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あるちゅはいま日記

hanaha09.exblog.jp

2017年 11月 03日 ( 1 )

もりとかけ

蕎麦の歴史は古い。
高知県内で9000年以上前の縄文時代の遺跡からソバの花粉が見つかった。
797年に完成した史書『続日本紀』には、「今年の夏は雨がなく、田からとれるものがみのらず、(中略)蕎麦及び小麦を植えしめ、たくわえおき、もって救荒に備えしむべし」とある。
しかし、16世紀頃までは「そば」は麺ではなかった。
そば粉を湯でこねて餅状にした「そばがき」や「そばもち」、もしくは蕎麦米そのままであった。
現在のような麺である「そば切り」の発祥地が次のように伝えられている。
1574(天正2)年にしたためられた「定勝寺文書」の中で、「ソハキリ」(そば切り)の文字がある。
 「徳利一ツ、ソハフクロ一ツ 千淡内」「振舞ソハキリ 金永」
当初は十割蕎麦、蕎麦が切れ切れとなるので蒸籠に入れて蒸した。
これが蒸籠蕎麦。
蕎麦が流行り始めて幕府に値上げを申請したがあえなく却下、考えたのが蒸籠を底上げして蕎麦を山盛りに見せかけた「盛り蒸籠」。
そして、江戸時代は寛政年間の頃、そば粉に“つなぎ”としての小麦粉を混ぜるそばの製法が出てきた、ニ八蕎麦の誕生。
蕎麦は湯がいて、冷水でさらして冷たい盛り蕎麦になった。
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その内、つけ汁のつゆに貴重品の砂糖が使われ、それを区別するためにザルに盛った「ざる蕎麦」が登場。
元禄の頃、せっかちな江戸っ子の荷運び人夫などが、つけ汁が別になった「盛り蕎麦」が面倒くさいとそばに汁をかけて食べるようになった、これが掛けそばの始まり。
当初は冷たい「ぶっかけ蕎麦」、冬になると寒いので暖かい汁を掛けた今の「かけ蕎麦」となった。
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器が一つで済む、温かい、女性にも人気で、あっという間に広がった。
月見そば等々、最近では話題の「緑のたぬき」の登場を迎えることになる。
蕎麦の歴史でいえば、”もりかけ”問題は誠に明快に語られている。
魑魅魍魎の政界のような話ではなかった。
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by hanaha09 | 2017-11-03 18:46 | 田舎暮らし | Comments(0)