

hanaha09.exblog.jp

カテゴリ:未分類( 13 )

男鹿温泉にやって来た。

b0126549_07045931.jpg
遠いねぇ。
男鹿温泉の夜明けだ。
温泉はちょっとエメラルド色、このあたりは火山活動が活発だとのことだったが特有の匂いはしなかった。
泊まったところは一昔前の温泉旅館。
シャンデリア付きの宴会場にカラオケやらマッサージ、今時はどうなのかなぁ。
このあたりはなまはげ一色、朝飯の納豆までなまはげ印。
なまはげ伝道師なんてのも募集してた。
あとは季節もよいのだろう、ハタハタが必ず食事に。
美味しいのだがちょっとやりすぎ。
まあ、たのしい東北旅行だ。





[PR]
by hanaha09 | 2017-10-26 07:23 | Comments(0)

秋田までやってきた。

軽井沢から北陸新幹線、高崎からは上越新幹線、新潟からは特急電車、秋田からはタイで乗ったようなディーゼルカー。
鉄道の進化を訪ねるたびのようだった。
なにせ鉄道の旅は10年ぶり。
特急電車、と言ってもたびたび止まる各駅停車みたい。
駅弁は売れ切り、お腹が空いた秋田駅。
駅弁投票で一番を取った鶏弁当。
b0126549_07185650.jpg
男鹿までのディーゼルカー、満員の中でえんりょしながらたべた。
これぞ列車旅の魅力だ。
でも遠いね、東北は。


[PR]
by hanaha09 | 2017-10-25 21:10 | Comments(0)

かの高名な植物学者、牧野富太郎氏によると、
「花は、率直にいえば生殖器である。有名な蘭学者の宇田川榕庵(うだがわようあん)先生は、彼の著『植学啓源(けいげん)』に、「花は動物の陰処の如し、生産蕃息(はんそく)の資りて始まる所なり」と書いておられる。すなわち花は誠に美麗で、且かつ趣味に富んだ生殖器であって、動物の醜にくい生殖器とは雲泥の差があり、とても比べものにはならない。そして見たところなんの醜悪なところは一点もこれなく、まったく美点に充ち満ちている。まず花弁の色がわが眼を惹きつける、花香がわが鼻を撲つ。なお子細に注意すると、花の形でも萼でも、注意に値ぬものはほとんどない。」、と。
シラヒゲソウ。
b0126549_10782.jpg
レンゲショウマ。
b0126549_1073421.jpg
フシグロセンノウ。
b0126549_1010818.jpg

なまめかしいのぅ。
[PR]
by hanaha09 | 2017-08-26 10:12 | Comments(0)

加賀百万石

金沢には、16世紀半ばに本願寺が布教の拠点として「金沢御堂」が置かれた。
その後約400年前に前田利家公がこの地に城を定め、以来、加賀百万石の城下町として大発展。
藩政時代には江戸、大坂、京都に次ぐ規模の大都市であったのだそうだ。
柳滴る浅野川の川岸に、今でもキムスコ(木虫籠)と呼ばれる美しい出格子がある古い街並み。
その栄華を今に残すのがひがし茶屋街。
b0126549_2102320.jpg
b0126549_211075.jpg
その一角にある「ひかり蔵」。
b0126549_2184954.jpg
b0126549_2110019.jpg

百年以上前から存在する土蔵を、左官と金箔、確かな伝統の技をもってこれまでにない存在として蘇らせたのだそうだ。
外壁は漆喰の壁に塗り直し、純金とプラチナの合金箔「純金プラチナ箔 永遠色」で仕上げた。
内壁は、本来の壁の土に沖縄の泥藍を合わせ、24Kの純金箔によるグラデーション。
金箔約20,000枚も使った。
そして、店内には黄金のカステーラ。
b0126549_21122023.jpg

なんともはや...さすが百万石の茶屋街であります。
[PR]
by hanaha09 | 2017-05-26 21:16 | Comments(0)

木曽義仲の落人

鎌倉幕府誕生の前後の話。
平氏の大群を打ち破った木曽義仲らは京の都に入った。
このころ続いた飢饉、また平氏たちの乱暴狼藉で荒廃した都の治安回復に期待がもたれたが見事に失敗した。
義仲の朝廷への介入もあり、時の後白河上皇とは不仲の関係になってしまった。
その隙間に乗じた源頼朝は源義経を京に送り込み義仲らを討ちのめしてしまった。

ここからは上州民話集。
義仲の亡き後、京の残党と都人たちは再興を目指してふるさとの木曽谷へ向ったが、頼朝の軍勢に出会い近づけなかった。
そして、北へ東へと逃れた落人は渋峠を越え上州に逃げ入ったんだと。
浅間野(浅間山の北麓、昔は南木の原と呼ばれた)やら茨木の原(今のバラギ高原と思われる)、草津村へと向ったがいずれも頼朝らの巻狩り軍勢のために立ち入ることが出来なかった。
義仲の妻である身重のお蘭の局の一行は落ち延びる事だけを考えて、白根山に上がり池に弓の弦を切って沈め、殺生河原の池にも武具を捨てて逃げたんだと。
それから白根山で弓を捨てた池を弓ヶ池と呼ぶようになったんだと。
b0126549_200375.jpg
白根山の弓ヶ池。
b0126549_1958149.jpg
殺生河原の武具脱ノ池。
木曽の落人たちは、ここで鍬や鎌を取り自給自足の生活を始めたんだと。
白砂川の川沿いを奥へ奥へと開墾して山に入ったので、ここを入山と呼ぶようになったんだと。
落人たちは義仲の妻お蘭の局の為に、良い場所を見つけて家を建てたんだと、そこが今の御殿屋敷ちゅうとこなんだと。
白砂川には天然の温泉か湧き、春にはさくら、秋にはもみじが美しく散ったので、ここを花敷(いまでも透き通るような湯が沸く温泉郷)と呼び宴を開き京の都を懐かしんだんだと。
都人はやさしい京言葉を使っていたんで、今でも入山には京言葉が残っているんだと。
女の人も京美人の流れからか、美人の多い所でもあるんだと。
落人と都人はここに貧しいけれども幸せなひとつの桃源郷を作って行ったんだと。

なかなか泣かせる義仲の落人の生き様でした。
[PR]
by hanaha09 | 2017-05-13 12:22 | Comments(0)

春分の日

春分の日、彼岸の中日だ。
全国的にお休みの日だ。
b0126549_157141.jpg

春分の日が祭日と定められたのは明治11年だった。
昼と夜の長さが同じ日を春分の日と決めるのだが....どうやって決めるのか?
春分の日(3月XX日)
 = int(20.8431+0.242194*(年-1980)-int((年-1980)/4))
で簡易にもとめられるのだそうだ。
やってみると確かに2017年は3月20日、来年の2018年は3月21日になる。
なんで、こんなにややこしいのか?
春分の日は、地球の赤道を天に延長したものが黄道(太陽の通り道)と交わる春分点を太陽が通り過ぎる時間を含む日を指す。
地球の公転は、365日と約6時間かかる為、毎年、春分点を太陽が通り過ぎる時間がずれてくるのだ。
明治の当時は、春季皇霊祭(しゅんきこうりょうさい)という祭日だった。
春季皇霊祭とは、歴代の天皇・皇后・皇親の霊を祭る儀式をいい宮内庁が公開している皇室の「主要祭儀一覧」には「春分の日に皇霊殿で行われるご先祖まつり」ということなのだそうだ。
春分の日は極楽浄土が一番近くなる日、先祖への供養の日、牡丹餅を食べたりする。
また、冬の寒さに耐えた生物たちが太陽の陽射しを浴びて活発に動き始めるとき。
b0126549_1581059.jpg

自然と生物にも感謝をささげる日でもある。
ありがたい日なのである。
いただいた貴重ないかなごのくぎ煮にビールが旨い。
[PR]
by hanaha09 | 2017-03-20 15:12 | Comments(0)

珍宝館

人は云うのだそうだ、 「群馬には観光地が無い」と。
そういう人はまずは珍宝館へ行ってこい。
話はそれからなのだそうだ。
場所はどこかというと...渋川から伊香保温泉へ行く途中らしい。
いつも渋川から帰ってくる際に通る抜け道のようだ。
行ったことは無いので、何がともあれfacebookを覗けばよい。
b0126549_13424284.jpg
https://www.facebook.com/chinpoukan/
有名人来館記録には山本晋也監督、水道橋博士、大久保佳代子、江口ともみ、徳光正行、エロ作家岩井志麻子などなどの名前が。
人間国宝(???)とも呼ばれる館長兼まん長の名はち〇子さん。
曰く、"珍宝館は大人のための博物館です。わが珍宝館の目指すところはイギリスの大英博物館!アメリカのメトロポリタン美術館!フランスのルーブル美術館!そして日本の珍宝館!一つ違うとすれば「気品」と「下品」の違いだけです。"
正月お盆も休みなし、総珍宝展示物は3500点以上、日本一のパワースポット、区・内・町(く・ない・ちょう)ご用達の珍宝館との触れ込みだ。
同じ群馬B級スポットにも選ばれている嬬恋村の「愛の丘」なんてのは足元にも及ばない。
一度行ってみたいのだが...嫁になんて言って行けばよいんだろうかねぇ。
[PR]
by hanaha09 | 2017-02-22 13:56 | Comments(0)

ニッコウキスゲが咲いた

b0126549_1261511.jpg
雨の中、ニッコウキスゲが咲いた。
実生で育てた苗を6年ほど前にもらったものだ。
昨年から花をつけるようになった、ニッコウキスゲというよりノゾリキスゲ。
日光あたりで自生株が多く見られ、花が黄色で葉がカサスゲ(笠萓)に似ているため、地名を付けてニッコウキスゲと呼ばれた。
ニッコウキスゲ、語呂も良いし、有名処の地名もついて全国に広まった。
栃木県日光地方の固有種というわけではなく、日本各地に普通に分布する。
群馬県の野反湖へくれば「ノゾリキスゲ」になる。
和名は「禅庭花(ゼンテイカ)」、日光戦場ヶ原を中善寺の庭とみたててそこに咲く花ということで名づけられたとか。
この花は食べられるそうだが、まだ食べたことは無い。
天ぷらを出す蕎麦屋さんがあるそうだ。b0126549_18452473.jpg
食べた人は寿命が半年延びたのは間違いない!との賞賛付。
そのほか、おひたし、酢の物、和え物...塩漬け、砂糖漬け、酢漬けにオイル漬け..クセが無く、ほのかに甘く、心地よい歯応えがあるのだそうだ。
極めつけは果実酒ならぬ花酒、焼酎に漬け込むと3~4ヵ月で程好い辛味と素晴らしい香りのある淡黄色のリキュールができあがるのだそうだ。
今年はキスゲ花酒に挑戦だ。
[PR]
by hanaha09 | 2015-06-22 18:57 | Comments(0)

朝からビール

嫁が出かけていないので朝からビール。
b0126549_20491269.jpg
つまみは昨日の残りのひやご飯にキャベツとレタスとズッキーニ(自前の畑で採れたもの)とミンチ肉を少々入れた焼き飯。
家の中は犬が占領してるので朝日を眺めながら外で食べた。
スガスガしくてビールのホップがうまい。
ビールはラガー、酵素を入れて発酵させたので切れ味が良い、が、よく冷やして飲まないと少し間抜けの味だ。
なんやかんだで酔っ払ってまた寝てしまった。
くろねこさんのピンポンで目が覚めると昼の12時を過ぎてた。
なんという怠惰で間抜けな生活になってしまいましたね。
で、今日はこれでおしまい。
[PR]
by hanaha09 | 2014-10-11 20:38 | Comments(0)

浅間噴火記念碑

b0126549_16215651.jpg
1783年(天明3年)の浅間山大爆発及びその後発生する土石なだれは村人たちに想像を絶する火山噴火の凄さ、怖さを焼き付けた。
その中でこの大災害の復興に力を注いだ一人が大笹村で宿場問屋、酒蔵などを営む名主、黒岩長左衛門大栄であった。
その悲惨さを目の前にした長左衛門は復興も一段落し、再び起こるかもしれない大爆発の被害を少しでも小さくなるように碑を残そうと考えた。
江戸まで出かけて、大田南畝(なんぼ)、別号蜀山人(しょくさんじん)に碑文の揮毫を願った。
当時の蜀山人は”昼は真面目な役人、夜は引く手あまたの文化人"、五七五七七の歌を面白おかしく詠んだ狂歌の第一人者であった。
こんなマルチタレントでありベストセラー作家が山奥の小村の名主の依頼で自ら編纂したのが「浅間噴火記念碑」の碑文だ。
長左衛門大栄の意思を引き継いだその子長左衛門が大笹宿の山懐に1816年(文化13年)に建立したのがこの碑だ。

碑名
信濃なる浅間のたけにたつ烟(けむり)はふるき歌にもみえてをちこちのひとの
知る所なり、いにし天明三の年夏のはじめよりことになりはためきて
ほのふもえあがり烟は東の空にたなびきて灰砂をふらし泥水をふき出し
固き七月五日より八日にいたるまで夜昼にわかちもなくなりふもとの林
ことごとく焼け、泥水は五里ばかり隔たりたる吾妻川にあふれゆきて
凡二十里あまりの人家山林田圃はいふに及ばず人馬の流死せしもの
数をしらずしかるに有がたきおほんめぐみによりて
やうくもとの如くにたちかえるといえどもたつ烟はさらにやまず
いにし年この災をおそれて速にたちさりしものはからき命をたすかり
おくれもして止まれる者はことごとく死亡しせり、これより後にいたりて
叉も大きにやけ出んもはかりがたければ里人この碑をたて、後の戒めとなす事しかり

   冨士のねの烟はたたずなりぬれどあさまの山はとことはにもゆ

                    文化十三年 丙子 秋九月 蜀山人書
                                    黒岩大栄建

現在、この碑はなぜか大笹宿の山麓を離れ「鬼押し出し園」の片隅にある。
訪れる観光客の誰もが振り返ることはない。
私なりにはこんな解釈が出来る。
富士山などは煙も出てないが、煙を吹き続ける浅間山を振り返り自然の力を侮るな。
この天明3年の浅間山の災いを思い起こし、危ない時には躊躇することなく即座に逃げるべし。
2百年前から発し続けられている嬬恋村の戒めであります。
[PR]
by hanaha09 | 2014-10-02 18:16 | Comments(0)